爽やか×地味3


 高校で知り合って、友達になって、卒業と同時に疎遠になって、それから一度再会したけど、その時は結局何も伝えることが出来なかった。ただ、寂しいと言っただけ。あの日からまた月日が経って、そして次に会った時に、俺達は漸く想いを伝え合うことが出来た。何だか未だにそのことが信じられないでいる。俺は、自分が同じ男である小坂(オザカ)に対して友達以上の想いを抱いているということに気付いた時、すごく悩んだ。それまでは自分の相手は異性しかありえないと当然のように信じていたのだ。だから、小坂を好きになってしまった自分が、とても異質なもののように感じた。それはきっと小坂も同じだったのだろう。だから、お互いにお互いの気持ちをなんとなくわかっていたはずなのに、何も言えなかった。それは、これからもずっとそのままだと思っていた。なのに、そんな付かず離れずの曖昧な距離を壊したのは、他でもない俺自身だった。そして俺は今こうして小坂の一番近くにいる。我ながらとんでもないことをしたものだと思う。後悔していない、と言えば嘘になる。でも、後悔しているわけじゃない。ただ、俺はすごく臆病だから、本来ならあり得かったこの状況に対して、酷く怯えているだけなのだ。それでも小坂の手を離してしまおうなんて選択肢はどこにも存在しないのだから、なかなかに俺も浅ましい奴だと思う。だって、一度掴んでしまったら、もう二度と離せるわけがないじゃないか。

 なんか、篠原(シノハラ)君ってイメージと違うね。その言葉を今まで何度言われてきただろうか。高校生の時から小坂のことが好きだったとはいえ、当初はその気持を認めることが出来ずに、告白されるがままに何人かの女の子と付き合ったことがあった。その度に俺は誠心誠意その女の子に接したつもりだったし、好きになろうとして、そして好きになれると信じていた。でも、そうするとその女の子はいつも決まったようにこう言うのだ。「イメージと違う」と。誰にでも優しくて、何でも出来て、かっこよくて、王子様みたいな篠原君。そんな篠原君に憧れて、好きになって、傍にいたいと思った。けれど、いざ隣に立ってみると何かが違う。そう言って彼女達は残念そうな顔をして「ごめんなさい」と頭を下げるのだ。それはそうだろう、と俺は頷く。だって、俺はそんな完璧な人間なんかじゃない。時には寝坊だってするし、寝ぐせが治らなくて悪戦苦闘することもあるし、料理を焦がすことだって、ボーっとして電柱に頭をぶつけることだってある。むしろ、俺は自分のことを結構ぼんやりとした奴だと思っているほどだ。なのに、どうして周りの人は俺のことをそんな風に過大評価するのだろうか。そりゃあもちろん人前ではなるべくみっともない姿を見せないように努力はしているが、そんなことは誰でも同じことだと思う。だから、「流石だね、篠原君」と誰かに言われる度にズシリと重いものが胸の底に溜まっていくような気持ちがした。褒めてもらえるのは嬉しい。だけど、いつかこの人にも「何か違う」と言われてしまうんじゃないかと、俺は小さく震えていた。
そして、今は特に、その言葉を小坂が口にしてしまうんじゃないかと、俺は怯えている。小坂に好きだと言って、小坂もそれに答えてくれた。ずっと曖昧な距離にいた俺達は寄り添えるようになったのだ。でも、そのせいで、近づいてしまったせいで、今まで見えなかったものを見てしまった小坂が俺に幻滅してしまうんじゃないだろうか。そう思うと、俺はどうしても小坂の瞳を真っ直ぐ見ることが出来ないでいた。
 そんな俺を不審に思ったのか、ある日小坂が言った。

「お、俺、篠原の部屋を見てみたい」

それまでに俺は何回か小坂の部屋にお邪魔していて、泊まったこともあった。だけど、小坂が俺の部屋に来たことは一度もない。俺は小坂にそう言われて初めてそのことに気が付いたのだが、もしかしたら自分でも無意識のうちに避けていたのかもしれなかった。別に部屋が汚いとか、見られたら困るものがあるとかそんなことではない。ただ、自分の部屋というのは特に自分自身を表している場所のような気がして、なんとなく小坂に見て欲しくないとは思っていた。けれど、小坂がこうして面と向かって俺に希望を言うことなんて滅多にない。むしろ初めてのことかもしれなかった。きっと小坂はすごく勇気を振り絞って言ったのだろう。そう思うと、断ることなんて出来なかった。
そして俺はその数日後に小坂を部屋に招き、夕食に手料理をふるまった。部屋に足を踏み入れた小坂は「綺麗だ」と喜んでいたし、お手製のミートパスタを口にしては「美味しい」嬉しそうに笑ってくれた。それを見て、俺も漸くホッと息を吐くことが出来た。それから心の中で深く反省した。他の人達の言葉ばかりを気にして、俺は目の前の小坂のことをちゃんと見ていなかったのだ。小坂の気持ちを考えずに、「小坂に嫌われてしまったらどうしよう」なんてそんなことばかりを考えていた。そこに小坂の心は無かったというのに。馬鹿だなあ、と俺は小さく微笑んだ。それからは随分気も楽になって、ゆっくりと二人の時間を満喫した。夕食が終わったら一緒に後片付けをして、その後は二人で並んでテレビを見た。そうしていると夜も更けていって、自然と小坂に泊まっていってもらうことになり、のんびりと寝支度を整える。小坂に譲ってもらって俺が先に風呂に入り、今は小坂が入っている。小坂にはタンスの底に眠っていたパジャマを着てもらうことにした。客用布団も敷き終わって特にすることもなくなった俺は、浴室から聞こえるシャワーの音をBGMにしながらぼんやりとソファに寝っ転がる。そこで俺はふと思い付いた。そう言えば、小坂のためにココアを買っておいたのだ。粉末をお湯で溶かして、砂糖を一杯いれるだけで簡単に出来る。寝る前に飲んだらいい夢が見られるかもしれない。そう思って、俺は早速マグカップを二つ用意した。すると、ココアが二つ分出来た頃に、ちょうどタオルを首にかけたままの小坂が浴室から出てきた。

「あ、えっと、お風呂とパジャマ、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」

少し大きめのパジャマの裾を照れ臭そうに弄りながら頭を下げる小坂に、俺は思わずフワリと頬が緩むのを感じた。そして、淹れたばかりのココアを手に持ち、片方のマグカップを小坂に差し出す。

「ココア淹れてみたんだ。小坂、好きだろ?」
「わ、あ。うん!」

ホカホカと湯気を立てる茶色い液体を見下ろして、小坂は嬉しそうに瞳を輝かせると直ぐに口をつける。俺はその様子をじっと見つめた。好きな人が好きなものを食べている姿ほど素敵なことはない。けれど、そんな俺の思いとは裏腹に、小坂は何故かムムと眉間に皺を寄せると、次の瞬間には盛大に噎せてしまった。

「げほっけほっ」
「お、小坂?!」

俺は慌てて小坂の背に手をやり、そのまま優しく擦ってやる。いったいどうしたというのだろうか。そっと小坂の顔を覗きこんでみると、小坂は困惑した表情でカップの中身を見つめていた。俺もそれに倣ってそちらに目をやるが、そこには相変わらず茶色い水面が広がっているだけだ。俺は思わず首を傾ける。すると、同じように小坂も頭を横に倒しながら、その液体を指差した。

「な、なんか、不思議な味が……」
「味?」

そう言われて、俺も自分の手の中にあるカップにそっと口をつけてみた。それから、その液体を口に含んで舌の上で転がしてみる。そして、次の瞬間に俺は慌てて口を手で塞いだ。そうしないとこのまま吹き出してしまうところだったのだ。それほどに不味かった。すごく、不味かった。これはどういうことだ。俺は、あまりの不味さに痺れる思考を無理矢理に回転させる。そして、気付いた。このドロリとした粘っこい液体の中にある、ピリリとした塩辛さ。間違いない。これは、塩だ。塩と砂糖を誤って入れてしまったのだ。やってしまった。俺は自分の顔からサッと血の気が引いていくのを感じた。そして、恐る恐る小坂の方を伺ってみると、小坂もその事実に気付いたのか「しょっぱい……?」と戸惑ったように呟いている。その姿を見て、恥ずかしさのあまりに今度は全身がカッと熱くなった。そして、俺は急いで弁解を試みる。塩と砂糖を間違えるなんて、今どき小学生だってやらないような典型的な間違いをしてしまったが、いつもはこんなんじゃないのだと叫びたい。でも、自分でもこのココアの味は強烈だったようで、どうにも上手い言葉が出てこない。

「え、えっと、その、これは!」

そうして俺は言い繕うように手を振ったのだが、当然その手の中にはマグカップが握られているわけで、盛大に中身がパシャリと床の上に飛び散った。見下ろすと、お互いのズボンの裾が少し茶色くなっていた。俺は暫くその状態で固まり、それからカアと頬が熱くなってくる。そちらを向かなくても小坂がジッと俺のことを見つめているのが伝わってくる。俺はついに耐えられなくなって、顔の前で腕を交差させて消え入るような声で呟いた。

「み、見ないで……」

俺はギュウと目を瞑った。恥ずかしい。穴があったら入りたい。小坂にこんな情けないところなんて見せたくなかったのに、嫌われたらどうしよう。そんな想いが胸の中をグルグルと渦巻く。身体が火照ってジワリと嫌な汗が浮かんだ。このまま溶けてしまいたい、なんてそんなことを考える。すると、その時、強張っていた俺の手を温かいものがフワリと柔らかく包んで、俺はパチリと目を見開いた。恐る恐る腕の隙間から小坂を伺ってみると、どういうわけか小坂は頬を上気させて、食い入るように俺を見つめていた。そして、小坂は感極まったように口を開く。

「篠原、なんか、可愛い……」

その言葉に俺はパチリと瞳を瞬いた。可愛い。そんなこと、生まれて初めて言われた。男が言われたって嬉しくもないはずなのに、先ほどとは違う意味で頬が熱を持っていくような気がした。さっきまでは恥ずかしさのあまり消えてしまいたいと思っていたのに、今は恥ずかしいけど小坂の手を離したくない。俺は、目線を泳がせながらもそっと小坂に尋ねてみる。

「こ、こんなのかっこ悪いって、思わない?」

それに小坂はブンブンと大きく首を振った。それから大きな声でこう叫んだ。

「むしろ、ほ、惚れなおした!」

そんなことを必死な顔をして言うもんだから、俺は思わず吹き出してしまった。いい大人がお互いに顔を真っ赤にさせて、何をしているのだろうか。俺は目尻に涙が浮かぶほど笑い続けて、それに小坂は不本意そうに唇を尖らせた。もう少し経って、この笑いが治まったら言ってやろうと思う。そうしたら少しは機嫌を直してくれるだろうから。
惚れなおしたのは、こちらの方だと。


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