腫れぼったい目が、まるであたしの視界をわざと遮っているようにさえ感じた。泣き腫らしたなんてかわいいもんじゃなく、ただ蚊に刺されただけなのだけど、今私はまさしく泣きそうだった。あたしにとっても、なかなか手強い敵だったことは確かなのだけど、負けると殊の外悔しいものだ。 「…ほんとに何、この虚無感」 最後の夏だったのに。 「お前、早なったなあ」 「オサムちゃん、それ厭味?」 「ちゃうわ阿呆」 たくさんのことを我慢して、諦めて、譲ってきた。頼まれたわけじゃなくて、でもそうしなきゃいけないことばかりだった。あたしは長女だから優先順位はいつも下、可愛くもないからクラスでも色んな順位はいつも下。基本的に下に位置してる、ほんと平凡な女だと思う。それに慣れたつもりだったんだけど、陸上部に入ったら変わった。走るのは好きだった。だから走った。周りなんか見えなくて、しゃかりきに走った。そしたら先生たちも家族も友達も、あたしを見た。 「すごい失礼なこと言っていい?」 「何や」 「…財前だったらいいのに、オサムちゃんが」 「ほんま失礼なやっちゃな」 オサムちゃんはくしゃ、って笑う。あたしはオサムちゃんのそういうところが好きだ。競馬とかしちゃうのやだけど。こんなんがハトコなんてなー、って思う。でもあたしがしてることも博打に似てる。陸上なんか博打みたいなもんだ。 「…好き、なのに」 「走るんがか?」 「走るのも、」 財前も。 夕日がキラキラしてる。 あたしの出番は今日の朝一番、ショートだからね。緊張は最大級、ワクワクも最大級だった。でも体が思うように行かなくて、それがもどかしくて、そしたら脚がすんごい痛くて…2人に抜かれた。4位だった。最後まで走りきったことが唯一の誇りだった。 「、あ」 「…財前。全国出場おめでと」 「あ、おおきに。お前もお疲れさん。ってちゃうわ!大丈夫なんか、病院行ったなら早う帰らなあかんやろ」 「そういう財前は何やってんねん。部活中やぞー」 「監督がサボってんのに何言ってんねや。そっちこそ早う戻れあほんだら」 笑ってしまった。 あまりに普通で、あまりに簡単に、雰囲気も固まってた気持ちも崩す。ほんなら戻るとかなんとか、オサムちゃんはガラガラと教室のドアを引いた。病院の付添人にあたしが選んだのは両親ではなくてオサムちゃんだった。 「忘れ物、見つかったの?」 この場に財前がいるのがこの上なく嬉しいのに、あたしは財前をここから追い出す口実を探していた。 「んー、数学のノート…」 「出してないんだ」 「昼休みミーティング開いてたから知らんかってん」 ガサガサと机を漁り、あったようでホッと息をついていた。さっさと帰ってよ。 「高校、どないするん?」 「…どうしよ」 「引き抜きいっぱい来てんねやろ?」 「財前こそ腐るほど来てんじゃん」 「まあな、俺はもう決めてんねん」 目が輝いてる。 楽しいです、楽しみです、って目をしてる。 「あたしの引き抜きなんか、すぐ消えるよ。あたし普通に受験だな」 「は?何でや、4位かもしれんけど、総体予選行ったらどの高校かて…」 「ほしいわけない。あたしもう走れないの」 ごめんね、その輝きを、今だけだとしても奪うつもりはなかった。 見開いて、ねえ、どうしてそんなに… 「財前が悲しそうな顔することないじゃん」 「せやかて…走るの好きやったやろ」 何で知ってるの? 「楽しいですーっちゅー顔して気持ち良さそうに走ってたやんか」 何で見てるの? 「どうにも…ならんのか?」 どうにかなるなら、あたしだって…! 「あたしだってどうにかしたいよ!どうにもなんないの!」 「手術とかもあらへんのか?」 「そんな金ないし!」 「何や、治るんか」 治るんか、って… 「バイトでも春休みにして貯めろや。そんで走れ。走らな、お前じゃなくなんで」 存在意義ちゃうんか、陸上。 知ったような口で笑いながら言われちゃ、どうしようもない。 「ありがとう…っ」 「俺もおおきに」 ニヒルに笑って財前はあたしの机に腰掛ける。 「へ、何が?」 そしてノートを机に置いた。 「、古典」 「ノート提出くらい友達に頼んで出したっちゅーねん」 「じゃあ何の…」 「財前だったらよかったのに」 びっくりした。 デジャヴュ?ってやつかと思った。でも驚くほどあたしに似てない声。 「クラスの窓見てたらおったから走ってきたら、オサムちゃんと話してんの聞いてもうた」 「…そう」 「俺の忘れもん、お前やねん」 ずっと、ずっと好きやったから、おおきに。オサムちゃんに言ったこと、財前だったらってやつ、叶っちゃった。 「財前、」 「ん?」 繋いだ手や、周りの視線や、日差しが、あつい。 「誕生日おめでとう」 「おおきに」 くしゃくしゃのわたしたち 光誕様に提出 素敵な企画への参加のお許しありがとうございました! 内容は一瞬の風になれという作品に感化されて書きました!笑 |