作品 | ナノ
名前ちゃんはボクが何ベン言うても煙草を吸うので、名前ちゃんが煙草吸っている間はボクがベランダに出てなきゃいけんかった。ボクはそれが煩わしくて、何でホンマに禁煙してくれへんのやろう、とベランダの窓越しに名前ちゃんを見てはぼんやり思っていた。不思議なことに、禁煙するか否かの問題で揉めたことはないし(大抵はボクが声を荒げ、名前ちゃんはどこを見てはるのか分からん沼の底のような目でボクを見るだけやった。従順でも生意気でもない。つまらん女やなァ、と思った)、喧嘩という喧嘩もした覚えがない。名前ちゃんがゆっくりと息を吸うとジジ、と煙草の先が燻った。それからまたゆっくりと息を吐く。白い煙がふんわりと名前ちゃんの口から立ち上っていく。その所作だけは綺麗やと思った。
「ン」
コンクリートが濡れる臭いがして、パッと視線を移せばポツポツと雨が降ってきた。ベランダにはおるものの、濡れたくはない。部屋に入りたい、と思いチラリと名前ちゃんを見れば吸い終わったのか煙草を灰皿に押し付けていた。ボクはやれやれといった仕草で部屋に踏み入る。
「雨が、降ってきはったね」
「せやな」
「もうすぐ、秋になるね」
「……そうやなァ」
チラリと名前ちゃんを見れば、ぼうっとボク越しの空を見ているようだった。ボクもつられて振り向く。どんよりとした鈍色の雲が、重そうにのろのろと動いているだけやった。

▲▼

名前ちゃんの住んでいるアパートはボロボロで、とうとうお風呂が壊れてしまったので、その日はふたりで仲良く銭湯に行った。こんなところを高校時代の部活仲間に見られたら恥ずかしさで死ねるかもしれへん。死ねると言えば、名前ちゃんはかねてから、死にそうな雰囲気を漂わせていた。ボクの気のせいと言われたらそれまでやけど、それでもなんだか気にせずにはいられんかった。
「なあ、名前ちゃんは、ボクを置いてったりせんよな……?」
柄にもなくそんなことを聞いてみたりした。名前ちゃんはゆっくりとーーボクを見ているのかは定かではないーー沼みたいな澄んだ瞳をこちらに向けて、「嫌やわァ。死なへんよ」と笑った。ボクはそれに安堵して、「変なこと聞いてごめんなァ」と言えば「翔クンを遺して、いかれへんよ」とまた笑った。「それにしても、今日のお星様は綺麗やなあ」「……ホンマや。気付かんかった」「ウフフ。あたし、星になるんやで。死んだら、星になるんや……」「名前ちゃん」「あら、嫌やわァ、怒らんといて。ほんの冗談やないの、ネ、翔クン」名前ちゃんの滑らかな指がボクの頬を滑る。ボクはそれを無言で掴み、下ろしてぎゅうっと握った。いたァい、とどこか楽しそうな声が聞こえた。

▲▼

ベランダに立ってぼんやりと街の景色を眺める。もう春の陽気が立ち込めていて、時折ゆるく吹く風が雪解け間近のにおいをしていた。名前ちゃんに春は似合わんなァ、と思いながら、鈍色の雲がゆるゆると流れるのを見ていた。ーー結局、名前ちゃんの瞳には、ボクは映っていたのやろうか? 話しているとき、どこか違うところを見つめていて、そして、何かを考えている風であった。普通に相槌を打ったあと、「あ、ごめん、聞いてなかった。もう1回お願いできる?」と言いはって、ボクはそれにムッとして、語気を荒げるのなんかしょっちゅうで……。
先達てまで掴めていた右手が、今はもうないことに少しだけ違和感を感じる。先達てまで、「あたし、星になるんやで。死んだら、星になるんや……」なんて言うとったのに。名前を呼んで諌めれば、少しも悪びれた様子もなく、それどころか少し怒ったような目でボクを見たっけかなァ……。あんまり感情の起伏がない子ォやったから、それだけは印象に残っとる。名前ちゃんは、どこに行きはったのやろう。


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