作品 | ナノ

「離れても待っていてほしい」


ぎこちなく抱きしめられて耳元で囁かれた一言。私は瞳を潤ませながら頷いた。
あの日の事は、夢にまで出てきて何度も繰り返されている。繰り返される度に記憶が劣化して、あの瞬間に感じたときめきも、力強く抱きしめられた苦しさも、首もとで感じた体温も、頭にまで響いた低い優しい声も、全部消えていった。


『彼氏いるの?』
『住み近くなんで、仲良くしましょう』
『顔見たいです』
『よろしくー。何してるのかな?』
『えん、しません?』
『イメプしよ』


トーク欄に並ぶ誘いの言葉を冷めた目で見る。出会えるがうたい文句の怪しいアプリをダウンロードして5分。プロフィールに住んでる地域と性別を入れて1分。会いたい人に会えないもやもやを発散しようと、話し相手を探すつもりが、体目的のメッセージの数々にやる気を削がれた。

話聞いてほしいだけなので、下ネタは無理です。
変なメッセージはすぐ消します。

プロフィール欄にそう書き加えて、順番にメッセージを消していった。消している間にも、下着の色を聞かれたり、上半身裸の写真が送られてきたり、性器を見せるように言われたり、調教に興味があるか聞かれたり、簡単に稼げるアフリエイトのお誘いがきたりして、通知のライトがちかちか光り続けた。
もうアンインストールした方がいいかもしれないと思ったところで、マサタカさんという人からメッセージが来た。


『お話聞かせてください』


アイコンは猫の写真。プロフィールを確認すると、家で飼っている猫だということが分かった。年齢は少し上で、人の話を聞くのが好きと書いてあった。この人ならいいかもしれないと返事をした。


『話していいですか』
『どうぞ』

『高校で付き合っていた彼氏と大学で離れちゃって、』
『寂しいですね』

『結構遠くて、会おうと思っても一日がかりの距離なんです』
『車は?』
『免許はあるんですけど、自分の車は持っていません』

『連絡は?』
『週に3回程度。私がメールして、一言二言返事が来る感じです』

『電話は?』
『迷惑になると嫌なので、向こうからかかってこない限りはしません』

『電話がかかってくるのはどれくらいの頻度ですか?』
『1年で3回です』
『そうですか』


そして、纏わりつく「待っていてほしい」。文字にしてみると本当にひどい。私の友達が同じように苦しんでいたら、別れるように強くすすめる。

そんな男と早く別れて他の人と付き合った方が幸せになれる。
私の友達の優しい男の子を紹介するから一緒にご飯を食べに行こう。
そんな男早く忘れた方がいい。

連絡がなくて落ち込んだり、練習と重なって会う約束がなくなったり、大会前は頻繁に連絡が来ると返事ができないと言われたり、と、ここ1年の思い出は嫌なことばかりが際立って残っている。何度も泣いて何度も友達に話を聞いてもらった。部屋でふさぎ込んで、外に出られなくなったこともあった。私を心配した友達が色んな言葉をかけてくれる。それなのに私は、別れようと思わない。自分が我慢すれば、かろうじて関係が続いている。そう思うと断ち切れない。

私はきっと、あの言葉に呪われている。


『率直な意見を言わせてもらうと、望みはないと思います』


はあ。大きなため息が出た。
私も、その通りだと思います。


『嫌なら答えなくていいんですけど、その人とえっちしました?』


短絡的にしたとかしていないとか、そんな方法で親密さを測るのか。『してません』と返事を打っている間にまたメッセージが来た。


『男はヤリたい生き物なので、1年も誰とも付き合わずにあなたのことを待ってるとは思えません。』


待ってるのは私なんだけどな。
もやもやした感情を打っては消してを繰り返しているうちに、面倒になった。「そうですか」で終わらせて、このトークも消して、今日はもう寝よう。

送信ボタンを押そうとした瞬間、通話が入った。金城くんから連絡がくるのはいつぶりかわからなかった。


「もしもし」
「もしもし」


全然連絡取っていなかったくせに、急にかけてくるなんてずるい。ほんの少しだけ嫌味を混ぜて「久しぶり」と言うと、申し訳なさそうな声で「ああ、すまない」と謝られた。


「大会、だったんだっけ」
「今日終わった」

「そっか」


スマートフォンのライトがちかりと光って、マサタカさんからのメッセージが表示される。


『そんな人のことは忘れて、ご飯にでも行きませんか』


一瞬、返事に困った。
食事になんて絶対に行かない。見ず知らずの人に誘われて食事に行って、それだけで返してもらえる保証はない。そんな危ないことは絶対にしない。ブロックをして、トークを消して、それで終わる。でも、指は動かない。食事に行こうと言われてすぐに出かけられる距離が私を誘惑する。金城くんと私にはない『すぐ会いに行ける距離』それだけのことがちらついて、行きませんという言葉すら打てないでいた。


「名前、」


金城くんに名前を呼ばれてはっとする。


「ごめん。ちょとぼんやりしてた。なに?」

「今度、そっちに行こうと思う」
「えっ、いつ」
「今度の連休」


今度の連休は補講とバイトとボランティアの3本立て。


「予定、大丈夫か」
「開けるよ」


次に会えるのはいつかわからないから。
その言葉を飲み込んで、何をしようかと楽しい話に切り替える。ご飯を食べに行くなら何を食べたいかとか、見たい映画があるとか、夜はうちに泊まるとか。
話しながらバイトの人にシフトを変わってもらうお願いの連絡をして、ボランティアに代わりに入ってくれる子がいないか探す。補講は諦めて、後からノートを見せてもらおう。


『そんな人のことは忘れて、ご飯にでも行きませんか』


通知欄に残っているメッセージと、考えたくないこれからのことは全部見なかったことにして、ふたをする。

呪いでも何でもいい。私は金城くんが好き。
それだけ忘れないでいれば、きっと大丈夫。


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