プロローグ
 あの日の事は今でも良く覚えている。いや、覚えていると言うより、忘れられないと言った方が正しいのかもしれない。
 その証拠にあの日の事は夢で良く見る。夢で見た次の日は何だか憂鬱で、イマイチ元気が出ない。
 こんな事から想像するに、やっぱりあの日は゛覚えている゛より、゛忘れられない゛と言った方が良いのだろう。嫌な話だ。

 昔、誰かが言っていた。『終わりは前触れもなく突然来る』って。そして全てが変わってしまった、日常が崩壊したあの日も、今思えば何の異常も見られない、至って普通の一日だった。
 ただいつもと、違ったのは愛犬のよし子が落ち着きなく鳴いていた事だった。雄の秋田犬であるよし子がキュンキュン鳴くなんて、随分珍しい事もあるもんだな、って思ったのを今でもはっきり覚えてる。
 それにいつもと違う動きを見せてたのは、よし子だけじゃなかった。
 甲斐犬の与作も小屋から出てこなかったし、鶏達もいつもより増して煩かった。極めつけはカラスだ。
 うちの名字にはカラスが含まれてるから、カラスは神聖な生き物で失礼な事をしちゃいけないって、じいちゃんがいつも言っていたけど、家の屋根が真っ黒になる程のカラスが集まって鳴きまくっているのを見た時は、うるさすぎて正直ムカついた。
 下の町のカラスが全部集まったようなそのあまりの数に、さすがのじいちゃんも怒ったみたいで、空砲を撃ちまくっていた。母さんはカラスが不気味だって言ってたけど、俺はいつも神聖視しているカラスを、「鬱陶しいんじゃ!」って言いながら空砲で撃っているじいちゃんの姿が怖かった。
 今思えば、動物達はこの先に起こる事態を予想していたのだろう。分かっていなかったのは、人間だけだったんだ。

 その後、俺はいつものように学校へ向かった。どうでも良い話だろうけど、俺は学校が大好きだった。勉強は嫌いだったけどね。
 友達と遊べるし、給食が美味しいってのもあったけど、一番の理由は好きだった子に会えるからだ。
 保育園の頃から小五までずっと好きだったその子に会えるから、俺は毎日山一つ越えて学校に行っていたんだろう。
 で、掃除の時間にその子が珍しく俺に声をかけてくれたんだ。回りに冷やかされるのが嫌だった俺は平静を装って「何?」とか言ったけど、内心はもうドキドキだったね。嬉しくて仕方なかった。
 そしたらその子、顔を少し赤らめて「明日、約束のクッキー持ってくるから」って。正直、凄くびっくりした。家庭科の時間の時に、冗談混じりに「今度クッキー焼いてよ」って言った事、覚えていたとは思わなかったから。
 素直に喜べばいいのに、変な意地をはった俺は「そんな事言ったっけ?」って言ってしまった。照れ隠しだろうけど、最低な奴だ。
 その子は傷付いた顔をしたものの、すぐに笑顔に戻ると「言ったよ、だから明日受け取ってね」って言ってくれた。
 俺と違って、素直で真っ直ぐな、優しい、とても優しい子だった。

 その日の夜、俺は罪悪感と、大きな期待を抱きながら床に就いた。
 眠りに落ちる寸前で俺は明日、あの子に謝ろうと思った。謝って、あわよくばさりげなく気持ちを伝えようと思った。……二度と来ない明日に誓いを立てて、俺は眠りについた。

 そして時は忌まわしい時刻となる。

 やけに煩い音と地響きのような振動で、俺は目が覚めた。
 時間ははっきり覚えていない。昼間に遊びすぎて布団に入るなり寝たから、寝た時間さえあやふや。だから今が何時かだなんて分かる訳も無かった。
 ただ、もう朝なのか、とは思った。木でできた雨戸の隙間から光が漏れていたし、ヘリコプターみたいな低い音が聞こえたから。
 だけど、その明かりと音はどこか不自然だった。朝日は断続に射し込むものなのに、その時の光は明るくなったり暗くなったりを繰り返していた。
 何より変だと思ったのは、ヘリコプターのような音だった。ブブブと低い音を立てて、ヘリコプターらしき物は町の方へ飛んでいったようだった。だけど、その音は何度も何度も現れて、消える事は無かった。
 ヘリコプターがこんなに飛ぶ訳がない。音の繰り返しから、とんでもない数の飛行物体が飛んでいるという事が分かった俺は言い様の無い不安に襲われて、ギュッと布団を掴んだ。
 だけど俺は思った。全て気のせいかもしれない。家が揺れているから怖く感じてるだけだ。って。
 そう思った俺はそっと布団から出て、深呼吸をした後に、窓と雨戸を勢い良く開けた。

 空は暗いのに、町の方だけが妙に明るかった。

 ネオンにしては明るすぎるその現象に、不信感を抱いた俺は状況を確かめるべく、窓を乗り越えて庭へ出た。
 幸い、家は見晴らしの良い山の頂上にあった。
 だから、裏に回ってじいちゃんが作った展望台から下を見れば、全てが分かると思っていた。そしてその考えは見事に的中する事となる。

 裸足のまま、家の塀を乗り越えて展望台へと走った俺を待っていたのは、夜なのに妙に明るい景色とその原因となっている物だった。
 当時の季節は冬。裸足で、しかもパジャマ姿で外へ飛び出すだなんて正気の沙汰じゃない。本当ならば寒すぎて窓さえ開けないだろう。
 だが、その時の俺はそんな事全く気にしなかった。いや、気にする事が出来なかったのだ。

「何だよこれ」
 確か掠れた声でそう呟いた気がする。今となってははっきりそう断言出来ないが、幼い俺はそうしか言うことが出来なかったのだろう。

 目下に広がるのは、所々灯っている街灯の光。では無く、電球のように白く光っては消える大きな球体。そしてそれに群がるようにして飛び回る巨大な虫達。それは一つでは無く、無数に、色んなヶ所で光り続けていた。
 そして球体が光る度に、虫達が飛び回る度に、地面は唸り声のような低い音を出してその体を震わせていた。何度も何度も、まるで心臓の鼓動を刻むかのように。
 朝日だと思った光とヘリコプターだと思った物の正体は、発光する謎の球体とそれに群がるようにして飛ぶ、巨大な虫の羽音だった。
 ぼんやりと空を見上げてみると、黒い空には幾重にも重なる白い線が無数に描かれ、その線が途切れた場所で白い球体と地鳴りが発生していた。
 多分、こんな状況でなければ、何も知っていなければ、あの無数に散らばる白い光を「綺麗だ」と、巨大な虫達を「格好良い」と言ってはしゃげたのだろう。
 だが当時の俺は幼いながらに知ってしまった。
 あの光があの虫達が群がった場所には、何も残らない。あの光と虫は友人達が住んでいる町へ雨のように降り注いでいる。
 ……そしてあの光は俺が気になっていた少女が住んでいる場所でも、真っ白な光を放ち、虫達の黒い影が見えていた事を。
 知り合いが消えて行く、見慣れた景色も、何もかもが無に還る。
 それは11歳のがきんちょには規模が大きすぎて、あまりに衝撃的すぎて、俺は光が消えた後また別の光によって照らし出された大きなクレーターと、僅かに残ったビルに群がる虫を目にしても、怖いだなんて感情は一切持てなかった。
 そんな時だった、家一つ分は悠にある白い光を纏った隕石が、家の両脇にある山をかすったのは。
 隕石のような物は白、いや虹色の光をその身に纏い、鈍くそれでいて甲高い音を出しながら山肌を徐々に削って行く。その時の振動と熱気、煩さは今まで体験の中で群を抜いていた。
 熱気と風圧に圧された俺は、両手で顔を庇うようにして背後へと吹っ飛ばされた。そしてその直後、右腕に耐え難い程の衝撃が走る。
 もう、訳が分かんなくて、何だか情けなくて、そして痛くって……。虫と、白い球体のもっと上空にあった、黒い塊を見上げながら、俺は正直このまま死んでしまっても良いかな。って思った。
 だけどその時、俺はある声を聞いたんだ。

『ダメだよ、クロキ君。まだコッチに来ちゃ』

 幻聴だったかもしれない。その声は二度と会えないだろう人だったから。でも確かにその声は、俺にクッキーを焼いてあげると言ってくれた、あの子の声だったんだ。
「―――……」
 かすれる声で、声になら無いような小さな声でその子の名を呟いた時、俺はその子が照れたように小さく笑った声を聞いたような気がした。

 気が付けば、俺はいつの間にか駆け付けて来たじいちゃんに背負われていた。夢だったのか、とじいちゃんの広い背中から辺りを見渡した。
 だけど目に入ったのは見慣れた景色じゃなくて、朝日に照らされた、あちこちで黒煙が上がっている荒れ果てた大地だった。
「大変な事になった」
 初めて聞くじいちゃんの弱々しい声に、俺はようやくこれが現実だと分かり、じいちゃんの背中で幼子のように声を上げて泣いた。
 焦土と化した大地もそうだけど、二度と皆に会えない事が、幻聴だとしてもあの子とちゃんと別れの言葉を交わすことが、謝罪を出来なかった事が、言い様もなく辛くて、悲しかった。

 こうして一夜にして俺の回りは、そして世界は、事実上破滅する事となった。
 だけど俺達は甘かった。これが一番酷い出来事だと思っていたのだ。これがまだほんの序章であり、本当の破滅はこれから始まる事を、その時の俺達は知るよしも無かったんだ。

--プロローグ 完--


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