魔物達に追い立てられるようにして、コユキとワクラバは山頂へとたどり着いた。魔物達の現れる方向が余りに偏っていたため、アルティフ達の操作が入っていたのは明らかであったが、残念ながら多勢に無勢。彼女たちは頂上に行く日を送らせることしか出来なかった。
予め円形に木々が切り払われ、整地された山頂は闘技場さながらであった。
「よくぞたどり着いたねえ」
ココーと見知らぬ男二人に囲まれ、中央で微笑みながら労いの言葉を贈るアルティフに言いようのない怒りが沸き上がり、咄嗟に殴りかかろうとする。が、ワクラバに肩を掴まれ制止される。何故だと食ってかかるも、彼女は黙って首を振るだけだった。
説明してくれないワクラバと、彼女の意図を汲めない自分に腹が立ち、肩を掴んでいる手を振り払う。途端、アルティフが手を叩いて愉快そうに笑う。ぶん殴るぞと怒鳴ると、更に彼は嬉しそうに笑った。
もう我慢ならんと、腹の奥に力を込める。まだ慣れない体の発熱に顔を歪めた時、意識が飛ぶかと思うほどの力で頭部を殴られた。
「見なさい、仲間割れだ。いやあ、醜いねえ」
けたたましいまでの耳鳴りと耳障りなアルティフの笑い声に臓腑を燃やすような怒りを燃やしながら、衝撃で勝手に動き出した足を止めて殴った本人、ワクラバを睨む。が、軽い脳しんとうを起こしているのか、死線は定まらず、足は止まらず、あろうことかふらふらとアルティフの方へと近づいてしまう。
足が止まった頃にはすぐ後ろにココーの姿があり、此処で会ったが百年目と裏拳を叩き込もうとする。が、足下が覚束ない状態での拳が素直に届くわけもなく、コユキは逆に腹部に蹴りを入れられ、元の位置まで吹っ飛ばされた。
「こんな舞台まで用意しよってからに……。きさんら、私らに何を求める?」
逆流する胃液をこらえていると嫌悪感を露わにしたワクラバの声が聞こえてきた。見ずともその嫌悪感はアルティフ達に向けられていると分かり、コユキは息を整えると、まだ涙が滲んだ目で彼女の姿を見上げる。
「何を? 君はもう分かっているだろう。君は実に反抗的で愚かではあるが、決して馬鹿ではない」
「下衆が……」
ぎりりと口を噛んだワクラバへ、アルティフの笑い声が投げかけられる。
笑うなとコユキが怒鳴ろうとした瞬間、コユキの前に一振りの剣が投げられた。
カラカラと金属特有の耳障りな音を立て、それはコユキの目の前で止まる。
「君だけ獲物を持っていてはフェアではないだろう。私は可能性を潰すのは嫌いでね」
要するにこの剣でワクラバと戦えと言うのだろう。
どこか勝ち誇った表情のアルティフに言いようのない怒りを覚えながら、コユキは剣を手に取り立ち上がる。コユキが立ち上がると共にアルティフの口角がつり上がり、最早コユキの怒りは最高潮に達していた。
「そりゃあ、お気遣いどうも!」
感情のまま怒りを爆発させたコユキは剣を抜いてアルティフに切りかかる。
が、そのような展開は既に読まれており、コユキが走り出すと同時に護衛がアルティフの前に立ちふさがる。が、意外なことに今回動いたのはココーではなく、もう一人のつり目の男であった。
「はぁ〜い。不良品ちゃん、残念だけど君の拙い攻撃なんて、この御方にに届くわけがないんだよねぇ」
男は細い目を更に細め、コユキの腕を掴むと意図も容易くその体を地面に組み敷く。
「ですよね!」
「はは、相変わらず変なとこで素直だよねぇ。……オレの幻術にはかからねぇ癖に」
「は?」
男の発言に疑問を抱いていると、押さえつけられた腕に力が込められる。
ミシミシと骨がきしむ感覚に意図せずくぐもった悲鳴が漏れる。声を出さないよう堪えていると、耳元で男の愉快そうな笑い声がした。ああ、こいつとアルティフは同種なんだな。コユキは痛みに顔を歪ませながらも、男の性格を分析した。
が、分析したところでこの状況が打破されるわけでもない。まずはこの状況打破を考えねば。骨折へのカウントダウンをひしひしと感じながら、冷静に考える。が、元より冷静に考えることが苦手である上、このような痛みが迫る状況では更に頭が回らない。
走行する内にも腕に込められた力は増し、耳元では、「あれ? 意外と丈夫だね」という声すら聞こえる。その言葉で完全に折る気だと分かったコユキは折られてたまるかと暴れる。が、逆にそれは骨に負担を与えるだけとなってしまった。
ーー動いて駄目なら仕方ない。あのよくわからん能力に頼るまでだ!
八方ふさがりになったコユキはワクラバと対峙してから使えるようになった能力を使おうと集中する。
薄ぼんやりとコユキの体が光る。
その光は非常に弱く、押さえている男ですら気が付かないほどであった。それが幸いし、コユキは気づかれることなく能力の発動を行う。が、コユキのすぐ頭の上を炎が撫でたため、微かな光は即座に消え失せた。
「おーっと、危ない。仲間ごと焼くつもり?」
炎を避け、アルティフの元に下がった男は大げさに肩を落として見せる。
「舐めるな。それ位の加減は出来る」
髪焦げたんですけど。その言葉をぐっと堪え、痛む腕を庇いながらワクラバの元へと戻る。その格好はひどく惨めであったが、そんなことを気にする余裕はなかった。
ワクラバの足下で腕の調子を確認する。痛みはするものの折れてはいないようで、腕の曲げ延ばしも指の動きも問題はない。よしと安堵し、立ち上がる。
「おんし等は私達に殺し合いをさせたいのだろう? だが、それを断ればどうする?」
「断るも何も。それしか道は無い。君達は互いに守らねばならない相手がいるからね」
ねえ。
最早胡散臭いとしか思えない満面の笑みで見つめられ、コユキは身震いした。
ワクラバを殺したくない。と言うより勝てる気がしない。が、それを選べば、施設に残されたケーガンは間違いなく殺される。施設にいる他のシキによって。
コユキが言えたものではないが、ケーガンは弱い。未来予知という彼女の能力は戦闘に向いておらず、又ケーガンも武を求めなかった為、彼女の戦闘能力は魔物にも劣る。
そんなケーガンが他のシキに襲われたとしたら……。結果は分かりきっている。
「コユキ」
「……分かってるよ」
ワクラバの声に後押しされるように距離を取り、剣を構える。
大量生産のものであろう、得にこれと言って特徴のない剣の先にワクラバの顔が見えた。
彼女の顔はいつも通りの愛想の無い仏頂面。しかしそこに怒りの感情はない。むしろこちらを気遣っているような慈愛すら感じる。
ーー本当、嫌になる。
心の中で毒づき、少しの間で育んだワクラバとの友情をかき消すように声を上げ、切りかかる。
すぐさま応じるワクラバの剣は非常に重く、剣越しに伝わる衝撃だというのに腕に裂かれたような衝撃が走る。しかし気力で剣を握り直し、再度彼女へと切りかかる。が、それも意図も容易く受けられ、それも切りかかっている此方の方がダメージを追っているようで、コユキは改めてワクラバの実力に身震いした。
「そんなものか。……行くぞ」
痺れる手に、痛いと大声で叫びたい気持ちを堪えていると、不意にワクラバが押し殺したような声で呟き、それまでと構えを変える。
え。と言うまでもなく、気が付けば軍刀がコユキの頬を掠めていた。
たらりと頬を血が伝う感覚と、遅れてやってきた焼けるような痛覚にコユキは暫し動きを止める。否、あまりの実力の差に止めざるを得なかった。
ワクラバの強さは知っていると思っていた。だが、それは能力を使った上での彼女の化け物じみた強さだった。そんな彼女に一杯食わせたことで、コユキは少し思い上がっていた。「能力を使った状態で優勢になったのだから、使っていなければ勝てるのではないか」と。
だが、現実は甘くなかった。今の彼女は能力を使用していない。だが、コユキは今、ぼろ雑巾のようになぶられている。つまるところ、ワクラバは能力を使おうがそうでなかろうが、化け物じみた強さを誇っているのである。
隔離された辺境の地で生きていたコユキは、軍隊というものがどういう物なのか知らなかった。そんな状態なのだから、ワクラバの肩にある三つの鷲の印が何を意味しているのかも知るはずがなかった。
「ふぅん。期待外れだったかねぇ……」
一方的に痛めつけられているコユキを眺め、アルティフはつまらなそうに呟いた。
「まー、あの赤毛の女は元中将らしいですし、仕方無いんじゃないですか? 軍人とただの田舎娘を戦わせる時点で分かっていたのでは?」
「うん、分かっていたとも。分かってはいるのだけど」
無様に地面に伏すコユキを再度眺め、アルティフは蓄えた髭をゆっくりなぞる。
「私は人間の進化の可能性を見てみたいんだよ。君たちのように、一度文明に身を任せ、退化した人間が壁を乗り越える様を」
「はぁ、そんな高貴な楽しみ方はオレには良く分からないですねー」
「でも君も楽しんでいるだろう?」
「流石良くご存じで。うん、楽しくて仕方ないですね」
にこにこと笑っていた男は切れ長の目を開け、マウントを取られて一方的に殴られているコユキを見る。
特殊な血筋の王家を圧倒的武力で守っていた軍に所属しており、しかも女で中将まで上り詰めたワクラバの実力は伊達ではなかった。無駄のない動きでコユキを追いつめ、マウントを取ってからは執拗に急所である顔面ばかり狙っている。仮にも行動を共にした相手の顔面を、躊躇なく殴り付ける辺り、流石戦闘のプロの軍人と言ったところか。勿論コユキも腕で防御をするのだが、そんなものは無いに等しい。
ーーはは、無様。
高ぶった感情を隠しきれず、男はクククと喉の奥で笑う。
アルティフに人体実験を施され、ヒトであることを失った代わりに強大な力を手にした男は、自分の立場を理解してからアルティフに牙を向ける愚かな下等種の調教を担当していた。が、実のところ彼が施したのは調教とは名ばかりの、力と権力による一方的な虐待であった。
精神的な支配、拷問、リンチの果て、当初キャンキャンと牙を剥いていた愚かな下等種は次第に鳴き声を上げぬようになり、そして自分で牙を折った。無論、そこにたどり着くまでに息絶える、彼曰く”生きる意志が無かった者”もいたが、彼は弱った者には手厚い看護を施し、そういった例がなるべく起こらないよう尽力した。
が、それは彼が一般的に”優しい”のではなく、己が目的のためである。彼は自分に敵意を持っていた者が、諦め、自らの意志で服従する姿を見るのが大好きなのだ。その楽しみの前に死なれてはうま味が減る。だから彼は弱ったものを献身的に介抱していた。介抱すれば楽しみが増えるし、おまけで優しくされていると勘違いした愚か者がころっと自分を崇拝する事があるからだ。それはそれで美味しいと彼は感じていた。
彼の能力と、人間ではない力のおかげで彼の欲望は日々満たされていた。しかし、どんな物にも予想外の事態というのは起こってしまう。
事実彼にも意にそぐわず死んでしまうものや、服従しないまま適合してしまうものが少なからずいた。
非常に腹立たしかったが、そういったものは大抵付き合いが短いものであったから辛うじて我慢が出来たし、他の者をなぶれば気が済んだ。が、どうにも、今目の前で血塗れーーもとい片方が一方的に血塗れになっている二人はそれに該当しなかった。
ワクラバの方は能力を扱うのが上手かったため、逆に下手に手出しが出来なかった。どうも獣の遺伝子を入れられたからか、彼女の能力である炎は相性が悪いのだ。腹立たしいは腹立たしいが、妙に手を出して怪我をするのは馬鹿らしい。
が、問題はコユキだ。
こいつは人間であるときから暴れ倒し、反抗し、ほとほと手を焼かせてくれた。しかも大して強くもないから、少し苛立って力を入れすぎると、簡単に死にかける。実際彼は何度か彼女を殺しかけてアルティフに叱責を受けていた。
放っておけば鼻につき、手を出せば死にそうになる。そのくせ全くこちらに平伏しない。ただただコユキの存在は厄介だった。
そんなコユキが今、目の前で為す術もなく血濡れになっている。これで死んでも手を出しているのは自分ではないのだから怒られることもない。最高だった。
「うーん、参ったなぁ。このままじゃ死んじゃうなあ」
口元を押さえて笑っているとぽつりとアルティフが呟いた。
別に良いのでは。むしろさっさと死ね。今までの腸が煮えくり返るような経験を反芻していると、それまで沈黙を保っていたココーがすっと下がる。
ココー。仲間ながらも、この男も良く分からなかった。
一緒にいてもわかるのは、口数などほぼ無く、アルティフの命令だけを忠実にこなす。馬鹿みたいに強い。ということだ。
能力も謎が多く、分かってるのは二つしか手に入れていない”この世に存在しない”生き物の遺伝子を持っている。と言うことだけだ。
ズルいな。腹の底から沸き上がる黒い感情に身を任せていると、後方からココーと、他に近づいてくる足音がした。思い当たる足音を連想し、男はニヤリと笑う。
「特等席へようこそ」
わざとらしく恭しく一礼をし、男はココーの後方に控える二人の人物に目を配らせる。と言っても、二人の内一人は目隠しをされ、鎖に繋がれているので、男の仕草など見えはしないのだが。
急に増えた気配に、問答無用でコユキの顔面を殴っていたワクラバが顔を上げ、そして鋭い目を驚愕に見開く。
続いて連撃が止まったことに違和感を覚えたコユキも状態を上げてワクラバの視線の元を探る。その顔は歪ながんもどきのように腫れ上がっており、あまりに凄惨を極めたその顔には、流石の男もうわあと息を呑んだ。
「一方的な試合だったからねぇ。少しスパイスを加えさせて頂くよ」
瞼が腫れているせいで何も見えないコユキには、耳からの情報しか入ってこない。瞼をこじ開けようと奮闘するコユキの傍らで、ワクラバはふらりと立ち上がると、震える声で目隠しをされた者の名を呼ぶ。
「ヴァルジェタ王妃……」
震える声で呟いたのは、ワクラバの国にとって、ワクラバ自身にとって至高の宝と言える存在。ワクラバがアルティフに囚われている人質その人であった。
ワクラバの国の王族の血筋には朝焼けのような色をした目を持つ者が生まれる。中でもヴァルジェタ王妃は特に美しい目をしており、どんな者にも分け隔て無く接するその姿から、朝日の妖精と呼ばれていた。
そんな生粋のお姫様と、たかだか中将のワクラバに深い親好があるわけではない。ただ、軍隊の中に女が混じっていることを珍しがり、一度話をしたい。と言われただけだ。
だが、そんなことはどうだっていい。ワクラバが王女を守るのは、自分が国の剣であり、盾である軍隊に所属した自分の責務だった。
「貴様……ッ!」
「何もしていないさ。私はキミが此処にいる限り王女に手を出さないと言う約束を守っている。我々は約束を守らねばならないからね」
それは紛れもない事実。
国を襲われ、軍隊が壊滅し、実験室で王女と対面した折、ワクラバは提案した。自分が被験者になる。だから王女には手を出すな。と。その約束は守られ、王女はまだこうして人のまま生きている。先日、ワクラバがシキの一人を説得し、王女を連れて逃げようとしなければ、きっとこの先もそうだっただろう。
ーー私は、この御方を守らねば……!
決意新たに拳を握るワクラバ。そしてその足下で転がっているコユキも、連れてこられた人質ーーケーガンを見て、それほど開かない目を丸くする。
「あれ、ケーガン」
「コユキよ、ずいぶん酷い顔をしておるな」
「ですよねー。参ったなあ」
こちらはこちらで状況を理解しているのか、たはは。と呑気に笑い合う。
「ケーガン、多分私負ける」
ひとしきり笑った後、コユキはがんもどきの顔にうっすら笑みを浮かべて自身の敗北をほのめかす。それは即ちケーガンの死を意味しており、決して笑って言うものではない。
しかし、コユキは笑っていた。
「じゃあ、私達続きするから。……邪魔、すんなよ」
その言葉と同時にコユキはワクラバに飛びかかる。が、ものの数秒で地面に叩きつけられ、再び跨がられる。
「おい、これではキミが……」
「お前等が殺し合えって言ったんだろ。なら、邪魔せずに見ておけよ」
「ふむ? 君が一方的に殺られる姿を、かい? しかしそれではこちらが出した条件とも違うのだが」
「はあ!? 誰が一方的にだよ!」
明らかに敗北の色が強いにも関わらず、それを分かっているのかいないのか。コユキはその主張は納得いかないと吠える。
「ふむ、じゃあ相手が手加減でもしてくれて……」
「見りゃ分かんだろ!? これの何処が手加減無しなんだよ!!」
どうにも会話が出来ない。
酷い顔に酷い主張。呆気にとられる一同と、クスクス笑うケーガンの前で、尚も冷静なワクラバは静かに剣を抜いた。
ぎらり、と月の明かりを受けて剣が光る。
その切っ先は、コユキの胸元に向けられている。
剣を握る手が僅かに震えた。余計なことを考えるな、手元が狂えば、苦しめてしまう。
「お互い人質取られているんだ。だから、手加減無し。どっちが勝っても恨みっこ無しと決めたんだ……!」
ドン。と胸に衝撃が走る。
何が起きたのか分からず、思考が停止する。
深呼吸をしよう。そう思い、息を吸うが、大して酸素は入ってこず、変わりにヒュウと耳障りな音が喉から漏れた。そしてそのまま、コユキの意識は奈落へと落ちていったのだった。