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「てめぇ自分が何を言ってんのか分かってんのか!?」
 レウニオンの丘から少し離れた森林地帯。
 普段は鳥の声がする程度の静かなこの森に、クサカの怒声がこだまする。
 その声に驚いた鳥が羽ばたいた真下には、セツ達シキ一行が佇んでいる。晴天の下、木漏れ日が漏れる中だというのに、その雰囲気はお世辞にも良いものとは言えない。
 クサカの怒りの矛先は当然と言うべきだろうか、セツに向けられていた。しかし、セツは怒りを露わにされても何一つ動じず、それどころか弁明の一つもしようとしない。
「聞いてんのかよ!」
「クサカ、止めとけって! セツもしっかり説明しなきゃ。どうして残りの封印破りは一人で行くだなんて言い出したんだい?」
 掴みかかろうとするクサカをクロハエが制するも、セツは尚も黙ったまま説明しようとしない。
 レウニオンの丘から離れてすぐに、セツは話したいことがあると言った。セツが意見を口にするのは珍しかったが、そこは魔物の数が多く、ゆっくりと話が出来るような場所ではなかったため、一同は比較的魔物の数が少ないこの森へと移動した。
 そこで本題に入ったのだが、開口一番「別行動をしたい」と言い出したため、元よりセツに不信感を抱いているクサカは、どうせ一人で行動してサイに着くつもりだろう。と怒りを爆発させたのであった。
「セツ、何故だ?」
 ココーに問われても、セツは頑として口を割ろうとしない。
 このままでは埒があかないな。誰もが匙を投げかけたとき、ふとケミがやましくないなら言えばいいのに。と漏らした。途端、今まで誰が言っても何の反応も示さなかったセツがじっと彼女を見た。
 反らされることもなく、じっと見つめられていることに気付いたケミは、何か変なことを言ったのかと少し考えたが、特に思い当たることもなかったので何よとばかりにセツを見返す。
「……おお、何か知らんが無言の戦いが起こっているぞ。でも何でケミ? 俺らも同じようなこと言ったのに」
「俺に聞くな。あとそろそろ離してやれ」
 ココーの指摘に、首を羽交い締めにされたクサカが落ちかけていたことに気付いたクロハエは、危ない危ないと顔色の悪いクサカを解放する。途端、怒りの矛先がクロハエに変わったクサカは無言で彼に殴りかかる。
 背後で乱闘が起きているなど一切気にせず、いつ終わるともしれぬ睨み合いを続けていた女二人だが、その無言の戦いにも終止符を打ったのは意外にも黙りを決め込んでいたセツであった。
「ケミ、本当に見る覚悟はあるのですか?」
「はあ?」
 何故自分だけそのような質問をされるのか。理解に苦しんだケミは不快感を露わにする。
「覚悟も何も、私たち、こんな身体になってから覚悟しかしてないでしょ。生きる覚悟、死ぬ覚悟、戦う覚悟……。今更何を覚悟しろっての?」
「知る覚悟です。私を含め、シキの者は真実から目を背けて来ました。ケミ、そして皆さん、本当に真実を知る覚悟は出来ているのですね?」
「……その前に問う。セツ、お前は一体何を知っている」
「まだ、何も。私もあなた達と同じ、真実が見えていない者です」
 何やら含みのある言葉に、一同は少し黙る。が、答えは既に決まっていた。
「どんな真実か知らないけど、ここまで来たら見るしか無いじゃない。こちとら三千年以上もぐだぐだ生かされていい加減疲れてんの。この永遠に続く地獄が終わるなら、幾らでも見てやるわよ」
 きっぱりとそう言いきると、周囲の仲間達も当然だというように首を縦に振る。その様子を見たセツは分かりました。と皆の意見を了承し、次の行き先を告げる。
「次の封印はエルマーナ熱帯雨林です」
 行き先を聞いた途端、ケミの表情が驚愕のものへと変わる。
 エルマーナ熱帯雨林。それは、ケミの部族が住んでいた土地で、彼女と妹であるミズチの懐かしい故郷でもあり、彼女らが捕まった忌々しい地でもあった。
 ケミは頭に血が昇りやすく、クサカに並んで冷静とは縁遠い性格である。にも関わらず、彼女は今必死に冷静になろうしていた。が、その涙ぐましい努力は次にセツが放った言葉により、あっけなく壊されてしまう。
「次の封印はあなたの妹、ミズチに施してあります」
「ふざけんな! あの……あいつは私が殺した! 研究所で、この手で!」
 混乱と行き場のない怒りにより、言葉が乱れる。吠えるようにして叫ばれた言葉に、それまで乱闘をしていたクサカとクロハエが動きを止めてこちらを見る。だが、そんなことに構う余裕はなかった。
 ケミは覚えていた。否、忘れられるわけがなかった。適合せず、醜い姿となった妹の命を奪った感覚を。血を分けた唯一の肉親の身体に、自分の拳がめり込んだあの感触を。
 幾ら戦闘民族の思考を強く受け継ぎ、兄弟の死も悲観しなかった彼女だが、何故か妹のミズチのことは忘れることなど出来なかった。人を辞めたきっかけである妹の最期を、どうして忘れることが出来ようか。
「あの時、彼女は死んでいませんでした。あなただって手加減したことを覚えているでしょう?」
「ああそうだよ! 私はあの子の心の臓を止められなかった。半死の傷を負わせて……逃げたんだ」
「そうです。あなたも、妹さんも、組み込まれた遺伝子は蛇です。蛇の生命力はすさまじい。幸か不幸か、妹さんはその生命力のおかげで私の封印対象となり、今まで半死半生の状態で生きている。あなたが、殺したくないと自分に甘えたおかげで」
「お前……っ!!」
 周囲の制止を振り切り、激昂したケミがセツへと掴みかかる。
 頭に血が昇りやすいとは言え、彼女がここまで感情を露わにすることはそう多くない。だが、今の彼女は触れられたくない過去の過ちを暴かれ、その上死んだとばかり思っていた妹が、未だに生きていることを知り、完全に我を忘れていた。
「殴るのなら、どうぞご勝手に。しかし、これは私だけの責任ではありません。そもそもあなたが逃げたからこうなったのです」
「っ黙れ!」
 怒声と共にケミの拳がセツの左頬へと叩き込まれる。
 鈍い音をたてて、拳の流れに従い右へとうなだれたセツは、血混じりの唾を吐き、満足ですか? と、白い光を放つ目を向け、ケミを逆撫でするような発言をする。
 その後はまさに売り言葉に買い言葉。すっかり我を失ったケミは、ココーが止めるまで、何度も、何度もセツを殴った。ココーによって引き離された時、ケミの手は返り血と自身の手の裂傷により血塗れとなっており、顔も返り血で斑模様になっていた。
 彼女は肩で息をしながら、クロハエに抱えられるセツを睨む。妹をまだこの世に縛っている目の前の女は、顔が血塗れになり、原型が分からぬほど腫れ上がっているにも関わらず黒い目で静かにこちらを見ていた。
 それがどうしようもなく癪に触り、また掴みかかろうとするが、その手はココーによって止められる。
「その辺にしておけ。セツを殺す気か?」
「それでも、あいつは……!」
「お前の私情で俺たち全員の希望を潰されて良いとでも?」
 静かに窘められ、やっと冷静になったケミは静かに謝罪する。
 謝る相手が違うと言われ、ぐうと唸りそうになるが何とかこらえてセツを見る。が、自分の妹にされた仕打ちを考えると、到底謝る気にはなれず、今度こそぐうと唸る。
「謝罪など要りません。それより急ぎましょう。妹さんのことを思うのならば」
「お前、反省したんじゃねえのかよ……」
 セツの物言いに脊髄反射で殴りかかろうとするケミに、クサカが呆れたように呟く。途端、彼女は黙れと、それはそれはドスの利いた低い声で牽制した。
 クロハエの看病もそこそこに一行を先導して歩き始めたセツに渋々着いて行きながら、ケミは憎しみの色が濃く現れた目でセツを睨み付ける。その目には、今まで微量に残っていたセツへの親しみなど、一切見受けられない。
 遠くで雷鳴が聞こえた。
 これから一同は熱帯へと足を踏み入れる。そこではスコールが頻繁に起こり、それにより幾度と無く足止めをされることは確実だ。
「……荒れそうだな」
 空を見つめ、ココーはぽつりと呟く。
 その言葉に共感するかのように、また雷鳴が一つ轟いた。

 ・

 夜に差し掛かった頃、ココーの予感は見事的中し、一同は滝の如く降り注ぐ雨に打たれ、足を止めざるを得なかった。
 雨は体温を奪い、ぬかるんだ地面は足を取る。恵まれていない環境は心の余裕を奪い、怒りを焚きつけ余計な争いを生む。
 雨が止みそうにないと判断したココーは、見つけた洞窟で夜を明かすことを決めた。でしょうねと大人しくその判断に従い、洞窟に入っていく一行の中で、セツだけはいつまで経っても洞窟に入ろうとしなかった。
 案の定自分がいたら皆が良い思いをしないと言い張り、セツは足が鉛で出来ているのかと疑いたくなるほど頑として動かない。事実なだけに返答に困り、セツは今夜も一人寝所を分けるかと思われた。が、それは意外な人物によって阻まれる。
「んなの火を見るより明らかじゃねえか。どこのどいつがお前を見て良い思いするんだよ」
 雨に打たれ、顔にまいた包帯が解けそうになっているセツへと、クサカはばっさりと言い切る。
「お前が出て行けば楽だ。何の気がかりも無いからな。でもな、お前を一人好きにさせると逃げられる危険性がある。お前に逃げられたら俺たちの目的は永遠に達成しねえ。だからお前は俺たちの目の届く範囲にいろ。良いか。これは監視だ。俺達の目的を達成するまで、お前は俺達から離れるな。わかったらさっさと入って、その鬱陶しい格好何とかしてさっさと寝ろ。出来るだけ視界に入らねえような場所で、出来るだけ音を立てず存在感も出さず、一人小さくなって寝ろ。そんで死ね!」
 最期の一言が矛盾しているものの、セツはクサカの言葉に納得したようで、わかりましたと呟くとそのまま洞窟の中へと入ってくる。
 一同の視線を一身に浴びながら進んだセツは自分に向けられている一際強い視線に気付く。そこには当然の如くケミが険しい顔でこちらを見ていた。一度視線を合わせ、そしてゆっくりと反らしたセツはまるで何事もなかったかのように、暗い洞窟を進んでいく。
 この洞窟は入り口は一つしかないものの、細長く奥へ奥へと延びていた。しばらく洞窟の中を歩いたセツは隅の方に窪みがあることを確認すると足を止め、近くにいたムカデや甲虫などを追い払うと、荷物袋から大ガエルの頬袋で作った防水の袋を取り出す。
 そこからゴザを取り出すと、彼女はすっかり塗れてしまった服を脱いで水気を絞ると、汚れないようにゴザの上に置く。そして次に替えの服と海綿を取り出し、身体に着いた水分を丁寧に拭き取っていく。
 着替えたセツは次に顔に巻かれた包帯に手を伸ばす。軽く引くと、水気で重くなった包帯はするすると面白いように解けていく。露わになった顔は、所々樹液のような結晶に覆われているものの、あれほど強く殴られたにも関わらず、怪我一つ無い綺麗なものであった。
「まだ早い」
 ぽつりとそう呟くと、まるでその言葉に呼応するようにして彼女の周囲を真珠色の光が踊った。

 残された面々は洞窟の入り口付近の比較的広い空間で静かに夕食を取っていた。この場にセツがいないにも関わらず、空気はお世辞にも良いとは言えず、重苦しく、殺伐としたものとなっている。
 その原因であるケミは額に深いしわを刻んだまま、ただ黙って酒を口に運ぶ。彼女が何を考えているかは、皆言葉にせずとも分かっていた。むしろ言葉に出してはいけないと考えていた。ただ一人を除いては。
「妹のことがそんなにショックか?」
 躊躇うことすらせず、当たり前のように禁忌に触れたココーに、クロハエは絶句し、ウリハリは凍り付き、クサカさえも青ざめる。
 だが、空気を読むという行為を知らない彼は、周囲の心配など余所に弁解の一つもせずに無言でケミの返答を催促する。
「……いえ。最初はそうでした。今はセツの手の上で転がされたことに気付いていなかった自分に腹が立っています」
 酒瓶でココーの脳天をかち割るのではないかとはらはらして状況を見守る一同だったが、意外にもケミは冷静に言葉を返していた。
 ぐいと瓶に口を付けて直接酒を飲んだケミは、空いた瓶を自分の太股に叩きつけた。その音に見守る一同はびくりと肩を竦めたものの、彼女は気にする素振りもなく語る。
「セツ、わざと私に殴られていたんでしょう? ココーさん達の邪魔までして」
「気付いていたのか」
「ええ。我を忘れた私を見れば、クロハエとあなたは確実に止めに入るでしょう。でも、あの時はセツの顔が腫れ上がっても止めなかった。恐らく、結界で足を固めでもしたんでしょう」
 ケミの言う通り、あの時ココーとクロハエの足はセツの身体から伸びた結界によって地面につなぎ止められていた。クサカとウリハリは何もされていなかったため、セツがケミを止めそうな者をあえて止めたというのは安易に想像できる。
 しかし、その意図が想像できなかった。ケミがセツを殴ることによって、少しでも怒りを緩和させようとした。という考えが一番妥当であるが、今のセツがそのような自分の利益になるようなことをするとは思えないし、殴られた直後に逆撫でするような発言もしている。
「……あの子は一体何を考えているのでしょうか」
「それが分かれば苦労しないんだけどねえ。でも、今でもセツはケミのことを慕っていると思うよ」
「は? どこがよ」
「だって、セツ、ケミ以外には口を割らなかったし、話す前に本当に良いのか? って念押ししていたじゃないか。何も思っていないなら、あんな言葉口にしないと思うけどな」
「まあ、それは一理あるけどね……」
 気まずそうに眉をひそめ、次の瓶を開ける。
 クロハエの言う通り、セツは念を押してから真実を伝えた。結果的にそれがケミの怒りを買ったわけだが、何故彼女はわざわざそんなことを聞いたのだろうか?
 ーー私が傷つくことを危惧して? まさか、あり得ない。だって、あいつは感情を持っていない。死んだシキの細胞から作られたセツは生まれた直後からアルティフの駒になるための調教を受けた。無駄なく作られたあれは、私たちの任務に混じったときも……。
 ふと違和感を感じてケミは再度眉をひそめた。
 何かが引っかかった。何かは分からないが、何か重要で、忘れてはいけないのに忘れてしまっている大事なこと……。
 セツが生まれたのは聖戦直前のことだったはずだ。それに対し、自分とミズチが捕まった時、シキにはヒワ、クロハエ、ココーがいた。クサカとウリハリは……。
『まだ、早いよ』
 懐かしい仲間の声がしたような気がして、ケミははっと顔を上げて洞窟内を見渡す。目に映るのは怪訝な表情でこちらを見る見慣れた顔ばかりで、目当ての顔は当然ながら無い。
 大丈夫かと声をかけられながら、彼女は再び視線を落とす。
 幻聴かもしれないが、あの声は間違いなくヒワのものであった。どうして彼の声がしたのだろう? 変わってしまう前の彼の姿を思い描きながら、ケミは瓶に口を付けて酒を流し込む。
 喉を焼くようにして流れていく酒が、自分の中の割り切れない気持ちを流してくれるような気がした。しかし、それは違和感をも一緒に流していき、次の瞬間、彼女は違和感はおろか、自分が疑問に感じたことすら綺麗に忘れ去っていた。 


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