柔らかな朝日が木造の家の窓から差し込む。
部屋の中は朝特有の清々しい香りで満ちあふれていた。飾り気の無い部屋の隅で寝返りを打つ人物がいた。
い草で編まれた床の上に布団を敷いて転がっているその人物は、何の前触れも無くいきなり上半身を起こすと、伸びをすると共に盛大な欠伸をした。
「うあーっ……おはよ」
その人物――少女はボサボサの寝癖をつけたまま、枕元にある写真に挨拶をした。
セピア色の写真にはまだ幼い半べその彼女と、慰めるように寄り添う十数年前に亡くなった愛犬が写っている。
もう一度大きく伸びをすると彼女は寝ぼけ眼のまま、のれんのかかった部屋の入り口へと歩いて行った。
彼女が出て行った後に、窓から入ってきた木の葉が写真の前に舞い落ちた。
よく見ると写真には何か文字が書かれている。
――ユキとタマオ――
文字の位置から見て"ユキ"が彼女で"タマオ"が隣に座っている犬なのだろう。
カタン。軽い音とともに、突然窓からローブを被った人物が部屋へと入ってきた。
その人物はゆっくりと辺りを見渡すと、床に降りて枕元に置いてあった写真を手に取って見つめた。
「……セツ」
声からして成人した男性であろうその人物は、小さくそう呟くと写真を元の位置に置き、薄緑色の半透明の石を置いて窓の外へと去って行った。
・
―秘境の地"ノシド"―
この世界で半分伝説とまでいわれている秘境の地。
周りを断崖絶壁で囲まれ、崖から無数の滝が流れている為に外部からの進入は出来ない。
加えて、聖域である森の頂上に群生する結界樹が発する結界のおかげで外部との関わりは無いに等しい。
しかし秘境とは言っても、まれに外からやって来る人もいるし、昔から住んでいた人々も居るため、数は少ないが立派な集落が出来ている。
そして、ノシドに住む人には長い間外部と関わりを持たなかった為に、独特の言葉である"ノシド語"と、ノシド特有の伝説が伝えられている。
そして、彼女――ユキは昔から住む土着の民、ノシド人の子孫であり、年に一度の"魂鎮め"という儀式に選ばれていた。
魂鎮めの儀式に選ばれることは非常に名誉あることであり、ユキも選抜されたことを非常に光栄に思っていた。しかし、この魂鎮めこそが、彼女の人生を大きく変える節目となるのだった――。
・
愛犬の散歩、寝癖直し、朝食と順に済ませた彼女は自室に戻って学校指定の制服に着替えていた。と、窓から筒を持った鳥が入ってきた。通称配達鳥というこの鳥は「ふるっふー」と得意げに鳴くと、筒が添えられている足をぐいっと突き出した。
「あー、ハルちゃん達だ」
引き出しから小皿と水を取り出した彼女は配達鳥にそれを与えながら、筒の手紙を取り出して差出人を見るなり嬉しそうに顔をほころばせた。差出人は既に嫁いだ三人の姉のハル、ナツ、アキだったからだ。
しかし手紙には【魂鎮めちゃんとしろよ。今晩帰るから お姉様達より】とだけ記されているだけで、彼女は思わず苦笑する。
「絶対書いたのナッちゃんだろ」
四人姉妹の中でも段違いに破天荒な性格である二女、ナツを思い浮かべながら、彼女は水を飲み終えて窓から飛び立っていく配達鳥を見送った。
――みんな、旅立っていくんだよなぁ。私も、もうすぐ……。
ふと物憂げな表情になった彼女は愛犬との写真の前に何かが置いてあることに気づいた。
「ん? 何これ」
見慣れない薄緑の石を手に取った彼女はそれとなしに石を窓から差し込んでくる光に透かしてみる。
「きれい……なんか懐かしい感じがする」
光を受けて宝石のように輝く石を見て、思わずそう呟いた彼女は時間に余裕が無い事を思い出し、ブレザーのポケットに石を突っ込むと急ぎ足で部屋から出ていった。
「お神酒持った?」
「儀式の服は?」
「粗相するなよ?」
彼女が草履を履いていると、母、祖母、父の順に声をかけられた。
「最後以外は大丈夫! じゃあ行ってきます
「おいこら!!」」
あまり安心できない答えを返すと、彼女は荷物を入れた風呂敷を背負うと家の外へと飛び出す。
「おい、コレ持って行け」
しかし、家から出た直後に彼女は待ち構えていた祖父に呼び止められた。
不意に手を差し出され、慌てて彼女が手を出すと、手の中に何かが落ちた。
彼女は手のひらの上に落とされたモノをじっと見つめる。しかし、彼女が口を開くより先に祖父が説明する。
「昔から家に伝わるお守りだ。何があるかわからないからな、持って行け」
そう言うと祖父は彼女の頭に手を置いた。
彼女はしばらくの間古ぼけた赤いお守りを見つめていたが、嬉しそうに顔を上げて祖父を見た。
「ありがとう! でも、これおじいちゃんがいつも大切に持ってるお守りでしょ? 持って行っていいの?」
心配そうに尋ねる彼女に、祖父は髭だらけの日に焼けた顔を綻ばせて答えた。
「良いんだよ、今日は特別な日なんだからな。これは、じいちゃんが生まれるずっと前から家に伝わる物でな。何でもずっと昔から伝わっているそうだ」
そう言うと、祖父はそっとお守りが乗っている彼女の手をそっと包み込んだ。
「中身何なの? 硬いけど……」
彼女がお守りに触れながら聞くと、祖父は鼻で笑って答えた。
「秘密だ。まあお前を守ってくれるもの、とだけ言っておこうか」
「へえ……」
祖父の曖昧な返事に適当に相づちを打って、後でこっそり覗いてやろうと考えている彼女の肩を叩いて祖父は言い放った。
「こっそり見ようなんて考えるなよ、ご利益が無くなるからな」
祖父の言葉に図星を突かれた彼女は、胸の前で両手を振りながら否定した。が、妙に焦っている為にバレバレである。
そんな彼女を見た祖父はふと疑問に感じた事を尋ねた。
「遅刻、しないのか?」
その言葉を聞いた彼女は急いで空を見上げた。
日がいつもより高い位置にあることに気が付いた彼女の表情が強張る。
「やばばばいっ! お、おじいちゃん、行ってきます!」
半分叫び声のような声で祖父に挨拶をすると、彼女はブレザーのポケットにお守りを突っ込み、袴の裾がはだける勢いで学校へと走って行った。
「何事も無いと良いんだが……」
祖父は物凄い勢いで遠ざかって行く孫の背中にポツリと呟くと、横に置いてあった鍬を肩に担いで畑へと向かった。
・
一方、走り去った彼女はというと……。
「絶対やばいってコレー!」
学校へ通じる山道を叫びながら猛ダッシュしていた。
彼女が焦るのも無理は無い。
彼女が通っている学校は、家のある場所から山を一つ越えなければならない。しかも土地柄やたらと川が多い。それがまた学校の道のりを長くしていた。
三つ目の滝をくぐった所で彼女の体力は底を付きかけていた。
体力に対してはそこそこ自信があるものの、山道を走り抜けるのには無理があったようだ。
「し、しんどい……もうモトは取ったよなぁ?」
いつもより長く、かつ速く走った事により、彼女は「いつもより早めに進んでいる」と踏んだ。
しかし少しは不安なのか早足で進む。
「久しぶりに近道使うかっ!」
立ち止まって言うや否や彼女は沢へと飛び降りた。