木吉×日向×花宮 ※1年の時の話 山から行者が降りてきて、昔の話をする。戦の話、武将の話、何百年も前の出来事を、まるで目の前で見たかのように滔々と語ってみせる。珍しい、と人々は囃し立てた。 行者は娘を連れていたが、それはそれは酷く扱った。それでも娘は文句一つ漏らさぬ。男共はあえかなる娘の身の上を哀れんだ。 そのうち、行者の脇腹には、何本もの腕が生えていると噂がたった。 「蜘蛛の行者」 そう呼ばれ、人々は寄り付かなくなる。それでも娘は行者の傍を離れぬ。 或る日、行者の眠る側で、娘が髪をすいていた。身体は無数の傷や痣で覆われ、 男は無性に切なくなって、娘の腕をひいて走り出した。 娘は長い長い悲鳴をあげたが、男は構わず力任せに引きずって駆けた。 次第に娘の声は生糸のように掠れ、手は枯れ枝のように固く冷たい。 何かの拍子に転んだ娘を引き上げれば腕ばかり。 娘は、手足がばらばらにもげて死んでいた。 (百物語 其の八十二/蜘蛛の行者の話) 初めて、彼を見たとき、まだ絡み付いている、そう思った。細く、光に透けたそれが、何重にも彼に巻き付いている。決して逃げ出さないように、幾重にも幾重にも。 今度こそ救ってやりたかった。 だから、ゆっくりゆっくり時間をかけて、腕に、首に、脚に絡み付いた糸を、一本一本ほどいていった。 依然として糸は彼を縛っていたが、その大部分は既に消え、お情け程度に絡むだけ。その頃には、彼はすっかり笑うようになっていた。「鉄平、」そうはにかむ時すらあった。 今度こそ、救える。 そう思っていたのに。 「木吉!!」 顔を真っ青にして、日向が駆けてくる。大丈夫だ、とその手を握ってやりたいのに、力が全く入らない。悲痛そうに眉を寄せた日向は、キッと後ろに立つ男を睨み付けた。 「よくも……っ!」 「嫌だなァ、そっちが勝手に怪我しただけだろ?言い掛かりはよせよ」 にたり、吊り上がる唇の形を、俺は、知っていたのに。知っていた筈なのに。怒りに我を忘れた日向は、俺の懸命な叫びも届かない。 日向、そいつを呼んではいけない。 絡め取られて、また捕まってしまうよ。 「花宮、てめぇを、」 ざわざわざわざわ、花宮の影からゆっくりと這い上がる、その不気味な脚を、見たことがあったのに。 言うな、言っては駄目だ。 「死んでも、許さない……っ!!」 ――ああ。 飛び出してきた蜘蛛が、がんじがらめに日向を絡め取る。縺れ合う白い糸は日向の腕を脚を首を固く固く締め付け、決して離しはしない。 万が一逃げ出せたとしても、少しでも蜘蛛から離れたら最後、その腕が脚がもげてしまうように。自分の物でなくなるなら、命を刈り取れるように。 「そりゃあ良かった。忘れられちゃあ困るんだからなァ」 蜘蛛がカチカチと歯を鳴らして笑っている。もう逃がしはせぬ、と笑っている。 「なぁ、木吉。お前随分頑張ってたみたいだけどさぁ、やっぱり無駄だったなァ」 花宮の細い指先が、目の前に浮かぶ細い糸をついと掴んで、淀んだ目を細めた。 「この結末を招いたのはお前だよ。悲鳴の訳を聞いてやれば良かった、振り返ってやれば良かったのに、」 「ばァか」 感覚のない左足が、ずく、と疼いた。 後悔してももう遅い。 次に日向の腕をひいた時、彼はまた、俺の足元で、ばらばらになって踞るのだ。 山から行者が降りてきて、昔の話をする。戦の話、武将の話、何百年も前の出来事を、まるで目の前で見たかのように滔々と語ってみせる。珍しい、と人々は囃し立てた。 行者は娘を連れていたが、それはそれは酷く扱った。それでも娘は文句一つ漏らさぬ。男共はあえかなる娘の身の上を哀れんだ。 そのうち、行者の脇腹には、何本もの腕が生えていると噂がたった。 「蜘蛛の行者」 そう呼ばれ、人々は寄り付かなくなる。それでも娘は行者の傍を離れぬ。 或る日、行者の眠る側で、娘が髪をすいていた。身体は無数の傷や痣で覆われ、 男は無性に切なくなって、娘の腕をひいて走り出した。 娘は長い長い悲鳴をあげたが、男は構わず力任せに引きずって駆けた。 次第に娘の声は生糸のように掠れ、手は枯れ枝のように固く冷たい。 何かの拍子に転んだ娘を引き上げれば腕ばかり。 娘は、手足がばらばらにもげて死んでいた。 何処からともなく現れた、巨大な蜘蛛は、いたく大事そうにばらばらになった娘をかき集める。 「返しておくれ」 四つの目が、己の脚に縋りつく男を捉えると、大蜘蛛は哄った。 「愚かな男、娘の命を奪ったのは、お前だろうに」 男は声をあげて泣いた。 蜘蛛が去っても、男は泣き止まぬ。 後には絡み付く糸だけが残った。 糸 ------ 木吉→男 日向→娘 花宮→蜘蛛の行者 かつて自分が腕をひいて殺し、そして今、自分の膝で、彼を殺した。 |