中学を境に、僕はぐんと背を伸ばしました、身体も丈夫になって、親族に会う度に、あの小さかった子が、随分たくましくなって、お父さんの血かしらねぇ。そう言われるのにも、慣れてしまうほど。 だというに、僕は「探検」を続けていました。 「でっかくなったなーおい」 「まだ、日向さんには届きません」 「ずっと届かなくていいわダァホ」 そう言って、背を測る為に僕の額を掠める指先に、伏せられた睫毛に、何度、目を、耳を奪われたことでしょう。幼い頃に芽生えた小さな小さな感情は、成長するにつれ明確な形を持って、じわじわと僕を蝕みました。お別れの夕方の鐘の音が、嫌いになったのも、その頃でした。 でも、日向さんが、ふっと遠くを見るようになったのも、その頃でした。 僕と話しているのに、僕でない、僕の後ろを見ている感覚。僕というフィルター越しに、誰かを覗き込んでいるという感じ。 不快でした。苛立ちました。誰を見ているんだ、と、糾弾すれば良かったのでしょうが、日向さんのその唇から、明確な答えを聞くのが怖くて、僕は、結局何も進展しないまま、高校へと進学しました。 転機とは、何気ない日常に転がっているものです。 父が、そして僕が通った私立高校は、実にスポーツに意欲的で、その中でも飛び抜けて素晴らしい成績を残している部活がありました。ところ狭しと飾られたトロフィーの中、記念に撮られたであろう写真と、部活動紹介で朗々と語られた、その輝かしい歴史の始まりに。僕は。 僕、は。 「久し振り、元気してたか」 「はい、お久し振りです。日向さんも」 テストだ部活だなんだかんだに追われて、僕はすっかりあの家を訪れる機会を失っていました。前回会ったときは、真新しい制服に身を包んだ僕を見た日向さんに、爆笑されたのが最後だったから、随分久し振りです。ようやっとあらゆるものが一段落つき、此所に来ることが出来たのでした。 季節は夏、リーリーと草むらの虫が鳴き始めていました。半袖の隙間から風が入ってきて、その涼しさに初めて、じっとりと汗をかいていたことに気付きました。 ちょっと待ってろ、これだけ済ますから、そう言って、日向さんが玄関を箒で掃く、その見慣れた後ろ姿を見て、僕は唐突に理解しました。 理解した瞬間、ざっと景色が色を変えました。日向さんの着ている、長いコート、首に巻かれたマフラー、温かそうなブーツ。どれもこれも、今の季節とは不釣り合いなそれ。よくよく思い出すまでもなく、初めて出会った夏の日から、彼はずっと、ずっと、その格好でした。 ――日向さんは、この世のものではない。 その衝動に、僕はなんと名前をつけたら良いか分かりませんでした。 掃除を終え、縁側に座る僕の横に、いつもと同じように腰を下ろした日向さんを、僕は床に押し倒しました。縁側に繋がる部屋の畳の香りが、あるはずもないのに匂いました。 日向さんは凄く抵抗していたと思います。逃げ出そうともがいていたけれど、僕はとうに日向さんより体格も、上背も勝っていたから、押さえつけるのは至極簡単でした。 そこから先は夢のようでした。あれだけ触れたいと願っていた肌は、もう温度も、感触も思い出せません。 何度も何度も日向さんの名前を呼びました。呼ぶ度に、彼は、あの、僕を越えた誰かを見る、あの目をしました。それから、僕のよく知る名前を、溢しました。 僕は、嗚呼、もう、返してあげなくてはならない、と思いました。 早朝、眠っているであろう母や妹を起こさないように、ゆっくりと家の扉を開けると、リビングで父がコーヒーを飲んでいました。びっくりする僕を意に介するでもなく、いつもと同じ、のんびりとした笑みを浮かべて、お帰り、と笑う父に、今からする自分の仕打ちを考えて、年甲斐もなく泣きたくなりました。洗いざらいぶちまけて、それでも縋ってしまいたいと思いました。 でも、もう、終わりにする。 (一度だけ瞼を閉じる、甦る、夏の青空と、入道雲、目に刺さるような向日葵の黄色と、日向さんの黒髪、ああもう大丈夫、僕は、思い出せる、こんなにも綺麗に、大切に、この気持ちを磨きあげられた。) 「ねぇ、父さん。日向順平って、知ってる?僕、その人を抱いてきた」「可愛かったよ、何度も何度も、名前を呼んでくれて」 「鉄平、って」 痛みは、一拍遅れてやってきました。唇の端を伝う液体の感触は、とても生々しいものでした。殴りつけた手とは反対側で、父が僕の胸元を掴み上げます。なんだ、父にもこんな表情が出来るんじゃないか、そう何処か冷静な部分が呟いていました。 「何処だ、順平は、何処にいる!」 息が詰まりそうでした。剥き出しの殺意を間近で感じ、首が締まるほどシャツを引っ張られて、何よりこれから起こるだろう現実に、痛みからだけでなく零れそうな涙を、ぐっと堪えて、僕は言いました。 「××の家、」 父が息を飲んだのは、一瞬でした。次の瞬間には父は僕の胸元から手を離し、家を飛び出して行きました。父のたくましく、大きな背中は、どんどん小さくなっていきます。 その背中に、ああ、きっともう父は、二度と帰ってこないだろうなぁ、と思いました。 「お幸せに」 決して振り返らないその背中に、精一杯祈りました。 父が、交通事故に遭い、死んだという連絡が入ったのは、あの夏の日を思い起こすような、入道雲を連れた太陽が、完全に姿を現した頃でした。 僕の話は、これでおしまいです。 聞いて下さってありがとう。妻が呼んでいるので、もう行きます。 本当に、ありがとうございました。 お幸せに、父さん。 レイリー散乱 ----- 意味が分からないと思うので、補足 ▼日向は大学生のときに事故で死亡。死んだのが冬の日だったので、マフラー・コート・ブーツという格好 木吉は日向の死をずっと引きずってる ▼モブが通っていた空き家とは、取り壊されたはずの木吉の祖父母の家 日向の死後思い出すのが嫌で木吉が取り壊した だからモブが行っていた家は実は存在しない →キャプが出会い頭に「危ない」と言ったのは、生きてる人が死んだ人の世界にいすぎるのは、魂がひきずり込まれかねないから、という意味合い ▼部活云々まで、モブは木吉・日向がバスケをやっていたことを知らなかった ▼モブがなかなか来なかったのは、そこらへんを詳しく調べていたのもある ▼モブはがっつり木吉似。ただ髪の色は黒でそこだけ違う。成長するにつれ懐かしそうな顔をする日向に、この人誰かと俺を重ねてる?→父 さ ん か 行為中に日向が鉄平、と呼んだことで確信する 日向を木吉に返してあげなきゃなぁ、と思ったのだった ▼モブは家族という未練を持っていては木吉が日向に会えないと思って、わざと悪役に徹している ▼家を出てった木吉はキャプに会いに行く。日向がずっと待ってたのは木吉。 再会した木吉と日向がどうなったのかは分からない(あくまでモブ視点だから) でも木吉は日向のとこに行っちゃいましたよ>事故 ▼数十年後、成人し結婚したモブの、木吉の墓参りでの告白、という設定でした レイリー散乱…空が青く見える理由 |