三 | ナノ


蝋燭の評判は、海を越え、遠くまで伝わっていました。
遠い南の国から香具師がやって来たのは、ちょうど暑い夏の日でした。
蝋燭をくれ、と目も眩むような沢山の金を持って日向の元を訪れた香具師に、日向は眉をひそめました。金稼ぎの為に、蝋燭に絵を描き始めた訳ではありません。それに、最近はあんまり依頼が多くなって、木吉がせっかく来てくれても、絵を描くばかりで、痛そうに手を擦っているのも知っていましたから、日向はすげなく香具師の申し出を断りました。すると香具師は益々何かがあるのだろうと躍起になって日向に詰め寄ります。
いい加減苛立ちが募って、日向が手を上げようとした時です。

「日向?どうした」

並々ならぬ声に心配した木吉が、僅かに仕切りを開けて此方を覗きこみました。それに慌てたのは日向です。

「ダアホ!お前は出てくるな!」

長年珍品をやり取りしていたお陰でしょうか、香具師は木吉の足の鱗を見逃しませんでした。にやりと一つ気味の悪い笑みを残して、そそくさと帰っていく背中を、見えなくなるまで日向は睨んでいました。ぴっちりと扉を閉めた所で、木吉に背後から抱き締められました。高ぶっていた精神が、ゆるゆると穏やかになっていくのを感じて、日向は無意識に安堵の息を零しました。腹に回された、赤い絵の具がこびり付いた木吉の指に、日向の指が滑ります。

「もう、蝋燭に絵を描くの、止めていい」

それは、ずっと悩んでいたことでした。
確かに、蝋燭の評判が上がるのは誇らしい。けれど、狂ったように蝋燭を讃える村人も、痛みを我慢して絵を描く木吉も、何かが違う。悩むくらいなら、すっぱり止めてしまおう、それが日向が決めたことでした。動揺が背中から伝わってきます。
木吉は、蝋燭に絵を描くことこそ日向に恩を報いることだと、いたく執心している節がありました。木吉が口を開く前に、でも、と日向が続けます。

「お前は、俺から離れるな」

返事は、強い抱擁でした。肩に押し付けられた額に、これで良いのだ、と日向は思いました。



香具師が向かったのは、村の中心でした。四方山話しに夢中な集団に、そっと耳打ちします。あの崖の上の少年の元には、不吉な人魚がいる。このままでは、村全体が不幸になりますから、早く手放しなさい、と。村人たちは、最初こそ何を言っているのかと半信半疑でしたが、段々とその気になってきて、次の日の朝、日向の家の扉を叩きました。扉を開け、訝しがりながらも、ちょうどいい、もう蝋燭に絵は描かないと言おうとした日向は、突然地面に押さえつけられました。
日向の悲鳴に飛び出してきた木吉は、もみくちゃにされながら、それでも逃げろ、と叫ぶ日向に、手を伸ばす暇もありませんでした。一斉に向けられた血走った目、伸ばされた腕に、慌てて海に飛び込むしかなかったのです。

「日向、必ず助けるから…!」

叫ぶや否や、上からばしゃばしゃと小石やら何やらが降ってきます。捕まえろ、逃がすな、という罵声が、海の中でも聞こえてきました。


海に逃げ込んだ後も、木吉は村の側から離れることが出来ませんでした。見つからないよう波に隠れて様子を伺います。日が暮れ、夜の帳が空を覆い始めた頃、岸部に人が集まり出しました。見つかったか、と木吉が身を堅くする前に、誰かが声を張り上げます。

「人魚め、大人しく出てこい!さもなくば日向を殺す」

これが証拠だ、と言わんばかりに、血のついた小刀が海に投げられました。

完全に沈みこむ前に、海から伸びてきた手がそれを掴みます。岸へと向かってくる間に、海中でゆらゆら揺れていた尾から、鱗が剥がれて、足が現れていきます。ひっ、と上がる悲鳴、海からゆっくりと上がった木吉は、血が出るほど唇を噛み締めて、拾いあげた小刀を突き返したのでした。

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