※死ネタ 「良い子にして待ってて下さいね?それじゃあまた明日」 「さいならー、さく」 「お気をつけて」 「芥辺さんも、また明日」 「…ん」 ぱたん、と味気なく閉じた扉を、各々が名残惜しげに見つめる、呟いたのは誰だっただろう。 早く明日が来ればいいのに。 (遅くなっちゃった!) 腕時計は4時30過ぎを示している。この分ではつくのは50分頃だろう。 途中で買ったカレーの具は、少し奮発して海鮮にした。きっと機嫌を治してくれるだろう。アザゼルたちの喜ぶ姿が目に浮かび、佐隈は無意識に微笑む。 「わわ、」 凄い速さで横をすり抜けていった車に思わずたたらを踏んだ。 道が細く、車道と歩道の明確な分け目のない道は、アザゼルたちと買い物に行くときには使わない事務所への近道だった。危ないなあ、と思いつつ、ビニール袋を持ち直す。車に引っ掛かって具をぶちまけてでもしたら、ベルゼブブに怒られてしまう。 そろそろ事務所が見えてくるな、というところで、さっと自分の影が色を変えた。 咄嗟に後ろを振り返る。 強いライトの光に目が眩む。 鋭いブレーキ音、申し訳程度に引かれた白線を、タイヤが越えた。 あ、 アザゼルがそわそわと所在なさげにソファに座る。約束の時間から、既に1時間が経過していた。 「さく遅いなー」 「まあ佐隈さんも佐隈さんの事情があるんですよ」 「そやなー…。ん?お、救急車やでべーやん」 独特なサイレン音が、さほど広くもない事務所を満たす。 だんだん音が変わる現象を、ドップラー効果って言うんですよ、と佐隈が教えてくれたことを思い出す。 何もかもが佐隈と繋がっていく。それを嘲笑するには、悪魔たちは佐隈と時間を共有し過ぎていた。 「本当ですねえ。…なかなか近いみたいです」 と、今まで黙っていた芥辺が、スーツの上着もそこそこに立ち上がった。 「芥辺はん?どないしたん?」 「…少し出る」 「は?」 それだけ告げて、芥辺は部屋を出ていった。相変わらず言葉数の少ない男だ、ねぇ佐隈さん。 ……いないんだった。 6時になっても、佐隈は来なかった。それどころか、芥辺さえ帰ってこない。 「…何かあったんでしょうか…」 「二人宜しく良いことやってんとちゃうん?」 いい加減苛立ち始めたアザゼルの言葉は刺々しい。 「どうせ男とずこばこやってんのやろ、あの腐れアバズレは」 「そんなこと芥辺氏に聞かれたら…ひいっ」 アザゼルは何だとベルゼブブの悲鳴の先に目を向ける。影の中、いつの間にか芥辺がそこにいた。ひゅうとアザゼルの喉が鳴る。飛んでくるのは鉄拳か、脚か、はたまたグリモアか。どれであっても血を見るのは確かで、アザゼルは腕で頭を覆った。 「……?」 だが、いつまでたっても衝撃は訪れない。避難していたベルゼブブも、胡乱げに芥辺を見つめる。 瞬きもせず立ち尽くす芥辺からは、何も感じない。余計怖い。 芥辺の右手、暗闇でよく見えないが―鈍く光を弾くのは、見慣れた眼鏡ではなかったか? 「っあ」 「これしかなかった」 「ああ」 「連れていかれた」 「あ、」 「もう戻ってこない」 「嘘やっ!!!」 脇目もふらず、アザゼルは小さな姿のまま芥辺に掴みかかった。一瞬で壁にめり込めさせられる、頭から離れない芥辺の掌が、制御出来ない感情を表すかのように震えているのを感じ、藻掻くのを止めた。 「嘘やろ、なあ…」 また明日と、確かに笑ったのに、なぜその明日が彼女に訪れない? 「なんでやの、なあ、なんで…」 壁伝いに落ちた体を投げ出したまま、アザゼルは呟く。 「なんで、さくなん…」 こらえきれず、アザゼルがボロボロ涙を溢す。次第に声を上げて泣き出した。必死に宥めるベルゼブブも、その声は涙混じりで、きっと直ぐに一緒になって泣き出すだろう。 芥辺は静かに目を閉じる。 佐隈が消えてもここは何も変わらない。だが、誰もが望む明日は、もうこの場所には訪れないだろう。 永遠ともに終としよう |