花日 右足首に自分の足を絡ませて転倒させる、両手をついた体勢から出された蹴りを危険と判断、立ち上がろうとしたところに肩をぶつけて押し倒す、後頭部を打ったらしい、痛がっている隙に馬乗りになって右腕を振り上げ、 「………、」 ぴたり、止まる。 「――――っ、はぁっ、げっほ、がはっ、」 「はぁっ、いい加減、懲りたかよ!」 今日のところは俺の勝ちだな、吐き捨てて眼鏡クンは足早に公園を出ていった。遠ざかっていく背中にくっきり残っていた足跡だけが今の俺の溜飲を下げる。一瞬の空白を見逃さず脇腹に加えられた会心の蹴りは、見事に俺にダメージを与えた、絶対青あざになっているだろうそこが、じくじくと痛む。くっそ。悪態は、口の中の血の味にとどまった。 眼鏡クンとの喧嘩は、これで何度目だろう、もうすっかり数えるのも止めてしまった。逃げることを、避けることを、お互いが負けと思っているから、毎回毎回どちらも血を見る羽目になる、ガキ臭いただの意地の張り合いにすぎないと、理解している。 ぼろぼろになって、それでも家に帰って、飯食って、風呂に入る、湯に怪我したところが染みて、そうして非生産的な行為に舌打ちする。痛みだけをもたらすそれを、何故続けるのか。相手が憎らしいから、嫌いだから、そんな幼稚な答えだけでは、もう血の滲む傷口に耐えられない。 少なくとも、自分は。 「花宮ぁあっ!」 襟首を掴んだ手とは反対の手がぎゅっと握りしめられて俺の頬へと向けられる、じくり、完治していない脇腹の青あざが、ざわめく。 その握りしめる掌は、誰のためだ。 ---- 「動くな」 耳元で囁く声は今まで聞いたことがない、底冷えするような声だ、本能的な恐怖に身体が意思に反してびしり、固まる。拳をそのまま受け流し、地面に転倒させると背中に乗り上げ右腕を捻り上げる、そんな一連の動作を鮮やかにやってみせた花宮はそれだけ喧嘩の経験を積んでいるようで、愕然とした。今までの喧嘩は、奴にとって喧嘩ですらなかったのだ。どうりでラフプレーにも躊躇がない訳だ、皮肉る余裕も、利き腕を取られた今は無い。 「…っ、……っ」 「眼鏡クン、もう終わりにしよーぜ。くっだらない、ガキみてーな、生温い殴り合いなんて」 ぎしぎし、普段はあり得ない角度に曲げられた関節が悲鳴をあげている、意識しなければ自身の口からも漏れてしまいそうで、唇を噛んでやり過ごす。 「お前に振り上げた手が、度々止まる理由を、ずっと探してた」 「…意味、分からねーよっ、」 「………」 「い゛っ、!?あ、嫌だ、っ……!」 花宮はいつだって本気で殴り掛かってきた、喧嘩慣れしてると知って思い返しても、向けられた拳や蹴りは本物だった、でも、こんな、故障に至るような直接的な暴力をしたことは、一度だってなかった、のに。 怖い。 バスケが出来なくなるとか、それ以前に、こいつに殺されるんじゃないか、という恐怖が、喉元までせり上がる。 「……っ、」 無意識に脳が助けを求めて記憶から他者を探った、真っ先に浮かんだ影が、俺に花宮を憎むに足る“理由”を思い出させ、そして少しだけ冷静さを取り戻させた。そうだ、俺は。こいつだけは、こいつだけは絶対に許さないと、そう決めて、 「バァカ。だから俺は、お前が嫌いなんだよ、眼鏡クン」 ごきっ。 ---- 俺はお前が嫌いだから、お前自身のために拳を握る、だってのに、お前は、実はあいつのために痛みを耐えているなんて、そんなのは、不平等過ぎやしないか? 拳を振り上げ、真っ直ぐにその視線が交じったとき、分かってしまった、知ってしまった、レンズ越し、瞳に透けて見えた、あいつへの感情を。分かってしまったら、もう殴れない。俺が殴るのは、お前自身のために、俺を憎む、お前だったのに。 日向順平、つまりお前は、お前自身は、本当は、俺なんか、どうだって良かったんだ。 そんなことは許されない。あってはならない。 だから、理由を作ってあげよう。眼鏡クン自身が、俺を憎むための理由を。 抵抗する気力を失った彼の学ランを乱暴に開く、シャツに手を掛けるとみるみるうちに顔色が悪くなる、この先の展開に気付いたらしい、左手で俺の肩を頻りに叩いてくるけど、足りない。全然足りない。 「いっぱいいっぱい恨んでくれよ、そしたら、今度こそ、殴ってやるから」 呆然と見開かれた眼鏡クンの目から涙が落ちるのを見届けて、晒された首筋に、思い切り噛みついてやった。 傷口は、既に血を溢れさせている。 あかく色付く恋情を破壊する唯一の手段を あなたの瞳を見て思いついたのです |