うむ、今日の朝も空の青が濃いな。これぞ、夏、だ。
入道雲特有の白の塊、その対比が美しい。このような美しさを、この世界の寅之助と撫子に干渉するようになってから、ひどく痛感するのだ。当たり前のことが心に沁みる程に愛おしい。
ん? 視界が急に空から地に移り変わるようであるな? 世の流れは無常だ。それでも上を向いて歩こうだ。故に段差に足をかけることなどもあろう。
このような事は日常茶飯事だ。地面よ、受け止めるがいい。
瞬間的に予測していた痛みが来ることはなかったようだ。代わりに引っ張られている腕が痛いな。
私は何者かに引っ張られ、大事には至らなかったようだ。礼をせねばならぬな。
「ったく、あっぶねーなあおい。時田、何してんだ」
「おお寅之助か! 空を美しいと思っておったところだ」
「……いいか? 歩く時は前を向け、いや、お前の場合は足元も見ろ」
「む? 歩いておったか?」
「歩かずに転けたりしねーよ!!」
寅之助、今日も今日とてないすつっこみであるな。素早くキレが良く、ちょうど良い怒声だ。
「しかし、時田、か……寅之助、私の名は終夜だが、覚えておるか?」
「……てめぇ……自分のこと棚に上げてオレの記憶力をそこまで疑ってんのか?」
「ふむ、ここ数年、そなたに名で呼ばれた覚えがないのでな」
「つーか呼んだことねぇんだから覚えがないっつーのは当たり前だろ」
私の腕を掴む手に凶暴さが加わったように思うぞ。
寅之助はこの世界でも安定の短気というやつだ。殴って気が済むのならば仕方ない、ここは私が体を張ろう。
「……お前のこと相手にしてっと精神擦り減んだよな」
そう覚悟を決めたというのにだ。
例のごとくいきなり牙を抜いた寅之助は私から手を離して一人去ってゆく。
少し元の世界のことを思い出しておったからな。
時田、この世界で当たり前に呼ばれる我が苗字に……些か寂しさを感じてしまったのだ。
『おい終夜』
彼方のそなたはこの世界のそなたより荒れておる。いや、どこかで正すきっかけがないままに、それでも自分の意志を貫こうと足掻いておった。
丸さこそなかったかもしれぬが、名を呼ばれるという当たり前のことに、寅之助の親しみが込められていたのだろうな。
私は、此方の世界に残るという選択を間違っていたとは思わぬ。
寅之助、私と撫子はそなたのことを決して諦めぬぞ。
それから私はファッション雑誌にてモデルとして名を馳せながら、秋霖学園の高等部へと持ち上がった。モデル業も波に乗り、登校するのにも気を遣うようになってきていた。本来は芸能科というものがある高校に移った方が良かったかもしれぬ。
しかし、この学園もなかなか特殊であるからな。このままはりうっどを目指しても問題はなかろう。
ここにはCZメンバーという仲間もおる。勿論、撫子のように外部に受験して欠けている者もおるが、なに、私達は会おうと思えば会えるのだ。
幸せな日々であるな。
空もこのように青いのだ。
緩やかに視界いっぱいに広がる美しさ、ガクリと唐突に揺れたりすることも時には起こる。痛みを覚悟せずとも痛みを感じることもある。
「む? 私はまだ転けてはおらぬぞ? 寅之助」
「てめぇ、いい加減しろよ時田……まるで成長しねぇ。足元見てみろ」
「うむ、後一歩で段差であるな。なるほど、助かった」
寅之助は眉間に皺を寄せて溜め息をつくのだ。
こやつにはかるしうむが足りておらぬようだな。そなたのお陰で私が助かったのだ。喜ばしいことであろう?
「何年経ってもお前のことは見てらんねぇぜ。いちいち手が掛かる」
「寅之助、そなたは本当に面倒見が良い。それともあれか! やはり私が好きなのだな? そうかそうか! ギザギザハートも癒え、友を受け入れるという感動の物語だな! 撫子に報告をせねばならん!」
「だああああああ!! 一人で勝手に飛躍してんじゃねぇ!!」
私の元の世界程まではまだ行かぬが、中学生の頃までよりはまた一つ仲を深めているのではないか? 私はそう感じておる。
「おお、こうしている間にも入学式が始まるぞ。会場は、彼方か」
「ンだから、ちげーよ。真逆だ」
「そうか、そなたはやはり賢いな。案内するがよいぞ」
「はは……そっか、そんなに殴られたいんか……」
笑っておるのか怒っておるのか、形容しがたい顔だな。実に器用な男だ。
そんな顔をしておっても分かっている。連れていってくれるのだ。寅之助はそういう優しさを持つ者なのだ。
「はあ……おい、行くぞ。終夜」
「そうだな。会場へれっつごー…… !! ……寅之助、今、名を呼んでくれたか!」
「……聞き間違いじゃねぇの? さっさと歩けよ」
半ば引き摺られるようにしてだが、私は無事寅之助に会場まで送り届けられたのだ。
寅之助は勿論サボりだ。眠くて聞いていられない、とのことだ。あやつらしい。一学年上ということもあり、今日のところはそこまで咎められぬであろうな。
この時のことを私は一生涯忘れることはないだろう。とても、嬉しかった。
寅之助からすれば名を呼ぶことなど、大したことではないかもしれぬ。だが私にとって、それは宝に等しい。
寅之助、そなたは二度も私に大切な贈り物をくれたのだな。
撫子の言う通り、寅之助は寅之助だ。どの世界でもその本質は違わない。
私はそなたに出会うことが出来て本当に良かった。
2015/09/22
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