無知の恋
『おい、泣くなよ』
愛らしい子どもの声が頭の中に響いた。昔の記憶が呼び覚まされる。
今の私の腰にも届かない小さな男の子、あの頃のシンが慌てながら、泣いている女の子、私に近寄っていく。
『オレが結婚してやる』
強引に私の左手を取って、薬指に白詰草で編んだ指輪を嵌めてくれる。
あの頃から今も変わらず強引で、今よりも純粋に笑いかけてくれる可愛いシン。
今思うとシンは咄嗟に慰めようとそう言ってくれたんだって分かる。
でもあの頃真に受けた私は、幼いながらも幸せを感じてたの。ずっと、あなたのお嫁さんになるって思ってたの。
目覚ましの音と共に優しい思い出から現実に返ってきた。
なんで今頃あんな夢を見たんだろう。
早く用意しなきゃ、今日はシンと朝から会える日。
久しぶりだな。沢山の時間一緒に居られるの。
スケジュール帳、確認しなくても予定は頭に入ってるのに、円を付けた今日の事、何度も確認してしまう。
「っ!」
頭が、痛い……
こんなに痛いのは八月の記憶を取り戻す瞬間以来の事だった。
早く用意しなきゃいけないのに、今日はシンに会う日なのに、このまま倒れたくない。
そうは思っても身体は言う事を聞かなくて、視界はぐるぐると宙を舞って、間もなく床が迫ってくる。
「おまえら好きな奴とかいないの?」
意識が戻った時には私は中学生の頃の自分を見ていた。
まだ少し大きめのセーラー服で、一年生の教室の扉に手を掛けようとしたら聞こえてきた話し声。
放課後に男の子だけで集まってそういう話をするくらいには中学って年頃は色めいてきていた。
私も興味がない訳じゃなかった。この話も、シンの返答は気になった。
「あー、あの子可愛いもんな! で、おまえは?」
「別に。そういう奴はいないけど」
一際大きく響いて聞こえたシンの声。
思わず扉から手を離して立ち去ってる自分がいた。
そう言えば、氷水を被ったような気分になったんだっけ、私は何を期待したんだろうって。
昔からシンもトーマも大好きで、その気持ちはずっと変わらないし、二人への大好きに差が付くなんて夢にも思わなかった。
私はずっと、あの頃のままだった。
寂しい背中を見送っていると、ぐにゃりと視界が回って景色が変わる。
咽せ返りそうになる程の熱気で満ち溢れた体育館。
ああ、二年目のライブの日だ。
緊張しながらも良いライブにしようって必死だった。歌いながら、ずっと観客を見渡してた。
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