忙しさの合間
意識がハッキリした時には、私は泡立て器とボールを手に冥土の羊の厨房に立っていた。
確か、今日は厨房の人手が足りない時間があるから私が回ってきてるんだっけ。
朧気な頭で考えていると横からシンに声を掛けられる。
「手、止まってる」
「え、あ、はい!」
「はい、って……別にいいけど」
どうしてだろう。そう言うシンが少し嬉しそうに見える。
気を取り直して目の前のボールに向かう。片手ではかなり重いたくさんの生クリームの海。電動泡立て器でも重労働だ。
スイーツフェアが始まって冥土の羊は大盛況、次から次へと注文が入り、ホールも厨房も忙しなく働いている。
これを泡立てたら休憩で入れ替わりになるから、ちゃんと後に回せるように頑張らないと。
「う……」
全体がもったりしてくる頃には生クリームが重くなって手が疲れてきていた。プルプル震えて止まらなくなってくる。
ボールを支える手がずれてきて、持ち直そうとした時だった。
「あっ」
ボールが傾いて落ちていく。
私はそれを追って受け止めようとしゃがみ込む。
腕の中にボールが収まって安心した瞬間、反動でボールから生クリームが飛び出してきて、身体中が甘い香りとふわふわベタベタした感触に包み込まれた。
「……は、え? 何やってんの?」
「手が滑っちゃって、ごめんなさい」
物音を聞き付けてシンが此方を振り返ると、大きく目を見開いて私を見下ろした。
「良かった。そんなに零れてない」
ボールの中を見て心から安堵した。これだけの量を全部ひっくり返したら大変だ。
シンは呆れた目をして私を立たせる。
「せんぱーい、変わりまーすってええっ!? 何があったんですか!?」
元気良く厨房に入ってきたミネの表情が私を見て驚愕に染まる。
「どんくさいから生クリーム被ったんだよ。ミネ、悪いけどオレ十分繰り上げて休憩取るから、ケントさん入るまで一人で頑張って」
「ええーっ!? 一人ですか!?」
「ほとんど終わらせて前倒しで作ってあるから、後は生クリーム盛り付けるだけで十分くらいは持つ、じゃ、頼むな」
「うー……頑張ります……」
渋々受け入れてくれたミネに本当に申し訳ない。
ごめんね、と一言頭を下げると、ミネは私にロッカーの鍵を渡して微笑んだ。
「化粧品はベースから全部揃ってますから! 必要でしたら使ってくださいね。服はサワ先輩の借りちゃえばいいんですよ!」
「ありがとう、ミネ……」
こういう時、本当にバイト仲間の優しさを痛感する。早く生クリーム落として、気を取り直さなきゃいけない。
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