ケントさん誕生日2015
2015/09/23
やっと会える――
会ったら何から話そう? 何をしよう? そればかりを考えて数日を過ごした。一日一日が過ぎていくのがこんなに楽しいと感じたのはいつぶりだろう?
次の便だ。何日も何週間も何ヵ月も、当たり前のように大人しく待てたのに、たった数分が待ち遠しい。一分一秒過ぎて近付く程にそわそわしてじっとしていられなくなりそうになる。
そうしている間にも降機してくる人々が溢れ始める。
私の大好きな人は体格の良い外国人の中に紛れていてもすぐに分かった。
「ケントさん!」
髪の分け目が変わっただろうか?
見えるように少し背伸びをして大きく手を振ると、ケントさんは笑顔を浮かべて私の元に向かってくる。ちょっと小走りなのが可愛くて愛しい。
ケントさんを見送ってまだ半年も経っていないけれど、数ヵ月会えなかった分の嬉しさが湧き出てくる。
「わっ……ケントさん」
「会いたかった……」
いきなり腕の中に閉じ込められる。大きくて私には抱き締め切れないケントさんの身体、ケントさんにとっては私は抱き締めてまだ余るくらいなのに…………って。
「あの、ケントさん、まだたくさん人がいますよ」
「そのくらい構わんだろう。此方は久しぶりの逢瀬なのだからな」
離されるどころかその腕の力は強くなる一方だ。
まさか留学中にあちらの国の慣習に慣れてスキンシップが激しくなったりはしてないのかな? でも、そうだ。見送ったあの日も私はこの腕にきつく抱き締められた。
ケントさんは今までどう表現したらいいのか分からなかっただけで、とても愛情深い人。少し会わなかったくらいでは変わらない。
私の、大切な愛しい人。
「やはり、君を連れていくと強引にも言い切れなかったのは私の誤算だ。まだ再会したばかりだと言うのに、もう君と離れがたい」
「ケントさん、私、少しは語学の勉強にも力を入れてるんです。次は私からも会いに行きますから」
「もう別れの挨拶のようだな。君の顔をよく見せてくれ」
解放されたと思えば次はケントさんの顔がすぐ近くに。大きな手はゆっくりと優しく頬を撫でて、少し長くなった髪をすく。
出逢った頃の私達がこの光景を見たら信じられないだろう。あんなに犬猿の仲だった私達がこんなにも愛し合っているだなんて。
「君はケーニヒスベルクという町のプレーゲル川に架かる七つの橋の問題を知っているか?」
「えっ? えっと……確か、二度渡らずに原点に帰れるか? でしたか?」
「その通りだ。どこから始めてもいいという条件付きで、レオンハルト・オイラーの一筆書き定理にて解き明かすことが出来るというものだ」
「は、はあ……?」
やっぱりケントさんはケントさんだ。何とか知っていたお話だったから良かったものの、知らなかったら今頃頭の中がこんがらがっていたところだと思う。
彼がどうしてそのお話を持ち出したのか、まだ意図は読めないけれど、数学を専攻していない私でも、数学にはロマンがあることは理解出来る。
きっとケントさんなりのロマンが隠されているのだろう。
眼鏡越しに嵌まる美しい翡翠の瞳を見つめながら、そのお話の続きに耳を傾ける。
「その正解は、数学的に不可能、ということだ。どの出発点から始めても次の頂点の次数、即ち道は奇数に別れている為、何処かで二度渡らなければ起点に戻ることはできない。屁理屈な解決法もあるが、それは問題に含まれないので、私にはそれならば正解だとはとても思えなかった」
「そ、そう、ですね」
頭をフル回転させながらついて行くのがやっとで、記憶にある橋の絵と一筆書きをうっすらと思い浮かべることしか出来なかったのだけれど、ケントさんが意味のない話をするとは思えない。
「つまりだ。私は、君を連れて行かずに旅立った時点で、もう出発点には戻れない状況にあった。……と、思いかけていた」
「え、えっと? ケントさんは、私と別れるつもりだったんですか?」
「そうするしか、お互いに良い未来を築くにあたって道はないのではないかと思っていた」
ケントさんの掌が輪郭をなぞって私の片目を閉じさせるように瞼を撫でて、そのまま瞼に小さくキスを落としてくる。
慈しむように、壊れ物に触れるように優しく。
「だが君はこの数ヵ月、私の為に語学を学んでいたり、成績を上げていたりするではないか。その報告を貰う度にとても嬉しかった。来年は君も此方に来られるかもしれないな」
「ケントさん……」
「……私は、彼方に残らないかという話が来ている。二度とない誘いだと思っている。本来なら、もう君の元へ帰ることはなかったのかもしれない。だが、君はその努力で不可能を覆した。最初の問題文には無くとも、後付けであったとしても、この答えならば、私にも納得出来るのだ」
それはケントさんが私の為に、恋愛の意味を理解出来たということ、柔軟性と想像力を持てたということだ。
頭が良いという言葉では片付けてしまえない彼は一度出した答えを曲げることはほとんどないだろう。それがその問題の正解として根付いてしまうのだから。
「ケントさん!」
「んっ……君!?」
まだ屈んでいてくれたから何とか届いた。優しく弧を描くケントさんの唇に自分のものを重ねる。
先程まで難しい話をしていたケントさんは瞬く間に顔を紅く染め、面白いくらいに動揺する。
「ケントさんが、私を諦めないでいてくれて嬉しいです」
「いや、例え戻れないという答えが出たとしても、私は君を諦められなかっただろうな」
今度はケントさんから口付けが送られる。
背伸びをしたくらいでは間に合わない分を支えて補ってくれる。
すごく、幸せだ。
「今日はケントさんが帰ってくるから張り切って下拵えしてきたんです! 御馳走にしましょう!」
「そうか! では私も手伝おう。料理の腕は彼方に滞在している間にも磨いていたつもりだ」
「…………。ケントさん……今日が何月何日か覚えてますか?」
「九月二十三日だが、それがどうかしたのか?」
「ふふ、ケントさんらしいですね……二人で作ると楽しいですし、そうしましょう」
「?」
相変わらず自分の誕生日も覚えていないような少し惚けた可愛いところもあるケントさん。
ほんの少し先、御馳走の後で出したケーキとプレゼントに驚いて、何でこの日に帰ってきてほしいと私がねだったのかに気付くはずだ。
ケントさん、お誕生日おめでとうございます。
あなたと出逢うことが出来て、私は本当に幸せです。
メッセージカードに書いた言葉を脳内で反芻しながら、伸ばされた彼の手に指を絡ませた。
2015/09/23
ケントさんHAPPY BIRTHDAY!!