記憶の傍らに
2015/01/03



『ケントさん、忙しい時にごめんなさい』

 そう前置きをしてある彼女のメールには、彼女が高熱で苦しんでいることが記されていた。
 どうしてもう少し早く知らせてくれなかったのか。いや、今更そんなことを考えても仕方がない。
 早くこの足で彼女の家に向かいたいところだが、コンビニを見つけて足を止めた。止めたはいいが、一体何を買えばいいのか。こんな時に便りになる人物は私の知りうる中では一人しかいない。
 携帯電話でその男に電話をかけると、幸い手が空いていたらしくすぐに聞きなれた声が耳に届いた。

『もしもし、ケン?』

「イッキュウ、悪いが急用だ。熱で苦しむ女性の見舞いには何が必要だと思う?」

 私の切羽詰まった声色が面白かったのか、この一大事にイッキュウは笑いながらも色々と説明してくれた。
 そんなに心配しなくても彼女は大丈夫だよ。なんて呑気な台詞を最後に電話は切れる。
 イッキュウにとっては手慣れた案件であろうと、私にとってはそうではない。店員から商品と釣り銭を受け取り、先程までよりも速度を早めて彼女の家を目指した。



 彼女の家に着いて呼び鈴を鳴らすと、少し時間を置いてから彼女が顔を出した。

「遅くなってすまない!」

「ケントさん、いきなり呼び出してごめんなさい。会いたかったです」

 真っ赤な顔をして今にも倒れそうな彼女を支えるようにして中に入る。
 彼女の熱がどれほど高いものか、支えている手に服越しだとしても伝わってくる。

 彼女をベッドに寝かせると、私は早速コンビニ袋の中身を順に彼女に見せる。薬にお粥に栄養ドリンク、どんどん出てくることに驚いたのか彼女は目を丸くする。

「ケントさん、こんなにたくさん買ってきてくれたんですか……?」

「ああ、イッキュウに聞きながらだが……君の好みや合う薬が分からず、置いてある種類は全て買ったつもりだ。好きなものを選ぶといい」

 どれほど彼女と同じ時間を過ごしていても、知らないことはその都度現れる。それを知るのはとても楽しいことだが、今回のケースではただただもどかしい気持ちでいっぱいだった。

「嬉しいです。ケントさんがしてくれることなら、全部に気持ちが詰まってますから……でも、もし次に迷うことがあれば、私に聞いてくださいね。私なら私の好みも知ってますよ」

「そうだな。君の言う通りだ」

 辛そうにしているのに彼女はそう言って私を気遣って笑ってくれる。私が彼女に出来ていることは、すごく少ないというのにだ。

「お粥くらいなら私にでも出来るはずが、少しキッチンを借りさせてもら――」

「ここに居てください」

 ベッドの傍らから立ち上がろうとしたところで、彼女に力無く服を掴まれてもう一度腰を下ろす。

「今日、ケントさんが忙しい日なのは知ってました。だけど……すごく寂しかったんです。いてくれるだけでいいんです」

「……彼はこの状態の君に励ましの声を掛けなかったのか?」

 君の傍らにいる元気な精霊くんは、私には見えず声も聞こえず触れられずとも、彼の性格を考えると少なからず彼女を心配するはずだ。

「? 彼って、誰ですか?」

「………………なるほどな。いや、私の勘違いだ」

 彼女の記憶と引き換えに存在すると言っていたか、つまり、もう長い間彼女は一人で生活していたのだな。もう、彼は彼女の元にはいないのだな。

 彼女の頬を撫でてからその熱すぎる手を握る。そんなことだけで彼女の表情は綻んだ。
 そんなことが、私にはなかなか出来ないことだった。

 実は、いつも傍にいられる彼を少し羨ましいと思うこともあった。しかし違ったな。
 私が彼女の気持ちを考えすらもせずに行動していた頃。彼女が記憶を失ってきっと心細い思いをしただろうに、私はあのような態度でいた頃。
 彼女が寂しくないように、彼女を励ます為に存在してくれた彼にとても感謝しているのだ。

「ふふ、ケントさん、とても優しくなりました。幸せです」

「私がこうなれたのは全て君のおかげだ」

「そんなことないです。ケントさんは元々優しさを持ってる人だったんですから。私も、なかなか素直になれなくて、隣で手助けしてくれてた子がいたんですけど…………誰だったかな」

 不思議と忘れちゃいました。
 そう言って笑う彼女の記憶には、消えてしまったように見せかけてしっかりと彼の存在が残っていた。

「笑ってたらお腹が空いてきました」

「ではお粥は私が作ろう。君はゆっくり休んでいるといい」

 こうして私が笑い掛けられるようになったのは彼のおかげでもあるのだ。
 私には見えないが、実はその辺りにいるのではないか?
 そう思って部屋を見渡す私は、とても理系の人間とは思えないな。

 精霊くん、彼女は私が責任を持って守っていく。だから安心してほしい。あの夏、彼女の傍にいてくれたのが君で本当に良かった。





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