ピピピ…

 「38度…」

 脇の下に挟んでいた体温計は、そう数字を示した。ちなみに平熱は36度5分。
 現在の症状、頭痛、発熱、関節痛、だるさ、くしゃみ、つまり、まちがいなく、…風邪引いた。
 ここのところ課題が忙しくて、ほぼ研究室に泊まり込みだったから、疲れが出たのかもしれない。

 「くるし…」

 顔が火照って、呼吸がつまるようだ。自分の部屋の空気がどんより沈んでいく。換気や汗を吸った服を換える気力もない。
 こんだけ発熱してたら、抗生剤のまなきゃ、でも病院行くためにタクシー呼ぶのすらだるい。寝て治すしかない。

 「………」

 いつものくせで、ベッドの壁側半分には足を伸ばしていなかった。そっち側に寝返りをうつと、ただ目の前に壁があった。さみしい。
 …だめだ、視界が。



 もともと夢見がいいほうではなくて、特に風邪をひくとどうにも。俺は息苦しさを感じて目を醒ました。すると、俺の胸の上に真っ黒な人が正座していた。真っ黒な人の顔に当たる部分、そこに二つの爛々と光る目が、あった。目が合う。

 「…あー……」

 一番やなタイプの夢見た。しかも夢中夢に近い。夢だったって分かってるのに、部屋の電気とテレビをつけた。不安になるタイプの夢だった。勘弁してくれ…。

 「は、あー…」

 壁の時計はさっきから二時間しか経過していなくて、もちろん俺の状態も変わってない。むしろ悪くなった気がする。悪夢でかいた汗が冷えて、気持ち悪い。

 「………」

 ローテーブルに手を伸ばす。充電したままの携帯を手に取った。どうしよう、さすがに、これは助けを。でも、風邪うつすかもしれない。

 『ごめん、風邪ひいたからOS1と薬買ってきてもらえる?俺の部屋のドアノブにかけてくれればいいから』

 メール、これでいいか。…ゆう、来てくれるかな。






 「き、きよくんっ。風邪、風邪、だいじょうぶっ?」

 ゆらゆら揺れる天井を眺めていたら、いつのまにか隣にゆうがいた。よかった、来てくれた…、あ、ドアノブでいいって、メールしたのに…風邪、うつる…。ゆうは両手に2つもレジ袋を下げていた。

 「そうだ、きよくんの言ってたOS1わかんなかったから、それっぽい飲み物全部買ってきたよ。起きれる?のまなきゃ。」

 どよんとした視界の中で、ゆうが袋を開ける。袋には何本もペットボトルが入っていて、それが重かったせいかゆうの手は真っ赤だ。ベッドから上体を起こして、ゆうが入れてくれたコップで水を飲んだ。

 「なんか食べれる?薬もいろいろ買ってきたけど、なんか胃に入れないと。レトルトだけど、おじやと、うどんと、あと桃缶とかヨーグルトとかプリンとかあるんだけど…」

 もう片方の袋にも大量に食品や薬が入っていた。頭ぐらぐらする、でも、がんばらなきゃ。うつす。

 「あ…うん、ほんと、ありがと…も、一人でだいじょうだから、ゆうは、家帰って、っくしゅ!」

 ごはん食べずに薬だけ飲んで、ゆう、帰らそうとした矢先、くしゃみが。あ、ティッシュもうない。鼻の粘膜がイカれすぎてる。

 「ティッシュも買ってきたよ!はい、はい、どうぞ!ちーん!」

 ゆうがティッシュくれて、俺、子供みたいだな、と情けなくなった。ていうか、ほんとう。うれしい、けど、うれしい。

 「ゆう、かえって」
 「…きよくん、病気のとき、ほっとかれたい派?なら帰る。」

 ゆうがいつものふにゃふにゃ具合とはうってかわって、真剣に目を見て詰めよってきた。その心配そうな表情に。
 一気に、弱った体がぐらっと弱い心を見せる。だめだ、もう気遣えない、無理だ、あまえたい。んーだめかも。

 「………ちがう。風邪、うつす、から。」
 「平気。ぜんぜん平気だもん。」

 ゆうはベッドに顔乗せて、いたずらっぽく笑う。正直、すごく心細かったから、本当ありがたかった。そんな風に言われて、大袈裟だけど救われた。緩んだ自制心は、ゆうに向かって手を伸ばす。

 「手」
 「手?」
 「寝付くまで、手、握って。風邪だと、夢見わるくて、寝らんない…」

 恥ずかしかったけど、もう取り繕う体力もなく。ゆうは手を握って笑った。

 「わかった。うなされてたら起こすね。」

 熱のせいで、ゆうの手はひんやりと感じられた。それぞれ指を交差させるように握り直して、ゆっくり目を閉じた。きもちい。





 「………」
 「起きた?ご飯、食べれる?」

 目を醒ますと、ゆうがいた。よかった、夢じゃない。…まだいた。寝て少し落ち着いたのか、俺の状態はましになっていた。
 ゆうはちょうど俺の貯めてた洗濯物を干しているとこだった。

 「ありがと、ごめん、そんな、っくしゅ!」
 「わぁ、寝てな、寝てなって!」

 ベッドから立とうとしてすぐに挫折する。俺のそばまで戻ってきたゆうは少し嬉しそうだった。その時、俺の腹がへんな音を立てる。ベッドに腰かけたゆうが、俺の張り付いた前髪を払う。

 「おなかすいた?」
 「すいた…」
 「なに食べたい?」
 「うどん…」
 「りょーかい!ちょっと待ってて。」

 お母さんと子供みたいだ。ゆうはコンビニの鍋焼うどんを火にかけに、台所に立った。ぐずぐずの中、それを眺めてた。あまやかされるのが嬉しくって、幸せだなぁと思った。






 それから四日後、どうにか体調も戻った。大学のラウンジで二人でお弁当を開ける。

 「こないだ、ごめん。迷惑かけて…」
 「え!ぜんぜん!」

 こないだの失態を切り出すと、ゆうは何故かはにかんだ。にこにこと玉子焼きをつつく。

 「誤解されそうだけど。…俺ね。こないだうれしかった。」
 「なにが?」
 「頼ってもらえて。」

 玉子焼きを飲み込んでから、またゆうは口を開いた。

 「俺はいっぱい、悪いとことか、弱いとこ、きよくんに見せちゃってるけど、俺、ぜんぜんきよくんの弱いとこ知らないから。
 なんか極悪非道みたいだけど、なんか、ああやって、きよくんに弱いとこ見せてもらえて、ほんと、うれしかった…。特別みたいな感じしたから。誰にも親切で、誰にも弱いとこ見せないのに、俺にだけっ、みたいな。
 これからもっと、もっと、頼ってもらえるようになりたい、って、すっごく、思った。みんなが知らないとこ知ってきたいって、思ってる。」

 予想外の反応に、二人して照れる。こいつ、いい子だなって思って、何も言えずに笑った。


おわり


とっぷ



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