トリミングス | ナノ


無愛想モデル静雄×カメラマン臨也





トリミングス





「ハワイ?」

思いがけず素っ頓狂な声が出てしまった。するとほんの少し驚いたような顔をした臨也が目をぱちくりと瞬かせてソファに座っていた俺に視線を向ける。手にしたコーヒーカップにミルクをたらりと垂らしながら。

「そ、ハワイ。明日から。まぁ二週間くらいなんだけど」

写真集の撮影でね、グラビアやってる子で結構売れてるから本人の希望でハワイでやることになったんだよ、淡々とカップの中でミルクとコーヒーをぐるぐると混ぜ合わせながら臨也はそう口にした。

「聞いてねーぞ」

「今言ったよ」

「…そういう問題じゃねぇよ馬鹿」

ずっとコーヒーを啜った臨也が、カップから口を離してふうと息を吐く。

「正直面倒なんだよねー…海なら別に沖縄とかでも良いじゃんって俺も思うんだけど…ほら売れっ子のご機嫌損ねると煩いんだよね。いろいろと」

「…ふーん」

さして何の面白みも無さそうに答えれば、カップをテーブルの上に置いた臨也がじっとこちらを見る。それを見返し微かに首を傾げれば、やっぱり暫くの間ただじっとこちらを見つめて、それから思い出したように小さく笑った。

「なに、シズちゃん俺が遠く行っちゃうの寂しい?」

「全然」

思わず問い掛けられた言葉にきっぱりと、まさに間髪入れずに答えれば更に臨也はおかしそうにけらけらと笑った。こいつのこういう所は本当にどこまでもムカつく。兎に角ムカつく。できることなら殴ってやりたいが下らない理由で無駄に体力を浪費するのも何だと思い、何とかそれは思い留まった。

臨也の部屋の革張りのソファに身を沈めたまま、別に見たくもないテレビを眺めていたらふと肩に手を掛けられて思わずそちらを振り向く。肩に置かれた臨也の手と、間近にある顔を交互に見つめて何だよ、と聞き返したらやはり何処か憎たらしい笑みを浮かべて口を開いた。

「寂しかったら電話してくれてもいーよ、俺の携帯海外でも通じるし」

「しねぇっての」

「してよ。もしかしたら俺だって寂しがってるかも知れないじゃない」

「俺だってって何だ、一言も俺は寂しいだなんて言ってねーだろ耳付いてんのか手前」

「付いてるよ。シズちゃん俺の耳好きじゃない、いつも舐めたり噛んだりしてくる癖にさぁ」

「…何の話だ、殺すぞ」

「え、夜の話」

しれっと答える臨也を睨み付けて、それでもくすくすと笑い続ける様子に怒りもどこか消極的になり消え失せてしまいそうだった。何だこいつ、一体何がそんなにおかしいんだ。いや寧ろこいつの場合頭がおかしいのだ。間違いない絶対そうだ。

そんな下らない臨也の冗談を適当に聞き流し、俺はやっぱりつまらないテレビをただぼんやりと見つめた。直に臨也は俺が相手にする気がないと判断したらしく、やたらとでかいスーツケースをがたんがたんと音を立てながら引っ張り出して来る。どうやら旅行、いや仕事だから旅行ではないのだが、取り敢えずもう何かむかつくから旅行でいい。その旅行の準備を始めるらしい。

やっぱ向こう暑いよねぇ、何着てこっかな、そういや俺パスポートの期限あったっけ、まるで独り言のようにぶつぶつ呟きながらあちらこちらを行ったり来たりする臨也に、俺は一切返事をしなかった。まぁこういう事は日常茶飯事なので臨也も特には何も言わない。何を持って行くかは知らないが、スーツケースの準備に一時間以上費やして翌日から馬鹿は宣言した通り遥か海の彼方へと旅立って行った。






いっそそのまま二度と帰って来るなと言ってやりたかった所だが、まぁいつも直ぐ近くにあるものが無いというのは何処か不便なものである。それが物にしろ人にしろ、だ。
例えば携帯だ、別に四六時中触っていなければ落ち着かないなどという依存っぷりなどは無いものの、正直無ければ無いで非常に落ち着かないものである。いざという時に何かと役に立つから、名前の通り携帯していて損はない。

臨也が海外に行って二週間が経ち、そつなく仕事をこなしてきた俺だが、何故か今一人ぼーっと空港の椅子に座っている状態である。果たして一体この状況はどうしたものか。

この二週間はまるで臨也が居ないことを図ったかのように普段に比べてオフが多く、一人で過ごす時間はやたらと多かった。
元々仕事自体はそんなに好きな方では無いが、こういう時にだけ暇というのも頂けない。と言うか大体の俺の仕事は臨也が撮影を担当する事が多いから、あいつが居ない事により結果論として俺は暇なのだ。

だから普段は二人して暇が被り、臨也が俺を呼びつけたり勝手に俺の部屋に来たりと大体はそんな感じの日常をそこそこ長い時間過ごしてきた。

だから、どうしたら良いのかわからない。別にあいつと居ても何をすると言うワケでも無かったが、誰かが居るのと居ないのでは大違いだ。まず時間の流れ方が違う。あと一人だから飯を食うのも面倒臭い。もっと言うなら丸一日のオフは起きることから面倒臭かったくらいだ。

色々とむかついたが、その諸悪の根源であるむかつく声が聞こえないことに更にむかつき、この訳のわからないループを抜け出す為にもと俺は一度三十分近く悩んだ末に臨也に電話を掛けた。
また意味の判らないことを言い出したら馬鹿と罵り切ってやろうと思っていたのだが、生憎と電話口から聞こえたのは覚えのある女の声だった。

『この電話は現在電波の届かない所にあるか電源が―…』

瞬間思わず携帯からぱきりという音がしたが、取り敢えず壊れるまでには至らなかったようで。壊れたら壊れたであの馬鹿の所為以外の何物でもないのだが。

空港の定期的なアナウンスとざわざわと止まない喧騒の中で、一体どれだけの時間が経ったかも判らないまま、ただそこに座り続けた。
今が何時かも知らないし、あの馬鹿が何時に帰って来るのかすら知らない。けれども来た時には明るかった見つめるガラス張りの窓の向こう側が、今もうとっぷりと暗く染まっていた。

飛行機や滑走路のライトがちかちかと色とりどりに輝く暗闇を見つめて、そういや空港って何時に閉まるんだ、そんな呑気な事を考えていたらぼすんと、自分の横の椅子に誰かが腰を下ろした。

「はは、本当にシズちゃんだ、びっくり」

二週間振りのうざったい声と相も変わらず真っ黒な装いをした馬鹿が俺の肩に寄り掛かる。うぜぇ、そう呟き肩からその頭を退けようと軽くそのまま押し返した。

臨也はでかいスーツケースから手を離し自分の隣の椅子の前に立て掛けると、ポケットからデジカメを取り出し、おもむろにこちらにカメラを向けてそのまま笑う。
カシャ、無機質な音が響いて写真の撮られる音がした。大した抵抗もせずにカメラを眺めて、繰り返し何度かシャッター音が響いてから臨也が再度俺を見た。

「…何撮ってんだよ」

「ふふ、俺帰ったら一番初めにシズちゃんのこと撮りたかったんだよねー」

もう水着と海は当分いいや、そう呟いてデジカメの中の写真を確め始めた臨也は、一人鼻歌を口ずさんだりしている。呑気なものだ。けれど姿を見た瞬間何故か先程までの妙な苛々だとかそういうものはまるでリセットボタンを押したかのように綺麗さっぱり無くなってしまっていた。おかしな話だ、余計にむかつくものだとばかり思っていたのに。

「おい」

「なにー?」

「何で電話繋がらねぇんだよ、馬鹿かお前」

「あ、携帯ポケットに入れたまま撮影してたら海に落としちゃって」

海水は不味かった、焦って拾ったけど駄目になっちゃって、早く買いに行かなきゃなぁ。相変わらず口から零れ出る言葉は呑気なものばかりだ。そういう問題じゃねぇよと思ったが、下手なことを口にしてもどうせ俺から電話したことに関しておちょくられるのは目に見えていたので、それ以上は口にしないでおいた。

「…シズちゃん俺に電話したんだ、それは勿体無いことしたなぁ」

「別に大した用事じゃねーよ」

「なに?じゃあどんな用事?」

「二度と帰ってくんなって言おうと思っただけだ」

「電話で、わざわざ?それはまた随分と酷い話だね」

「本心だから仕方ねーだろ」

「うん、知ってる、だから迎えに来てくれたんだろうしね」

俺あんまり滅多にこういう事言わないけど普通に嬉しい、そう小さく聞こえて、また俺にカメラが向けられる。何度も何度もシャッター音が響いて、時を刻む。先程までただ淡々と流れていたそれが、唐突にしかし穏やかに流れ始めた瞬間でもあった。

別に迎えに来たつもりはないが、今更此処に来てしまっている時点で何を言い訳しようと無駄になることは一目瞭然だ。だから何も言い返さなかった。きっとこの馬鹿は勘違いするだろうと思ったけれど、それならそれでも良いとほんのちょっとだけ思ってしまったからだ。

そして実にどうでもいい事だが、こいつは本当に写真を撮る時だけは生き生きとしている。自惚れじゃなければ自分にカメラを向けている時は特にだ。にやにやといつもの憎たらしい笑みは変わりないが、まぁ、自分にだけというのは悪い気はしない。口に出して言う事はまず有り得ない話だが。

臨也の手のカメラを掌で覆いそのまま奪い取る。何すんの、そんな声も無視してそれを適当にポケットに突っ込むと、臨也の持ってきたでかいスーツケースを手にして立ち上がり、がらがらとそれを引っ張りながら歩き出した。

「帰る」

「え、ちょっと待って、それ俺のなんだけど。自分で持てるし」

「うるせーな、ここ出たら捨てんだよ」

「いやカメラ入ってるし、俺仕事できなくなるから」

「そりゃ清々するな。お前仕事の時うぜぇんだよ、色々」

「シズちゃんが言う事聞かないからでしょ、俺は真面目に仕事してるだけだし」


人のこと二週間ほったらかしにしておいてよくそんな事がぬけぬけと言えたもんだ。喉を突く言葉には気付かないフリをしてそのまますたすたと長い通路を進む。時々人と擦れ違いながら、それでも臨也は俺の斜め後ろに大人しく着いて来ていた。


「…怒ってる?」

「怒ってねーよ」

「うそだ、今めちゃくちゃ返事早かった」

「怒ってねぇって言ってんだろ」

「ええ、もう口調が怒ってるじゃん。ちゃんとシズちゃんのアロハシャツ買って来たから許してよ」

「いらねーよバカ」


ひどい折角選んだのに、間延びした声に多少なりとも苛立ちながら、まぁそれでもこのバカが居なかった間の苛々具合に比べれば多少はマシなものだ。不覚にも大分マシだ、いやそんなあっさりとは認めたくないが。事実は事実なのだから実際どうしようもない。


「おい」

「へ?なに?」

「明日お前もオフだろ、携帯買いに行けよ」

「あー……うん、わかったけど」

「……何だよ」

「一緒に行こう、あと今日泊めてくれるよね?」


へらりと笑う臨也の顔を横目に、俺はぴたりと歩く足を止めた。少し遅れて横に並ぶ形で臨也も足を止める。そのまま不思議そうに首を傾げてこちらを見上げていた。


「いつも居るのにねぇと落ち着かねぇんだよ」


ぽつりと呟いた一言に臨也はきょとんと一瞬固まるが、直ぐに「ああ、携帯?そうだね」と何度か頷いた。こいつやっぱりどう考えてもバカだろ、カメラ以外本当脳無いんじゃねーのか、そんな事を思いながらやはりすたすたと再度入り口を目指し俺は歩き出した。やっぱりその横を臨也が呑気に着いてくる。


「ねぇ、泊めてくれるよね?いや勝手に泊まるけど、シズちゃんがお迎えとかかわいいことしてくれちゃったから何か今日は一緒に眠りたい気分」

「残念だったな、空港出たらスーツケースと一緒に東京湾に沈めんだよ」

「マカダミアナッツのチョコレート買って来たけど」

「………、」


じとりと視線で責めるように見つめても、横を早足で歩くバカはへらへらと笑ったままでやはりムカつくことには変わりなかった。バカにしてんのか、そう思ったが取り敢えずは空港を出て家に帰るまで黙っておくことにしようと心に決めて何とか口を噤む。


「久しぶりにシズちゃんの写真ちゃんと撮りたいなぁ」


何処までも呑気なことを呟く臨也をもう一度だけちらりと横目で見遣って、また視線を進む先へと戻す。

取り敢えず帰ったらこの馬鹿みたいにでかいスーツケースからマカダミアナッツのチョコレートを取り出し、部屋に連れ込んで一回だけキスしたらスーツケースと一緒に部屋から放り出してやる。
そんな事を考えながら「バーカ」と小さく呟いたら、それでも臨也は馬鹿みたいに笑っていた。やっぱりこいつ馬鹿だ。





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