22 | ナノ




元々引き篭もりみたいなものだ、今更外に出ようが出まいが大して俺の生活スタイルは変わらない。

精々買出しに行くか行かないか程度の差である。それすら波江に頼んでしまえば本当に引き篭もり中の引き篭もりだ、要するに純粋な引き篭もりだ。
こうするとちょっと響きは良いかも知れないが、事実本当に部屋から出たくないので余り笑えない。こんな事を考え出す頃には、俺はすっかりソファもしくはベットと親友になりつつあった。勿論、一緒に過ごす時間的な意味でだ。

今日も今日とて、俺は大親友の黒いソファの上にそりゃもうだらしなく横たわっている。

以前と比べると、パソコンやテレビを見る機会も格段に減った。なんて言うか、一言で言うと、だるい。リモコンを取るのも面倒だし、パソコンはスイッチを入れるのは良いが切るのが実に面倒臭い。

以前は引き篭もりながらにそこそこ家の中では活動的だったのかも知れないと、意外な場面で思い知らされるものだ。妙に感心してしまう。いや別に、知りたくも無かったけれど。

無気力だ。生きるので精一杯だ。いや寧ろ生きていて余計な事を考えてしまう脳など要らないから、いっそ暫く冬眠したい。季節は夏だがそんなこと知ったこっちゃない。ちょっと先取りすれば冬だってそう遠くない、何とかなる。そして春が来て目を覚ましたら、何もかも全部綺麗さっぱり忘れてしまえたらいいのに。


(……終わってるなぁ、色々)


そんな馬鹿なことを考えられるくらいには、病んでいた。いやこの俺が病んでいるとか本当おかしいったらないが、事実なのでやっぱりこちらも笑えないのである。

ぼーっと寝転がったソファから天井を見上げ、余計な事を考えそうになっては溜息を零す。これを多分何十回いやもしくは百回と繰り返した。なのに日々はただ過ぎてくだけで、何も癒してはくれない。何も変わりはしない。ただ後悔だけが、降って落ちて溜息に変わる。溜息でできた空間が、更に俺に溜息を齎す。


「はぁはぁはぁはぁ言い加減聞き飽きたわ、止めてくれないかしらそれ」


そんな怪しい電話みたくはぁはぁ言った覚えはない、けれど今は波江の辛辣な言葉に言い返すことですら億劫でしかなかった。俺は冷蔵庫の中身を整理する波江に視線を向けて、取り敢えず気だるい身体を革張りのソファから起こす。


「そんなに寝てばっかりだと腰痛めるわよ」

「余計なお世話だよ、そこまで歳じゃないし」

「そう、でもそこそこいい歳の自覚あるならその溜息止めたら?見苦しいわよ」


ああ本当煩いなぁこの女。しかしここで言い返すと唯一の物資調達源である便利な人間を失うことになりかねないので、口にはしない。

黙った俺を、冷蔵庫をばたりと閉めた波江がじっと見つめ次の瞬間には酷く訝し気な顔をしてこちらを見た。


「………本当気持ち悪いわ、まだ風邪引いてるんじゃないのそれ、夏休みが終わる前の中学生みたいよあなた」

「…それ労わってんのか貶してんのかはっきりしてくれない」

「残念ながらどちらもよ、結局見苦しいだけで」

「ああ、そう」


そつの無い相槌を打った俺に、今度は波江が溜息を零した。それでも何も言わず今度はコーヒーを入れ始めたので、俺は再度ぼすんとソファに身を投げる。


「…俺さぁ」

「何よ」

「引っ越そうかなぁ、ここ」

「…はぁ?」


波江にしては下品な返事が返ってきた。いやこの女は元々口は悪いが。一応聞き返された事に大して「引っ越そうかなと思って」ともう一度告げた。


「どうして?あなた此処気に入ってたじゃない、第一次のアパートだかマンションだか知らないけど誰が探すと思ってるのよ」

「さぁ、不動産屋かな」

「…ふざけた事言わないで、不動産屋に行くのは私よ」

「ははっ、分かってるなら言わせないでよ、君らしくないなぁ」


肩を竦め乾いた笑い声を上げれば、益々波江の表情はくしゃりと歪んだ。

ぽつりと呟いてはみたが、俺にとってはそれが最善で最後の手段だとあの日からもう分かり切ってはいた。
だってこんな生活を続けていたってどうしようもない。シズちゃんが隣から出て行く筈も無いし、だからと言って延々こんな生活を続けていたら、波江じゃないけど本当に腰が痛くなりそうだ。


「隠居生活に飽きたからって振り回されるこっちの身にもなって頂戴、いい迷惑だわ」

「別に飽きたって言うか、まぁ引っ越せるなら何処でもいいよ」

「お隣にオトモダチもいるじゃない、どうして態々引っ越す必要があるのよ?」


波江の言葉に俺は思わず失笑した。まぁあながち間違ってはいないし、波江の小馬鹿にするような言い方もわからなくもない。俺とシズちゃんの関係を言い表すのに一番適しているのは第一位がお隣さんで、その次点が多分オトモダチ、だ。

けれど残念ながらそのオトモダチの枠からも、俺はこの間自分から脱してしまった。やらかしてしまったと言った方が近いのかも知れないが。それ以来、俺の生活はずっとこんな感じだ。自分で認めたくも思いたくも無いが、それなりに落ち込んでいる。なんて言うか、気分が。

波江に下らない愚痴を零してしまうくらいには弱っていた。

この部屋は駄目だ。取り敢えず隣にシズちゃんが住んでいる時点でもう全てが駄目なのだ。

会えなくてもシズちゃんは毎日起きて出勤して夜になれば帰ってくる。これはごく当たり前のことだ。だけど、それが俺には少しばかり、いや大分しんどい。だって会いたくないって言ったら嘘だ。いや今の状況では死んでも会えないけど、だったらいっそ死んで会いたい。

ほんの壁一枚を隔てて、そこに居るのにと何度思ったろうか。壁をじっと見つめては、会いたいと思った。
矛盾していた。会えなくしたのは自分なのに、まるで他の誰かがそうしたように、祈るような真似をする自分が何よりも嫌だった。

だけどやっぱり会いたかった。まぁ、できれば夢とかその辺りでお願いしたい。







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翌日の朝、部屋のインターホンが鳴り響いた。

ピンポーンという単調な音が、一度だけにも関わらずやけに長々と部屋に響く。俺はそれを鳴らしたひとが誰だか分かり切っていたから、敢えてそのままリビングから玄関に続く廊下を眺めた。

シズちゃんが起きてから丁度一時間、隣のドアの音の少し後に響くインターホンの音は、間違いなくシズちゃんが押したものだろう。

薄っぺらいドアの向こう側に、シズちゃんは居る。それだけでどうしてかそこから視線が外せない。じっと見つめていたら、やがて暫くして足音が遠ざかるのが聞こえた。やけに諦めが早かったので正直拍子抜けしたが、同時に助かったとも思っていた。

シズちゃんが俺の部屋の呼び鈴を一度鳴らすたびに、息が詰まる。一度は訪れなくなっていたからこそ余計にだった。
何れそのまま呼吸が止まるならそれでも構わないが、首を緩く絞められているだけでこれじゃあ半永久的に生殺しでしかない。そんなのは御免だ。

足音が聞こえなくなったところで、俺は漸く息を吐き出した。苦しい、つらい、なんだこれは、なんなんだこれは。

顔を見ることすら、名前も呼ぶことすら、そんな事すらなにひとつ叶わない。なんて叶わないことだらけの恋なんだろう。

余りの呼吸のつらさに、これ本格的に病気なんじゃないかなぁとすら考えた。何かこう気管支系の。
じゃないとこんなに苦しい説明がつかない、どう考えたっておかしいだろうこれは。呼吸ってのはごく自然に繰り返せるからこそ息をするようにとかいう例えが使われるのであって、これじゃあまるでどうしようもないじゃないか。

俺はそのまま玄関へと向かい、靴を履いてそっとドアを開けた。

そのまま外の景色が広がって、その先を見つめる。どこか久しぶりながらにも見慣れた町並みがそこに広がっていて、外の空気を吸い込んだらほんの少し呼吸が楽になった気がした。
ここから見える景色に、既にシズちゃんの姿は無い。やたらと晴れ渡った空に、照りつける太陽が眩しくて思わず目を細めた。

直射日光は余り好きじゃあない、そのまま振り返りドアノブを捻ろうとしたところで、そこに白い紙が巻きつけられていることに気が付く。


(……うちは神社か)


驚きはしたものの、取り敢えず心の中で突っ込みを入れてからそれを解いた。これで本当に凶とか書いてあったら笑えるのになぁ、そんな事を考えながら、俺は何度も細く折られたそれをゆっくりと開く。






『今日から三日出張に行く、帰ったら話がある』


真っ白な紙にはそれだけ、二行に渡って書かれていた。名前は書かれていない。だけどこの字は知っている。シズちゃんの字だ。
俺はその紙をくしゃりと丸めて手に握り込むと、そのまま勢いよくドアを開けて部屋に戻った。

リビングに入るや否や、そのままテレビ台の引き出しを引いて目当てのものを引っ張り出す。

シズちゃんの携帯の番号が入った名刺と、以前クーラーが壊れて泊まっていた時に置いていった二本だけ残った煙草の箱、くしゃりとそれらを握り締めてそのままリビングのゴミ箱に投げ捨てた。

続いてその辺りのテーブルに転がっていた携帯を手に取り、開く。かちかちとボタンを操作してデータボックスを開き、一枚の写真がそこに表示された。

映し出されたシズちゃんの穏やかな寝顔に一瞬手が止まる。けれどそのまま操作を続ければ、削除しますか?の文字が表示された。

躊躇ってはいけないのだ、こんなものをいつまでも女々しくとっておいたりするから余計会いたくなってしまうに違いない。寧ろ忘れるほど情報源を絶ってしまえば、それこそ冬眠じゃないが時間が経てば綺麗さっぱり忘れてしまえるかも知れない。

話がある、そのたった一言の書き記された単語を見た瞬間、ああもう止めなければと思った。
内容はともあれ面と向かって何を言われるかなんて、想像に容易いことだ。だって俺は男で、シズちゃんも男で、まぁ、そんなことは好きになった時点で気付いてはいたが。

いいじゃないか、何だかんだでキスもできて良い思い出だ。いやできればそれも含めて忘れたいけれど。しかも自分から一方的にとかなんか思い返すと色々痛いけれど。




彼のことがすきだった。特別だった。全てを過去形にするためにこうするのだ。


言い聞かせるように心の中で呟いて、やっぱり部屋の中に入った途端に苦しくなった呼吸に思わず口元を押さえた。つらい、くるしい、それなら止めればいい。きっと、楽になれる。

止まっていた親指でかち、とボタンを押す。目に焼きつくように、シズちゃんの寝顔が映る最後の一瞬が、まるでスローモーションみたくしてゆっくりと俺の目蓋の裏をそっと通り過ぎた。は、小さく息を吐き出すのと同時に手元の携帯はお決まりのメッセージをそこに表示している。


削除しました、


その文字を確認してから俺は携帯を閉じた。






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