ちょっと待って下さい | ナノ



ちょっと待って下さい






全力だった、そりゃもう全力を出すなんてそうそう無いこの俺がだ。いや寧ろ世界一全力という単語が似合わないと言ってもいい、この俺がだ。いやもうこの際何だっていいとにかく全力で、俺は迫り来るシズちゃんを避けた。
事の経緯はこうだ。

ぐだぐだと俺はシズちゃんの背中に寄りかかったりその広い背中に指先で落書きをしてみたり。まぁ言い換えれば暇を持て余す、もしくはシズちゃんを有効活用して暇を潰していたら、突然「うぜぇ」の一言と共に俺の顔面にクッションがクリーンヒットしたのだ。ぼすんと鈍い音を立ててまぁそんなに痛くは無いがクッションに俺の顔が埋まる。ずるりとそれを引き剥がし、ちょっと腹が立ったのでそのまま再度そっぽを向いたシズちゃんの背中にクッションをぶつけ返してやった。

「…何しやがる」

「べっつにー?シズちゃんの真似しただけだけど」

わざとらしく肩を竦めて軽々しく答えれば、シズちゃんは不機嫌を露にした表情で俺をじろりと睨み付けてきた。別に今更そんな顔されても怖くも何とも感じない。シズちゃんだってそんなの痛くも痒くも無い癖になんでそんな不機嫌そうな顔してんの腹立つなぁ。

一瞬苛々しただけだったが、もう今更何事も無かったかのように普通にするのもめんどくさい。とりあえず俺は不機嫌なシズちゃんを放っておくことにしてコートのポケットから携帯を取り出す。画面を開いて適当にかちかちと操作を繰り替えしていたら、傍らにふと陰が掛かる。なに、と首だけをそのまま横に向けるとそこにはシズちゃんの顔があった。
いや、あっただけならまだいい。何と言うか、至近距離、いや問題は寧ろそれよりも。


「うわ!」

驚きと動揺が入り混じった末に、俺としては何ともボキャブラリーに貧した情けない叫び声が出た。いやいやこの際そんな事はどうでもいい。ちょっと、今この人何しようとしてた?ありえないんだけど。いや本当ありえないんだけどちょっと。

「何なんだよ、煩ぇな」

「いやいやいやいや、何なんだよはこっちの台詞なんですけど」

「なにが」

「え、だって、シズちゃんいま」

「あ?」

「ほっぺにちゅーしようとした」

「………」


そこで黙るなよ!と叫びたい衝動に駆られたが、寧ろ沈黙イコール肯定の方程式が俺の脳内で導き出されて結果それは声にならなかった。なんてこったい。

と言うわけで今更ながら冒頭に戻るとしよう。そう、俺はシズちゃんのほっぺにちゅーから逃れるために全力を出して身を引きそれを回避したのだった。いやしかしまだ問題は終ってはいない。シズちゃんは俺があからさまな程の拒絶を見せた所為で、さっきの3倍は不機嫌そうな顔をして俺のことを睨んでいる。何だかこれは面倒なことになった。

「ああ?しようとしたら何だってんだよ、悪いのか」

あ、やばい何か真面目に怒ってるのこの人。軽く受け流してくれはばいいものをこれだから脳味噌少ない筋肉バカは困っちゃうよね。
しかし無理なものは幾ら俺でも無理なのである。思わず俺は両方の頬を掌で覆い隠すようにしてシズちゃんをじとりと見返した。

「いやそれだけは絶対無理、勘弁して」

「なんで」

「なんでの意味がわかんないよシズちゃん、無理なものって誰しもあるでしょ、だから無理なんだって」

「無理な理由を言え、じゃねぇと拒否権は認めねぇぞ」

あらやだこの人何拒否権とからしくない単語口にしちゃってんの。って言うか何でそんなに頑ななの。拒否したんだからそのままスルーしてくれれば良いだろ本当空気読めないヤツはこれだから困るんだよね!

いやいやほらシズちゃんよく考えてみなよ、ほっぺにちゅーって何でまたそんなくそ甘ったるいことしなきゃなんないの。無理でしょ、むりむり普通に無理、想像…してないけどねそんなの!恥ずかしくて顔から火が出るっての。火が出たらそりゃもう大惨事だよ。死んだ方がマシでしょそれ。

「いや、普通に口になら許す、口にしてよ」

「はぁ?意味わかんねぇ」

「いや意味わかんないのシズちゃんの方でしょ」

「いやお前の方だろ」

「シズちゃんが意味わかんない」

「お前が意味不明」

「シズちゃんの存在が意味不明、もう死んでよ」

「手前が死ね」


あ、よしよし上手い具合に話が逸れていい感じになってきたぞ。しめしめシズちゃんの突拍子無い発想は正直参るけど、こういう単純な所は助かるよ本当。このままいつも通り喧嘩したって俺は一向に構わない。寧ろ自分のペースを取り戻せるので助かるのだ。
よしここで一丁とびきりからかってやろうと思い、漸く頬を覆っていた掌をそこから剥がしたその瞬間、そう、一瞬だった。

シズちゃんの無駄に長い腕が俺の肩に回されたかと思うとそのままぐいと強く引かれて、俺は咄嗟にバランスを崩したまま成す術も無くシズちゃんの胸に飛び込む形となる。抱き竦められるとそのままふわりとほっぺたに柔らかく掠めるようなキスが落とされた。あ、あ、このやろうシズちゃんの癖に不意打ちだなんて生意気なことしやがる。くそ、何かしてやられたみたいでむかつく。俺はシズちゃんの腕が腰に回り膝上ですっぽり抱き抱えられたまま、シズちゃんの唇が触れた頬をもその反対側の頬も掌でがばりと覆い隠すようにして俯いた。


「…いざやくーん」

「なに」

「っ、くく、耳まで赤いぜ?」


ちらりと視線だけを上げてシズちゃんの表情を伺えば、先程までの不機嫌はどこへやら、にやにやと実に憎たらしい笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。うわぁシズちゃん最高にムカつくよその顔。今ならムカつく顔世界選手権で優勝だねきっとああムカつくったらない。

「シズちゃんの童貞、死ね」

「ほっぺちゅーで顔真っ赤にしてる純情野郎にだけは言われたくねぇな」

「…うわぁどうしよう最高にムカつく。殺したい。いやもう死んで、お願いだから今すぐ死んで」

「手退けたら考えてやらなくもない」

「死んでもやだ」

「じゃあいっそ死ね」


会話の末には死ねとか殺すとか物騒な単語しか並ばないような関係だ。ほっぺにちゅーが恥ずかしいのは別にさしておかしくも何とも無いだろ、と心の中ではうっすら思ったがもう顔がじんじん熱い時点で何を言っても無駄だろうと思い俺はそれを飲み込んだ。

頬に両の掌を当てたままの何とも言えない間抜けな格好で、取り合えず俺はどうやったらこの気味悪い薄笑いを浮かべた男に仕返してやれるかと考えることにした。




(とりあえず冷めろ俺の頬)






口はいいのに頬は恥ずかしい臨也、それが恥ずかしくないシズちゃん





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