20 | ナノ








一週間と三日が過ぎて、結果的に俺にはいつも通りの日常が戻ってきただけだった。

何も変わらない繰り返すだけの日々は、何も無いだけにそれなりの時間を過ごせばあっと言う間に流れて行ったし、段々と以前のペースを取り戻しつつあった。まぁ言ってしまえば元々ただの引き篭もりに近い生活をしていた俺だから、外に出る事なんて極端に少ない。どうしても欲しいものがある時は、シズちゃんが仕事に出ている昼間にだけちらほら出掛ける程度だった。

後悔はしていない。ああした事で今こうして平和な時間を過ごせていると思えば、あの時ああしたことが限りに無く正解に近かったような気さえしてくる。余計なことを出来るだけ考えないようにして、その内忘れられたらいいのになんて思っていた。

あの日から三回だけ、俺の部屋のインターホンが鳴らされた。どれもきっとシズちゃんだったのだろうと思う。一方的に言いたい事だけ言って追い出したので、もしかしてシズちゃんにも言いたい事があったのかも知れない。だけど俺は居留守を決め込みそれに応じる事は一度も無かった。引き篭もっているのはシズちゃんも分かっている事だろうから、出ない以上は会いたくないという無言の意思がきっと伝っている筈だ。

部屋のカーテンはきっと二度と開けない。元々太陽の光は嫌いだ。そういう言い訳もこの一週間で大分慣れてしまった。

三回目のインターホンが鳴って以来、俺の部屋は実に静かだった。






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今日も今日とて、俺はシズちゃんの出勤する時間に出掛ける音をきっちりと確認した。その後は適当にニュースとか情報番組を繰り返しチャンネルを変えては見続ける。そうすると大抵時刻は夕方になるのだ。また夕方のニュースをBGM代わりにして、パソコンで株価をチェックしたり、波江からのメールをチェックしたりしていれば(会社関連でたまに来ることがある)気付くと日が暮れあっと言う間に夜になっていた。

一日中寝ていることもそりゃまぁ、低血圧なのでたまにはある。しかしどうもシズちゃんが出掛ける音を確認しないと落ち着かないのだ。隣に居るのと居ないのじゃ、気にしないようにと思い込んでいても全然違う。

しかし今日は帰ってきた音だけがしない。確かに朝家を出たのは間違いないのに。よくよく考えてみれば今日は週末だったから、もしかして職場の付き合いとかそういうので遅くなるだとかそんな感じなのかも知れない。



(どうしようかなぁ、)



出来るだけ普段ちまちま食べるものは一度に買い溜めするように心掛けてはいたものの、当然何時かは底を尽きるもので。そして今日は朝から水分しか口にしていない。珍しく今お腹が減ったとかそういう事を言いたい気分なのだ。それくらいには空腹だというのが分かる。

ちらりと時計を見遣れば、時刻は夜の11時を過ぎた所だった。するとばたん、図ったかのようなタイミングで隣の部屋のドアの音が耳に響く。どうやらシズちゃんは帰宅したようだ。それならばと俺は財布をポケットに突っ込み玄関へと向かい靴を履くと、出来るだけ音を立てないようにそっと扉を開けた。

何で自分の家でこんな泥棒染みた真似をしなければならないのかとふと虚しくもなったが、昼間出掛けなかった自分にも非が無いとは言えない。そうっとノブを回し部屋を出ようとした所で、瞬間、油断しきっていた俺は息を飲む羽目となった。



「…よぉ、何処行くんだ?」



ドアを開いた左側に、壁に座り込んで丁度煙草を携帯灰皿に押し込んでいたシズちゃんが、ゆっくりと立ち上がって俺に声を掛けた。

やばい、即座にそう判断した俺は慌てて握ったままのドアノブをそれはもう全力で戻す。しかし、がしゃん!と鈍い音を立ててドアは僅かな隙間を残したままで完璧に閉じる事は叶わない。シズちゃんがその靴先をドアと壁の間に滑り込ませて来たからだ。


「…っ、ちょっとちょっと、刑事ごっこは他所でやってくれないかなぁ?絶対ドラマの見過ぎだよ何なの一体」

「手前…ふざけんなよ…!」


俺が早口で捲し立てながら掴んだノブをぐっと引き寄せても、ドアと壁の隙間はどうしてもそれ以上は埋まらない。それ所かシズちゃんはそのまま隙間に手を掛けたかと思うと、俺の全力などまるで子どもと同じだとでも言うように無理矢理ドアをこじ開けて来た。

やばい、やばいやばいやばい、どうしよう。逃げられない。呆気なく玄関へと侵入されて、成す術の無い俺はそのまま後退り壁に追い詰められる。するとそのままシズちゃんが後ろ手にドアを閉める。一瞬鍵の付いた寝室に逃げ込むことも考えたが、そんな俺の考えなどお見通しだと言わんばかりにとん、と俺の顔の辺りの高さで壁についたシズちゃんの両手によって、俺はまさに八方塞がりの状態になってしまった。



「…いつからそこに居たの」

「7時頃」

「さっきドアの音した筈なんだけど、あれなに」

「もしかして部屋に入ったの確認してから外出してんじゃねぇかと思ったからだ」


だからわざと一回閉めてみた、まさか本当にそうだとは思わなかったけどなぁ。吐き捨てるみたいな口調に、俺はシズちゃんから見えない位置で掌をぎゅっと握り込んだ。悪いことだとか、そういうルールは存在しない筈なのにとてつもなく俺は責められているような気がした。まぁ、それも当たらずとも遠からずなので否定などできやしないが。


「待ち伏せとか、よくないなぁそういうの、実によくないよ」

「んじゃ人の事あからさまに避けてんのは良い事だってのか?ああ?」


あれおかしいなぁ、シズちゃんってこんな人の揚げ足取るような人だったっけ?って言うか何かいつもと違うっていうかいや、うん、分かってるけど、凄く怒ってるんだって事くらい。


「…何でそんなに怒ってんの」

「怒ってねぇよ、ただ気に入らねぇだけだ」

「……なにが」

「俺が嫌いならそれで良いし、それで避けてるなら別にそれでもいいけどよ、理由無く居留守使ったりだとか避けたりだとかそういうのが気に入らねぇって言ってんだ」


低い低いシズちゃんの、聞いたことも無いような声音がしんとした玄関に響く。いつもみたく機転を利かせて適当な言い訳を繕えばそれで良かったのかも知れない。だけど、息を吸い込んだらそのまま吐き出すことができなくなってしまった。だって、どうしたって嘘だって、嫌いなんて俺の口からは言えない。言えるわけがない。

どうしたらいいのだろう。それは今この状況に対してだったり、自分の中のシズちゃんに対する感情だったり色々だった。この状況で何を呑気にと、何処か冷静にそんな事も考えたりしたが、そうしなければどうしようもなかった。

シズちゃんが怒るのも無理はないと、本当はそう思っている。今まで散々付き纏っておきながら突然一方的に避けられたりしたら、そう思うのが普通だ。だけど。



「…ふふっ、おっかしいなぁ、そんな怖い顔しないでよ」

「ああ?」

「べつにただのお隣同士で、約束も何もないのに避けたの何だのっておかしいじゃない」

「……だからって居留守まで使うのか」

「うん、だってもう飽きちゃった、シズちゃんと遊ぶのも」


笑うのは得意だ。淡々と心にも無い言葉をぺらぺらと捲し立てながら、俺はまるで何でもないというように実に上手く笑って見せた。目の前のシズちゃんは、感情をぐっと押し殺したような表情でじっと俺を射抜くように見つめてくる。真っ直ぐ過ぎる視線は、好きだけれど少し苦手だ。何もかも見透かされたような気持ちになる。

シズちゃんは俺の目から見ても実に分かり易く傷付いていた。嬉しいなぁそのくらいには俺の事好きでいてくれたって事になるよねこれは。うん、でも惜しいなぁ。いや惜しくないけど、俺が欲しいのはそれじゃないんだよね実に残念な話だ。


「…わかんねー」

「…え、」

「納得できねぇって言ってんだよ」

「だから、なにが」

「お前らしくねぇだろ、そういうの」

「ははっ、なにそれ、シズちゃん俺の何を知ってるって言うの」

「別に何も知らねーよ、けどそのくらい分かる、あと」

「…っ、わ」


不意に壁に押し付けられていたシズちゃんの手が俺の頬に添えられて、ぐいと視線を上向かされる。俺の口からは思わず間抜けな声が零れた。

「ちゃんと人の目見て喋れ」


そういう所が気に入らねぇ、シズちゃんがぐっと俺の顔を覗き込む。触れられた頬がばかみたいに熱い。シズちゃんの手の触れたそこが痺れたようにじわじわと疼いて、シズちゃんの体温が伝わる。真っ直ぐ覗き込まれて、息が止まる。くるしい、苦しい苦しいやめて、お願いだ俺に触らないでくれ!

いっぱいいっぱいだった、何もかもが。どうしてこうなってしまったんだろう、どうしたって今の状況は最悪でしかない。でもやっぱりそうしてしまったのは、元を辿ればきっと全てが自分の所為でしかないのだ。俺は誰も責められないしだからと言って自分の所為にすることもできない。俺が幾ら線を引いても彼は気にせず飛び越えてきてしまうから、なのに、俺は彼の所為にすることもできない。

ああ、こういう時こそ働け俺の頭。いかにして自然にそしてできるだけ当たり障りの無い方法を考えろ。そんな指令を必死に送り続ける。だけどやっぱり触れられた頬が、あつい。シズちゃんの手が熱いのか俺の頬が熱いのか、もう何だかよくわからない。








「臨也、」





名前を呼ばれるのと、ほぼ同時だったと思う。気付いた瞬間には俺は両手を伸ばしシズちゃんのネクタイごと襟首を鷲掴みにすると、力任せにぐいと強く引き寄せて、僅かに背伸びをしそのまま屈む格好になったシズちゃんの唇に噛み付くように口付けてやった。

触れた唇の感触に、どうせ息ができないならこのまま死んでしまいたいとすら思った。
押し付けた唇を離すのと同時に、ゆっくりとシャツを掴んだ掌の力を緩める。そっと手をそこから離してそこで漸く浅く息を吐いた。


「…俺さぁ、言ったよね、シズちゃんに好きだって」


わかる?それってこういう事だよ、べつにあれ冗談でも何でもないし、だからもう俺に構わないでね。出来るだけ抑揚の無い声で呟いて、俺はそのまま手を伸ばしてドアを開けた。シズちゃんの表情を伺うことがないように視線を落としたままで。シズちゃんはべつに何も言わなかった、だけどそこから出て行こうともしなかった。余程びっくりしたのだろうか。何すんだって怒鳴られたりしてもあれだけど、寧ろそれでも良かったのかも知れない。沈黙は息が詰まるから、苦手なのに。



「帰って」



そう玄関の床を見つめたまま告げたら、暫くしてシズちゃんはやっぱり何も口にしないまま、言われた通り俺の部屋から出て行った。
ばたんとドアが閉まって、やっぱりこないだみたいに時間を置いてからまた隣のドアが閉まる音がする。俺は取り敢えずそっと伸ばした指先で鍵を掛けると、そのままドアの下にずるずると座り込んだ。立っているのも、息をするのも、何もかもが辛かった。






「…あーあ、」



やっちゃった、本当にこの単語がお似合い過ぎて実に笑えない。何かきっともっと、上手くやり過ごす方法は沢山あった筈なのに。
蹲ってドアにごつん、と額を押し付ける。触れた唇の感触を思い出して、ちょっとセンチメンタルな気分になった。

結局俺とシズちゃんの関係は、最悪から最悪へと割と面白味の無い変化を遂げてしまった。
嫌われたろうな、同じ男にあんなことされたら当然だよね。そんな事を考えたら情けないことにちょっと泣きそうになってしまったので、ぐっとそれを堪えて唇を噛み締める。それでもやっぱり俺は、その場所から立ち上がる事ができない。

彼が信じたかどうか、そんな事もいっそ気にならない。何だかもう、繰り返すばかりで本当にばかみたいだと思った。





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