18 | ナノ


※静雄視点




臨也が姿を見せなくなった。


まぁ元からあいつはおかしな奴だ、良い人っぽかったり胡散臭そうだったりよく喋ったり酒に強かったり、あといっつもアイスアイス言いながらたまにコーヒー、それと水。仕事は現在しているようなしていないような、自称自営業。だけど悪い奴ではない、とは思う、多分だけれど。

そもそも人付き合いの少ない自分とここまで交流が出来る相手は、どちらかと言えばほぼ居ないに等しい。だけど折原臨也はあまりにもすんなりとそんな俺の生活に入り込み、すっかり溶け込んでしまっていた。
正直遠慮しない部分もそこそこあるが、それはまぁいつかも言ったようにお互い様だ。自分が色々と世話になっているという自覚もそれでこそ程々にあったし、あいつも遠慮がない分それらは別に俺にとってさした問題にはならない。

ゴミ出しによく顔を合わせてはちょこちょこ下らないことを喋ったり、俺が煙草を吸っているとふらりとベランダに現れたり、まさに神出鬼没だ。それも最近では大分当たり前の光景になっていて。だから、だからこそだ。

この二週間臨也の姿を見ていない。最後に見たのはいつだったけか、ああ確かベランダで俺が煙草を吸っていた時だった。

あの日以来、臨也はベランダに現れなくなった。それだけじゃない、週に一度の確率ではあるがほぼ毎回顔を合わせていたにも関わらず、ゴミを出しに来ることも無くなったのだ。余りに唐突過ぎて最初は旅行にでも出掛けているのかと思ったが、煙草を吸うためにベランダに出れば、隣の窓のカーテンの隙間から時たま薄明かりが零れていることが何度かあった。取り敢えず生きてはいるらしい。

けれどその次に降りかかってきたのはどうしてなのか、という疑問だった。ここ最近ずっと顔を合わせていた所為か、いや寧ろ臨也が俺に懐いていたというか何と言うか。
その状況からしてみたら、何となくだけれどもいやこんな事は考えたくないし寧ろ自意識過剰なのかも知れないが。




避けられている。

ふと、そんな事を考えた。もしかして気付かない内に何か言って不愉快にさせたとか、先程から言うように考えたくはないが、そのひとつの可能性もきっぱり有り得ないとは言い切れない。兄さんは口下手だから相手にちゃんと伝わらないことが多いかもね、そんなことを弟に指摘された事もあるくらいだ。

しかし結局のところ原因は分からないままだ。もし先程の件が当て嵌まっているとしたら自分から尋ねるというのも気が引けるし、そこまで俺は無神経じゃない。そんな事を延々と考えて気が付けば二週間が経過していた。


ただ、隣の部屋に臨也は居る。
けれど、ここには来ない。


夏の夜風も大分涼しくなってきた。もうじき夏も終わる。白い煙をふーっと吐き出してから不意に隣のベランダに視線を向けたが、当たり前だけれどやっぱりそこには誰も居なかった。






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とはいえ、夜はまだしも日中はやはり蒸し暑い。夕方ともなれば若干その暑さも和らぐものの、駅からアパートまでの帰り道を歩くだけで俺の不快指数は十分過ぎる程上昇した。この分だと締め切った部屋は外より更に暑いだろうなとうんざりしながら階段を上り、部屋のある三階へと辿り着いた時だった。


「あ、」


自分の部屋の向こう側のドアの前に立っている人影を見るなり、俺は思わず声を上げる。しかしながらそのドア、臨也の部屋の前に立っていたのは部屋の主の臨也ではなく、いつかのクーラーが壊れた時に臨也の部屋で会った髪の長い女だった。えーっと、名前何だっけ。忘れた。

すると女も俺の間抜けな第一声に気が付きこちらを振り向く。今まさに手にしていた鍵を鍵穴に挿さんとしていた瞬間だったらしい。向こうも俺が誰だか思い出して理解したらしく、小さく頭を下げて来た。つられて自分も取り敢えず会釈を返して自分の部屋の前へと足を進める。


「あなた、お隣だったのね」

「…はぁ」

「あ、そうだ、はいこれ」


そう言ってずいと差し出されたのは、よく見るコンビニのビニール袋だった。わけがわからないまま反射的に手を差し出してそれを受け取ると、そのまま手に鍵をぐいぐいと押し込まれる。え、思わず声を上げるが目の前の女はそんな事お構いなしと言わんばかりに鍵を俺の手に収め終えると、相も変らぬ無表情で俺を見上げた。


「風邪引いてるらしいのよ、あの馬鹿」

「え、」

「そこに薬も入ってるから後は宜しくね」

「は?いや、ちょっと」

「死にそうだったらそのまま放っておいてくれても構わないけど」


実際死なれても後味悪そうなのよね、物騒なことを呟いて女は「じゃあ宜しく」と一言残し本当にそのまま帰って行ってしまった。ドアの前の通路に一人佇む俺の手元には、女の置いて行ったビニール袋と臨也の部屋の鍵が残されている。何と言うか、ええと、どうすんだ俺。何なんだこの状態。

暫く考えて取り敢えず俺は頼まれたことだし、と開き直って部屋に入る事を決心した。しかしまぁ強引な女だと思ったが、これも二度目なので一度目ほどの強烈さは随分と和らいでいたような気がする。変わったやつに変わりはないが。がちゃりと受け取った鍵でドアを開け、内側からロックして靴を脱ぎ部屋へと上がり込む。

リビングに続く廊下を抜けてみたが、そこには人影は見当たらない。ならばと思い今度は寝室に向かいそっとノブを握り回して、開く。部屋を見渡せば、ベッドの上には布団がぐるぐるに巻きつけられた状態で臨也が眠っていた。


(…暑くねぇのか、これ)


まるで虫のような光景にそんな馬鹿みたいな事を思ったが、歩み寄ってみた臨也の呼吸は短く急いていて、そっと掌をその額に押し当ててやった。

暑い、じゃなかった、熱い。この部屋も暑いが多分布団に包まっていたことを考えれば、こいつにとってはきっと寒かったのだろう。ぴたりと額に押し当てた掌でそこをそっと確かめるように撫でてみたら、臨也の黒い睫毛がふるりと震えた。そしてゆっくりとその目蓋が開いたかと思えば、ぼんやりと虚ろな瞳で俺の姿を捉える。


「……なんでシズちゃんがここに居るの」


らしくもないか細い消え入りそうな声が小さく紡ぐ。額から前髪を掻き上げるようにして繰り返し撫でれば、臨也の瞳がほんの少し細められた。


「あー…、勝手に入ったわけじゃねぇぞ、いや入ったけど」

「…うん」

「あの女、名前覚えてねぇけど髪の長い…」

「ああ…、」


波江か、ぼそりと忌々しげにそう呟いて浅い呼吸を繰り返す様子を見つめながら「ああ、それそれ、そんな名前」そう返せば臨也が何やら居心地が悪そうにしきりにその視線を泳がせていて落ち着かない。どうした、と問い掛けてやればちらりとこちらに一瞬だけ視線を向けて、また直ぐに逸らされてしまった。


「…いや、」

「何だよ?」

「その、なんて言うか、手」

「手…?」


ああ、もしかしてさっきから撫でてるこの手の事言いたいのか、とそっと離してやればほっとしたように臨也が息を吐いた。そんな様子に俺は首を傾げながらも、まぁ取り敢えず深くは突っ込まない事にしておこうと聞き返すことは止めた。

取り合えずあの波江っていう女にドアの前で会った件を一通り説明する。臨也は聞いているのか聞いていないのか分かり兼ねるほど終始酷く虚ろな視線と曖昧な言葉で返事をしていた。これ以上喋らすのも何だなと思い、取り敢えず俺は暑くねぇか、と問い掛けたら、臨也は一言大丈夫、と実に頼りない声で答えた。


「お前が風邪引くとか、何か不思議な光景だな」

「…何それ、人のこと馬鹿だって言いたいわけ?」

「いや、まぁ良いからこれでも飲んでろ」


波江という女から受け取った袋の中から、スポーツ飲料水のペットボトルを取り出して目の前に差し出してやれば、のそのそと臨也はその細い身体をベッドから起こしてそれを受け取った。
しかしキャップを捻れど風邪で弱り切った握力では一向に蓋を開けられないらしく、直に力尽きたのか「…開かない」と小さく呟いた。俺は一旦ペットボトルを臨也の手元から回収すると、そのまま簡単に蓋を開けて再度差し出してやる。一瞬間を空けてからそれを受け取った臨也は、こくこくと喉を鳴らして飲み始めた。


「一応薬もあるけど、何か食ったか?」

「…食べてない、食欲ない」

「食わねぇと飲めねーだろ」

「いい、このまま飲む」

「馬鹿、治るモンも治らねぇっての」


まるで小学生のように意地を張る臨也に俺は思わず溜息を零した。そんな弱々しい声で言われても説得力ねぇよと思ったが、まぁ仮にも相手は病人だ。頭ごなしに怒った所でこいつが大人しく自分のいう事に従うような人間でない事は何となくだけれど分かる。無駄に頑固そうだしなぁ、こいつ。

しかしながらいつも何処か飄々としている様子は、今は欠片も見当たらない。ぼーっと焦点の合わない瞳はひたすらに虚ろで今一何処を見ているのか分からないし、可愛くないことばかり言って除ける減らず口も、いつもみたくぺらぺらとよく喋る普段からは想像もつかないくらい大人しい。そのくらいにはしんどいのだと、分かり易いのは結構なのだがこうも大人しいと何かこう、別人のようだ。


「…これ」

「ん?」

「ありがと、もうちゃんと寝るから帰っていいよ」


波江が余計なことさせて悪いね、そう言ってもそもそと臨也が布団に再度潜る。そしてくぐもった声で「鍵適当にその辺に置いといて」と呟いた。ベッドの横に突っ立ったままで布団に包まる臨也を見下して、こいつこんな小さかったっけ、そんな下らないことを考えてから俺は寝室を出てリビングに向かった。

鞄とスーツの上着をいつも臨也が座っているソファに投げつけて、人の家だとは判っていながらも勝手にクーラーのスイッチを入れた。寝室に風が向かわないように、ドアを閉めたかを再度確認する。

とりあえずまず最初に冷蔵庫を開いたが、相変わらずあるのはビールだとかアイスだとかばかりで以前から実に代り映えのしない中身に一瞬脱力する。何なんだこれ、これじゃあ風邪引いても誰にも文句言えねぇだろ馬鹿かあいつは。

しかし数週間前に俺が買って適当に入れておいたフルーツ類は、ひとつも見当たらない。せめてもの栄養源にと買い溜めしておいたあれらはきちんとあいつの胃の中に収められたのだろうか。食べたか駄目にして捨てたか些か怪しいものだが、まぁ今はそんな事はどうでもいい。空っぽの冷蔵庫と呼ぶには物悲しいその箱の扉を閉めると、俺は鞄も上着もそのままに一度臨也の部屋を後にした。





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