つるばらの憂鬱(♀) | ナノ
美容師シズちゃん×甘楽
一人称は俺のままです





つるばらの憂鬱






くい、と後ろから突然髪を引かれた。


「う、わっ…」


思わず慌てて髪を庇うように掌でそれを押さえ付けて、引かれた後ろを振り返る。その先には自分よりも大分背の高い、金色の髪をした若い男が立っていた。その手には腰元くらいまで伸びた俺の髪があって、指先で毛先を何度も確かめるように撫でている。

え、ちょ、何なのこの人。怖いんだけど。新手の宗教とか?思わずそんな考えが頭を過ぎったが、余りにも突然過ぎて俺の口からそれらは何ひとつとして声にならない。この男もこの男で、ただじっと髪を見つめてひたすら撫でているだけなのだ。怖い、何なんだ一体。


「…あの」


漸く何とかそれだけ呟くと、男は突然俺に向き直り閉じていた口を開いた。


「なぁ」

「へ、なに」

「あんたこれから時間あるか?」

「…は?」


実に突拍子無い話である。此処はたくさんの店が立ち並ぶ人通りの多い公道だ、どう考えても俺の驚きがこの場合正しい。なのにこの男は俺の返事を待つ間も手にした髪はそのままで、なんて言うか、いや間違いなくおかしい。おかしい人だどうしよう。ただのナンパならまだしも余りにもパターンが新し過ぎていっそどうしたらいいのか分からない。逃げたいけど髪捕まってるしこのまま引っ張られたら痛そうだしさぁ、どうすんのこれ。


「あるのか?」

「いや、その、」

「あるのか無いのか、どっちだ」

「…や、べつに、あるけど」


ねぇ何かこの会話おかしくない?そう続けようとしたのにも関わらず、彼は俺の「ある」という言葉に反応したかのように途端に髪から手を離す。そしてそのままがっちりと俺の手首を掴み、半ば強引に通りを歩き出した。


「え、ちょっと、待ってよ」


俺は慌てて掴まれた腕を上下に振ろうとしたが、驚いたことに男の手はびくともしない。ただずんずんと人通りの多い道をひたすら進んで行く、後ろの俺を振り向きもしない。広い歩幅に合わせて小走りになりながらも、大した抵抗もままならず、俺は見知らぬ男にただ着いて行くしかできなかった。


やがて自動ドアの前で立ち止まったかと思うと、しかしやはり振り返ることはなく開いたドアをそのまま潜って行く。クーラーの利いた室内に思わずほっと息を吐いた瞬間、漸く手を離された。
目の前の大きな背中がこちらを振り向き、じっと金髪の男はこちらを見下ろす。そして暫くした後に再度手を掴まれて店内と思わしき室内の、更に奥へと連れて行かれる。

ねぇこれ拉致?拉致じゃないの?いや別にさして抵抗してない俺が言うのもなんだけどさ。けど明らかに同意もしてないからこれはやっぱりおかしいでしょ。つーか何なんだこいついきなり人の事引っ張って来やがって無駄にでかいし偉そうだし、その背中にとび蹴りでもかましてやりたい気分だよ全く。

大きな鏡と椅子が順に並んだ店内は、何処からどう見ても美容室だ。しかし、人はまばらと言うにはおろか、全く存在しない。そう、要するに客が居ないのだ。

益々胡散臭いし怪しいし何かもしかして危ない感じ?そんな事を考えていたら、店内の一番奥の椅子の前についと促され、そのまま軽く肩を押さえ付けられるままに腰を下ろす。座らされて俺が呆然と鏡越しに男を見上げていたら「待ってろ」一言そう残し男はまた踵を返した。

いや待ってろって言われてもね、しかし返事はせず取り敢えず大人しくしていたら、今度は違う男が現れて俺に気付くとそのまま歩み寄って来た。髪を後ろに流したオールバックに、しっかりとした体格である。そういや目の前のこの男からすれば先程の男は大分細身だった。


「悪いな、あいつ何も説明せずに無理矢理引っ張って来たんだろ」

「…はぁ」

「あ、俺は門田って言うんだけど、別に怪しいモンじゃないから」


まぁ、そんな事を苦笑しながら言われても既に十分怪しい。一番怪しいのはあのでっかい金髪だけど、あんたも二番目くらいには怪しいよ。しかし別に取って食おうだとか、何か悪さをしようとかいうような雰囲気はそうは感じられない。寧ろたぶん、好意的だ。怪しいのには変わりないけどね。


「ちょっと失礼」


そう言って返事をするより先に、男の手が俺の長い髪に触れる。軽く掬い上げるようにして、感触を確かめるようにさらさらとその手から業と滑り落として行く。そしてまた元通りになった髪を今度は軽く指先で摘んでまじまじと見つめながら何度か頷いている。


「へぇ、成程な」

「…あのさぁ、アンタといいあの金髪といい一体何なの?変態なの?」

「ん?ああ、悪い悪い、説明がまだだったな」

「はぁ」

「そう、見ての通り此処は美容室だろ、んで俺とアイツはここの美容師だ」

「びようし…」


ええ、嘘だ、あんな見た目で美容師とか有り得ない、そう言ったら門田と名乗った男は俺の毛先を指先で弄びながら再度苦笑した。


「嘘じゃねぇって、あれでもアイツそこそこ人気あるし。で、本題だけどな」

「はぁ」

「見ての通り此処は美容室だろ」

「はぁ」

「要はお前にカットモデルになって欲しいんだよ、あいつは」

「…はぁ」


はぁはぁはぁはぁ最早俺の口からはそれしか出ない。無理も無いだろう、突然連れて来られたと思えば次はいきなりカットモデル?意味が分からない、そんな事一言も言わずに此処まで連れて来ておいて今更そんな事を言われてもという話だ。俺どこか間違ってる?間違ってないよねこれ。


「あいつ、見ての通りあんなだろ?口下手だし、まぁ不安がらせて悪かったとは思うけど」

「今でも十分不安なんですけど」

「あー…まぁ何つーか、タダで髪綺麗にして貰えると思えば得だろ?」


多分あいつも連れてきたその日にばっさり切ったりしねぇだろうし、多分。そう呟きながらも、門田という男の指先で俺の髪は梳かれたり撫でられたりと忙しい。なにこれ、美容師ってみんなこうなの?じとりと鏡越しにそんな様子を睨み付けていたら、さっきの金髪が後ろから現れて門田という男の腕をそのまま叩き落とした。


「いつまで触ってんだよ」

「っ、て!…お前なぁ…馬鹿力なんだからもうちょい加減ってモンを…!」

「勝手に触んな」


低い声でそう呟くと、手を叩かれた門田という男は「はいはい」と溜息混じりに肩を竦め何処かに引っ込んでしまった。広い店内にしん、とただ沈黙が流れる。このただっ広い空間に無口な見知らぬ金髪と二人きりなんて、気まずいにも程がある。
勝手に触るなって、それは俺からしてみればこっちの台詞なのだが。そんな俺の言葉にならない突っ込みなどこの金髪は知る由も無く、無遠慮に俺の髪を指先で梳いて来た。

風で僅かに絡んだ髪が、骨ばった長い指先で解きほぐされて行く。見た目の無愛想さとは裏腹に、驚くほど優しく、やさしく。やがてするするとした感触を取り戻した髪をブラシで整えられると、そのままばさりとタオルとケープを掛けられた。因みに、この一連の動作の間、鏡に映るこの金髪は何一つとして言葉を発していない。


「ねぇ、」

「…何だ」

「アンタ、本当に美容師?」

「じゃなかったら何だ、寿司職人にでも見えんのか」

「見えないけど」

「なら別にいいだろ」


美容師でも、そう呟いて彼の手元に銀色の鋏が握られる。思わず俺はぎょっとして慌てて問い掛けた。


「え、ちょ、マジ?マジで切るの?」

「切らねぇよ、揃えるだけだ」

「あ、そう…それならよか…」


よかった、と言おうとして俺ははた、と我に返った。いやいやちょっと待て、揃えるならいいとかそういう問題じゃない、何が問題かって要はアンタが勝手に俺の髪を切ろうとしているところが問題なのだ。あの門田っていう男からは説明されたけれど、張本人のこいつからは何ひとつとして説明されていない。寧ろカットモデルのカの字も出てない。


「あのさぁ、別にアンタに切らせてくれとかそういうこと一言も言われた覚えないんだけど」

「…ごちゃごちゃうっせぇな、揃えるだけだって言ってんだろーが」

「うわ、口悪すぎ、最低、やだやだ本当勝手に触んないでくれる、切るなんて以てのほかなんだけど」

「手前なぁ…」

「切りたいならちゃんと言えっつってんの」

「………」

「ほら、早く」

「……切らせろ」

「やだ」


きっぱりと言い放ってやれば、鏡に映る男の顔があからさまに歪んだ。ざまあみろ、俺だっていきなり連れて来られた事に関しては本当にびっくりしたのだ、だからこのくらいは可愛いものである。


「可愛くねぇ…」

「可愛くなくて結構」

「あー、もう切るぞ、黙ってろ暴れたらベリーショートにするからな」

「え、うそ、ちょっと」

「嫌なら黙って大人しくしてろ」


しゃき、いっそ小気味いいほどの気持ちの良い音がして、俺の毛先からぱらぱらと髪が僅かに零れて行く。それからはあっという間で、予想もしていないほど男は丁寧に尚且つ手早く、俺の長い髪を切り揃えて行った。切り終えた後は大きなドライヤーでブラシをこれまたくるくると器用に扱い、ブローされる。どうやら美容師というのは本当だったようだ、ちょっと信じてなかったけど。直にドライヤーの風が止むと、目の前の鏡にはやたらとつやつやとした髪を纏う自分の姿が映っていた。


「…なんか、前髪だけ短くない?」


大分短くなった気がする、そう呟いて見慣れない自分の容姿に思わず前髪を分けるようにして額に撫で付けると、後ろからずいと大きな掌が伸びてくる。片手で俺の手をすんなりと退けると、もう片方の指先で短くなった前髪をまたまばらに戻し、軽く整えるようにして摘んだ。


「こっちの方が良い」


そして有無を言わせず前髪もそのままに、大人しく俺は手を膝上に落ち着かせる。何か、もう言いたい事とか忘れちゃったなぁ、別に切られても良かったけど切られなかったら切られなかったで、まぁいいや。
呑気にそんな事を思っていたら、ケープを器用に奪われて間髪入れずに直ぐにまた大きな掌が俺の髪を攫って行く。何度も何度も、飽きないのかと聞きたくなるほど執拗にその掌は俺の髪に触れて来る。別に髪に感触なんて無いはずのなのに、何故だかほんのちょっと擽ったい。


「おい、」

「へ?なに?」

「毎週月曜は定休日だから、来れる時で良いから店に来い」

「…は?」

「良いから来い、わかったな」

「いや、わかんないけど」


そう答えると目の前に小さな紙が一枚差し出される。有無を言わさずそれを受け取らされると、金髪の男は箒と塵取りを手に黙々と床を掃き始めた。全くもって、わけがわからない。名刺には「DOLLARS」と店の名前が書かれてあり、その下に「平和島静雄」と書かれている。どうやら彼の名刺らしい。しかしこれを受け取ってどうしろと言うのだ、まさか次は切るから覚悟しておけという宣戦布告かはたまた予告状なのか。そんな世にも恐ろしい紙切れを手にしたまま、ただ俺は成す術も無く呆然とその場に座ったままでいるほか無かった。






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