15 | ナノ


※静雄視点




ふと意識が覚醒して、遮光のカーテンの隙間から朝日が僅かに差し込んでいるのが見えた。今が何時だとかそういう世知辛いことは気にならない、何故なら今日は休日だからだ。
しかし朝から既に部屋の中にはいっそ無駄なほどに熱気が立ち込めていて、少しばかり暑い。取り敢えず床に寝転んだ状態のまま腕だけを伸ばし、ベッドの上にあるであろうクーラーのリモコンを手探りで探す。

すると何やら丸くて堅いものに触れて、思わずそれを確かめるようにぱしぱしと何度か叩くようにして撫でる。直ぐにもぞもぞと動く音が聞こえて、そのベッドの上に寝ている人物の頭に触れたのだと理解した。


「……痛いんですけど」

「あ、悪い」


そんな端っこに頭あると思わなかった、と言えば臨也がベッドの上から寝たまま俺を見下ろした。寝起きの顔がいつになく新鮮だ。何か目覚めとかすげー良さそうなのによこいつ。


「リモコン、そっちにあるんだろ」

「…ある、けどさぁ」

「暑くねぇ?」

「あついけどさぁ…シズちゃんって、なんか」

「何だよ」

「休みだけ早起きとか小学生みたい…」


まだ7時だよ、今日仕事休みなのになんでこんな早いの、と少し掠れた声が聞こえてくる。どうやらまだ相当眠いらしい。小学生で悪かったなと思ったが、まぁ休みで上機嫌なのは強ち間違ってもいないので否定はできそうにもない。そういや自分にしてはいつになく目覚めも良かった。


「もう一回寝るけど、休みだし」

「…うん、クーラーの効いた部屋での二度寝は最高に贅沢だよ」

「そう思うなら寝ろよ」


起こして悪かったな、そう付け足して俺は一旦寝転がっていた床から起き上がりシーツに包まり眠る臨也に「水貰うぞ」と告げて部屋を出た。後ろから返事が聞こえたような気がしたがまぁいい、あいつ遅くまで延々パソコンで何かやってたからな、そんな昨夜の出来事を思い出してキッチンへ向かう。
適当にグラスを掴んで冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを注ぎ一気に煽った。冷たい水がすっと喉を通り抜けてゆく感覚が何とも堪らない。再び半分ほど注いでからグラスを口元に運ぶと、がちゃり、本来なら聞こえる筈の無い音が廊下の向こうから聞こえて思わず俺は動きを止めた。

…いま鍵の音したよな?そう尋ねる相手も居ないので心の中で確かめるように呟くと俺はグラスを手にしたまま固まった状態で視線だけを廊下の方向へ向ける。金縛りになったように足はその場から離れない、しかし続いてドアが開いて、閉まる音。靴を脱ぐ気配、忍び寄る足音。

いやいやいや、あいつ今ベッドで寝てたよな?鍵は昨日俺が来た時に締めたよな?泥棒にしては休みの朝からなんてちょっと大胆過ぎるんじゃねぇの。そんな事をつらつらと考えていたら、やがて足音の主はその姿を見せた。
薄暗い室内にぼんやりと姿を見せたのは、髪の長い女だった。


「…え、」

「え?」


見事な疑問符対疑問符である。無理も無い、取り敢えず俺にはもう今の状況が全く理解出来ないし、多分向こうは向こうでこの状況を決して把握出来てはいないだろう。目を見開き驚いた表情で俺の姿を捉えている。いや、多分俺も同じ状態なんだろうけど。


「…どうも」


しかしその女は一瞬驚いただけで、次の瞬間にはまた落ち着きを取り戻し、涼しい表情を浮かべてそう呟いた。そしてそのまま何事も無かったかのようにリビングのテーブルへと歩み寄り手にしていたらしいビニール袋をその上に置いた。
俺はと言うと、当然返事など出来ない。寧ろどちら様ですかと尋ねてやりたい気持ちでいっぱいだったのだが、容赦なく目の前に現れた女は俺に疑問を投げ掛けて来る。


「あいつ、居るのかしら」

「へ、」

「寝室?」

「え、あ、はい」


敵意は無い、多分無い。だけど何と言うか、その言葉には非常に迫力がある。凛とした態度は有無を言わせぬ雰囲気を醸し出していて、俺は思わず敬語で答えてしまった。するとそこでがちゃり、寝室のドアが何ともタイミングよく開き虚ろな目をした臨也が向こう側から現れた。そして女の姿を見るなり、その表情が一気に歪む。


「…げ、波江」

「お早う、いいご身分ね、たまには早起きして外でも歩いたら?」

「やだよ、年寄りじゃあるまいし、って言うか俺にしたら十分早起きなんだけどこれ」

「あら、今流行ってるみたいよ?日に当たらなくて部屋に篭もってたらその内カビでも生えるんじゃないの」

「うちのエアコンは除湿機能付だから心配ご無用だけど?」

「そのままエアコンが壊れてクーラー病になって死ねばいいのに」

「…それくらいなら普通に死ぬよ」

「そう、ならできるだけ早目に宜しくね」


減らず口め、臨也がぼそりと呟くと女は長い髪を指先で掻き上げてにこりと薄く笑みを浮かべた。穏やかな(いやそうでもないのか)二人の様子とは裏腹に、会話の内容の殺伐さといったら無い。つーかちょっと怖い。あと俺は完全に蚊帳の外だいや寧ろ今はそれでいいと心の底からそう思った。コップを手にしたまま呆然とそんな様子を眺めていたら、ふと女がこちらを視線だけで振り返る。


「それにしても意外ね、あなたに友達が居たなんて知らなかった」

「…君はさぁ、本当に何処までも失礼だよね」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


因みにあなたに対してだけだから。そう言い切ると、女は身を翻し再び玄関の方へと消えて行った。しかし直ぐに「あ、」と思い出したような声が聞こえて臨也が今度はなに、と聞き返す。


「ウォーターサーバーのリース申し込んでおいたからそのうち取り付けに来るわよ、勿論料金はあなた持ちだけど」

「…また勝手な事を」

「これでもう人にミネラルウォーター買って来させるなんて馬鹿なことさせないで頂戴」

「もうさっさと帰れ」

「言われなくてもそうするわ」


しれっと答えて、嵐の如く女はドアの閉まる音と共に去って行った。

臨也がはぁ、と溜息を吐いてリビングのテーブルに置かれた女の持ってきたビニール袋からペットボトルを取り出しそれを冷蔵庫に収める。そんな様子をただじっと見つめながら、俺はふと思い立ったひとつの可能性をそのまま口にしてみた。


「…彼女か?」


すると臨也は俺を見るなりとてつも無く不愉快そうにその表情を歪めた。あ、これさっきの女を最初に見た時と同じ顔だな。呑気にそんな事を考えていたら臨也はきっぱりと「違うから」と否定の言葉を口にした。


「死んでもあんな女とそういう関係になりたくない」

「でも鍵持ってたじゃねーか」

「勝手に作られたんだよ、あれ一歩間違ったら犯罪だよ犯罪」

「…何だそりゃ」


じゃあ何なんだと聞き返そうかと思ったが、止めた。余りにも臨也の顔が真面目に不愉快そうだったので何となくこれ以上は聞かない方が良いのかと俺なりに判断したのだ。取り敢えずグラスに残った水を全部飲み干して、グラスをそのまま臨也に渡す。


「まぁよくわかんねーけど水でも飲め、俺は寝る」


するとどうした事か臨也は受け取ったグラスを見つめたまま、何とも小難しい顔をし始めた。前々から思ってはいるが、変なヤツだよなこいつ。どうした、と聞き返すと何でも無い、と直ぐに小さく返事が返って来て、そのままグラスに水を注ぎ始めた。やっぱり変なやつ。


「あ、」

「…なに、どしたの」

「夜は俺がメシ作るわ、泊めて貰ってるし」

「…べつに気にしなくていいんだけど」

「手前はもうちょいマトモな食事をしろ、だから細っこいんだよ」

「食べてるよ、ちゃんと」


どいつもこいつも本当失礼だよね、と返って来たので俺は嘘付け、そう言い残して再び寝室へと向かう。開いたドアからは涼しい空気が漂っている。自堕落ではあるが、実に幸せな休日だ。涼しい部屋で二度寝、臨也じゃねぇけど贅沢だよなぁ。
しかしこの空間で過ごせることに関しては、俺はこの部屋の主のおかしなやつに感謝せざるを得ない。そこそこ仲良くなったとはいえ、昨日に続き三日も泊めて貰えるとは本当に有難い話だ。いや寧ろあの灼熱地獄で眠る光景など想像もしたくない。それからすれば夕飯を作るなど実に容易いことである。

たまにベランダで交わす会話だとか、ゴミ捨てで交わすおはようだとかも、いつの間にか何となく日常に溶け込んでしまっている。元々人付き合いが得意なわけでは無かったが、なんて言うか、無駄な気遣いが必要ないので居心地はそう悪くない。寧ろ良いと言ってもいいくらいだ。まぁ本人にそんなことを言うつもりは更々無いが。

さてと、夕飯は何にするかな。そんな休日の主婦のようなことを考えながら、寝室に臨也が戻って来る前に涼しく快適な部屋で再び俺は眠りに就いたのだった。







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