14 | ナノ






朝日が何とも眩しい朝だった。

鳥のさえずりさえいっそ心待ちにしていたようなそうでもないような。いや、もうこの際なんだっていい。兎に角朝はやって来た。俺はぼんやりと天井を見つめていたが、そのまま顔を横に向けてベッドサイドの時計に目を遣れば、時刻は6時を回ったところだった。

すうすうと、視界には入りはしないものの、とても心地好さ気な寝息が下の方から絶えず聞こえて来る。そんな空間に俺は盛大に溜息を零した。そのままベッドから起き上がり、直ぐ横の床を見下ろす。するとそこには何とも気持ちの良さそうな表情をして眠るシズちゃんの姿があった。ああ、やっぱり夢じゃないのか。もう何がどうしてこうなったかと、それを思い出す事すら億劫な程だ。

もういいや、取り敢えず起こさなきゃ。俺はベッドから降りて床の上で眠るシズちゃんの傍らにしゃがみ込んだ。掛けられたブランケットごとその肩を掴みちょっと強めに揺すって起こそうと試みる。(因みにブランケットを掛けたのは俺だけど)


「シズちゃーん、朝だよ朝、起きて」


…うん、返ってくるのは相変わらずすうすうという息遣いだけである。それでもここで心を鬼にして起こさなければ後々被害を被るのはシズちゃん本人なのだ。
こうなったら実力行使だ、俺は指先で軽くその頬をぺちぺちと叩き更に声を張り上げる。


「シズちゃん、起きてってば、いや起きろ」


「…む、」


流石に穏やかな眠りを妨げたのか、シズちゃんはぎゅっと更に瞳を閉じてからうっすらとその目蓋を開いた。大体いつもの半分くらい。しかしその目に俺が映っているのかどうかは定かではない。限りなく彼の表情はぼーっとしていて、焦点が何処にも合っていないことが一目で分かる。


「…朝ですけど」


特別理由も無く敬語になってしまったのは、そんな彼の様子に動揺したとかそういうワケではないと信じたい。別に無防備なところを垣間見て嬉しいとか、そういうんじゃない絶対ない違います。
心の中で何処の誰にかは知らないが一通りの言い訳をして、彼の視線を遮るように手をその前に差し出して振ってみる。しかしこれも無反応だ。
すると非常に緩慢な動きでシズちゃんがゆっくり顔を上げて俺を見上げた。相変わらず何処を見ているのかわからない視線が何となくだけど俺を捉えて、そのままブランケットの中から長い腕かするりと伸びてきて腕を掴まれた。


「わ、ちょ…っ」


ぐい、本当に寝起きなのかと突っ込みたくなるほどの物凄い腕力で、俺の身体は呆気なくバランスを崩し床に倒れ込んだ。というより、倒れる前にシズちゃんの腕で身体をそのまま引き寄せられ、そのまま背中からなんて言うか、その、抱き締められるみたいな格好で一緒に寝転がる形になってしまった。


「…あと五分」


いや、なにが?何があと五分?いや眠たいのは分かるけど言ってる事は小学生みたいで可愛いかも知れないけどいやうそだ違うふざけるな、あと五分もこんな状況で耐えられるか!

ばくばくと煩いくらいに心臓が音を立てる。うるさいうるさいうるさい、何だ、なんだこれ。背中からすっぽりと覆われて馬鹿みたいに背中が温かくて、ちょっと気持ちよくなくもないけれど、違う、今はそういう場合じゃない。身体に回った腕にぎゅうと力が込められて、俺の心臓もぎゅっと縮こまった気がした。


「シズちゃん、朝!朝だって!」


声を張り上げるともぞもぞと首の後ろ辺りで髪が動く、何とも擽ったい。やがてふっと背中の温もりが和らいで離れて行き、腕の力が弱まる。俺は必死に身を縮めて恐る恐るシズちゃんを振り返った。


「…あ、ワリ」


先程よりは幾分はっきりとした口調と眼差しでそう言われてしまって、俺は言葉を失った。いや絶対悪いとか微塵も思ってない言い方だよね今の。本来なら此処は怒鳴るところなんだろうか、それとも軽く受け流すところなんだろうか、よくわからない。って言うか考えられない。見た目にはわからないだろうが激しく俺は動揺しているからだ。

そのままシズちゃんが起き上がり、そりゃもう大きな欠伸をひとつしてからぼーっと辺りを見渡している。そして未だ身を小さくしたまま床に寝転がるという何とも情けない格好の俺を見下ろして、口を開いた。


「俺の部屋、暑いから着替え取って来てもいいか?」

「…あ、うん、どーぞ…」


サンキュ、そう寝起きの低い声で呟いてシズちゃんは寝室から出て行った。俺はというと、これまた情けない話なのだがその場に固まったままで未だに起き上がれない。しかしただひとつ分かったことは、やはり一緒の部屋で眠ったことが間違いの始まりだと激しく後悔していた。







着替えを済ませたシズちゃんが出勤して、俺の部屋はいつもの平穏さを取り戻した。いや、別にシズちゃんが諸悪の根源だとは思ってはいない。寧ろ俺はたぶん全てのドッキリにおいて本来なら喜ぶべきところなのだ。
ただ、余りにも色々なことが一気に起こり過ぎて若干頭が追い付かない。それでも俺からしたら随分にそれらを冷静に対処していると言ってもいい、寧ろ褒めちぎったって足りないくらいだと思う。いや寧ろ誰か褒めてくれ本当に。

今日はもうとてもじゃないが眠る気になれなかった。夕方までただひたすらにぼーっとして過ごし、ソファでほんのちょっと横になった瞬間転寝をしてしまったらしい。ばたん、隣のドアが閉まる音でふっと覚醒して、むくりと気だるい身体を起こした。


(帰ったのか、)


俺はふと、すっかり暗くなった窓の外を見遣る。カーテンは日課としてきちんと開いたままだった。立ち上がって窓に歩み寄るとそのまま鍵を開ける。カラカラと音を立て窓を開きベランダに出て、ひょいと隣のベランダを覗き込んだ。


「…おつかれ」


するとそこにはやっぱり、煙草を吸うシズちゃんの姿があった。おお、小さくシズちゃんが返事をして俺の方を見る。真夏の夜のベランダの熱気は凄まじいものがあったが、それを気にしないふりをして俺はシズちゃんに問い掛けた。


「クーラー直った?」

「いや」

「え、なんで。修理依頼しなかったの?」

「したけどよ、何か日曜まで来れねぇって言われた」

「…うわぁ」

「本っ当有り得ねぇよな、ここのが部屋よりかずっと涼しいっての」


それを聞いてちょっと、いやかなり哀れだなぁと思った。今ここだって俺からしたら相当に暑い。地獄に近い。普通幾ら夏といえども夜になれば少しは気温も低くはなるものだが、立ち込める湿気が何とも言えない蒸し暑さを醸し出している。


「シズちゃんの部屋ってさぁ」

「あ?」

「寝室にクーラーないの?」

「ねぇな」

「…もしかして夏だけリビングで寝てるとか」

「そのまさか」

「ええ、何で付けなかったの?」

「ふたつもいらねぇだろ、別に」


淡々と応える様子からして、彼はどうやらそれを当たり前のことだと思っているらしい。まぁ、ごもっともなようなそうでもないような、俺からしたらその言い分は微妙なところだ。だって俺の部屋はリビングにも寝室にもクーラーはある。そう言ってしまうと元も子もないのだが。


「今日も熱帯夜って夕方ニュースで言ってたけど」

「…あー、うん、二日どうすっかな…」

「うち来る?」

「え、」

「隣だし、別に要るものとかあっても不便じゃないでしょ?あ、もちろん嫌じゃなかったらだけど」

「…いいのか?」

「良いよ、俺隣の人が暑さで死んだとかで事情聴取とか受けたくないしさぁ」


小さく笑いながらも、俺はこの瞬間自分で自分の言っていることがよくわからなかった。いや、だからこそ言えたことなのかもなぁと後々考えればきっとそう思う。朝のあれもちょっといやかなり、うん、あれなんだけど。困ってたらやっぱり助けてあげたいじゃないか。まぁこんないい人ぶった発言は俺には似合わないのかも知れないが。それでも、やっぱり放ってはおけないかなぁ、なんて。

そしたらシズちゃんはバーカ、と小さく笑った。そして直ぐ後にほんの小さくありがとな、と呟く。俺が好きな、あの笑い方だった。






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