06 | ナノ





―ピンポーン




余り聞きなれない音がやたら大きく聞こえたかと思えば、急かすようにもう一度チャイムが鳴った。あ、なんだ、もしかしなくてもうちですか、そう思いつつ呼んでいた雑誌を閉じて俺は玄関へと向った。

聞きなれないというのは嘘じゃない、何故かと言うと此処に尋ねて来る人間はごく限られているからだ。と言うか波江以外はまずそうそう有り得ない。その波江でさえ俺が知らぬ間に勝手に合鍵を作成した上ちゃっかりそれを所持している。だから呼び鈴をわざわざ鳴らす必要など無いのだ。
合鍵を作ったその理由が「居留守とか使いそうだから」らしい。実に勝手な女だ。否定はできないが。

俺は滅多に宅配便を頼んだりはしないし、ましてやここに住んでいることを知っているのはそれこそ波江くらいだ。
だからこそ、俺の家の呼び鈴が鳴ることは実に不自然である。
しかしながら特別何を疑う訳でもなく、俺はすんなりそのままドアを勢い良く開いた。開いたその後直ぐに、覗き穴を確認しなかったことを大変後悔する羽目になるのだが。

がつん、まずドアを開けた直後に聞こえてきた音がこれだ。俺は別に玄関先に石を置いておいたとかそういうワケでは全く無い。しかしドアが半分で開閉を止め、その先から小さく呻き声が上がったので、嫌でも俺は瞬時にその状況を把握した。


「うわ、ごめ…」


瞬間、ドアの先の影を覗き込んで俺は言葉を失った。なんで、なんでだ、なんであんたが俺の家を訪ねて来るんだ。

まぁ簡単に言うと俺が余りにも勢いよくドアを開き、多分部屋の中の俺が不在かどうかを伺っていた彼にそのままドアか直撃したという事である。そう、俺の隣の部屋の彼、平和島静雄に。



「え、うわ、ごめん!」

「あー…いや、平気、です、そんな痛くねぇし」



いやいやいやいや痛くないって今の音聞いたら誰一人としてその言葉を信じるヤツは居ないだろう。俺は若干テンパった状態で冷静にそんな突っ込みを心の中で入れる。いやこれもおかしい、そういう問題では無い。ぶつけたらしい額を軽く指先で撫でる彼に俺はドアを完全に開き、そのまま患部の様子を伺う。

確かに彼の言葉通り、鈍い音を立てた割にはそんなに重症ではないらしい。けれどやはりほんの少し赤くなったそこを確認して、俺は「そこ座ってて」と彼に言い捨てると慌てて踵を返し部屋へと戻った。

直ぐに手に小さな保冷材をタオルに包んで玄関へと戻る、彼は立ったまま、その後背にドアは閉められた状態で突っ立っていた。手元のそれを手渡そうとしたら、彼は掌でそれを制し首を左右に振った。


「いや、本当平気なんで」

「こういうのは後から来るんだって、これ、返さなくていいから」

取り敢えず彼の言うことは無視して、半ば無理矢理タオルに包んだそれを額に押し当てる。うん、玄関分俺の方が高い位置にいるのにね、分かってたけどやっぱりでかいねおにーさん。すると彼の手が伸びて保冷材を押さえたので、それを確認した俺はそこから手を離す。


「本当ごめん、あんまり人尋ねて来ないから勧誘か何かかと思って」

「いや、全然、大丈夫す」

「…で?」

「へ、」

「いや、何か俺に用事とかあったのかなと思ったんだけど」


俺としてはとても気になる疑問を、彼を見上げたまま問い掛ければ、暫く思い出すように「あー…」と唸って宙に視線を泳がせている。やがて再度ああ、と言ってスーツ姿の彼は俺に向き直ると額を抑えたまま軽くぺこりと頭を下げた。


「今朝は色々とスンマセンでした」

「へ、」

「いや、起きたら居なかったし、礼もろくに言えなくて」

控えめな音程で紡がれる言葉に俺はマヌケな声を上げながらも、未だ額を冷やし続ける彼にいや謝るのは寧ろ俺の方なんじゃ、と思ったが取り敢えずまぁ口にしないでおく。
って言うか保護したのだってぶっちゃけ俺がしたかったからだし、いや何でこんな言い訳してるんだ俺。これじゃまるで後ろめたいみたいだ。いや事実後ろめたいんだけどね、俺としては邪な感情を以ってしての行動だから、たぶん。


「…二日酔い、治った?」

「あ、はぁ、お陰さまで」

「そう」

突拍子の無い質問に彼は目を丸くしている。その後は、まぁ仕方が無いが沈黙だ。無理も無い、お互い共通点も何も通じるものが見当たらない程度の関係だ。

彼と俺は何にも該当しない、隣人、おとなり、横の人。たったそれだけの括りでしかないのだ。だからこそ時間にしてみればたった5秒の沈黙が、馬鹿みたいに長く感じられる。


「えーと…じゃあ、これ、借りてきます」

「あ、いや、いいよ。本当あげるから、寧ろ俺の所為だし」

はぁ、なら、お言葉に甘えて。そこで彼が額からそれを離して、ドアへと向き直り俺には背を向けた。肩幅はあるのに、線が細い。スーツは卑怯だよ平和島静雄くん、べたべただけどそういうちょっとストイックそうな格好は逆にどきどきするよ典型的だけどさ。朝のゴミ捨ててる時の顔だけ見たら、一昔前の不良みたいな強面の癖にさぁ。

がちゃり、ノブが回される。ドアが閉まればまた俺と彼はいつも通りの生活に戻る。俺が彼の音を聞きながら、生活のかけらを感じ取り水曜にはゴミを捨てる後を追う。
扉一枚隔てたここが俺のテリトリーだ。たった5秒の沈黙も耐えられない純情なチキンハートの癖して、俺はこのまま扉が開かないようにして彼を閉じ込めてしまえたらいいのに、と思った。自分の領域を守るそういう魔法でも何でもいいから、あればいいのに。

そんなやましい事ばかりに、彼の背中を見ながらもやもやと思いを馳せていたら、「あ、」という言葉と共にくるりと目の前の彼が振り返ったので、俺は実に驚いた。びっくりした、今一瞬心読まれたのかと思ったよ驚かせないでよ。

俺がぱちくり目配せを繰り返していると、彼は「あー、その」と声を上げてから、小さく、遠慮がちだがそれでも俺の耳に届くには十分な、しかし有り得ない言葉を呟いたのだった。





「あの、礼に飯とかどうですか」








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