05 | ナノ





「よぉ、昨日はちゃんと家帰れたか?」



ぱしん、電車を降りホームを通過して暫く歩いたところで、仕事の資料の入った封筒で軽く頭を叩かれる。振り返るとそこにはよく見知った上司兼先輩の顔があった。俺はトムさんに「ちす」と軽く挨拶をして、駅から職場までの道程を二人で並んで歩く。朝日が何とも眩しくて実に清々しい朝だ、ただひとつ俺の頭に残る鈍痛を覗けばの話だが。




「まぁ、一応帰る事は帰れました」

「そりゃそうだろ、潰れたお前の家を俺がちゃんとタクシーに説明してやったからな」

「…すいません」

「いーっていーって、俺も結局相手さん止めらんなかったしなぁ」

お前が酒駄目なの知ってんのに悪い、そう言って片手で謝罪の素振りを見せるトムさんに、更にまた別の罪悪感が俺の中に積もった。
昨日は隣のトムさんと相手先の接待を兼ねて料亭に行ったのだが、しかし一応トムさんは身内側とはいえ一体どれだけの範囲の広さで迷惑掛けてんだ俺は。何かいい年して色々終わってる気がしてきた。何と言うか朝から実に気分が重い。そんな俺が思わず溜息を零すとトムさんが首を傾げて表情を伺うように顔を覗き込んでくる。


「どーしたぁ?浮かない顔して、やっぱ二日酔いか?」

「まぁ、それもあるんスけど」

「ビール一杯と日本酒二口でかよ、随分デリケートだよな」

そう言われてしまうと、本当に返す言葉が何処にも見当たらない。そうか、日本酒か、日本酒をたった二口飲んだが為に俺のありえない黒歴史が増えてしまったというワケか。日本酒め、畜生絶対もう二度と日本酒は飲まねぇ絶対にだ。



「何つーか俺、昨日の夜自分の部屋の前で力尽きちまってたらしくて」

「まじでか」

「マジです、んで起きたら隣の人の部屋で寝てたんスよ、どーも保護してくれたらしくて」

「そいつぁ…今時親切なヤツも居たもんだなぁ、都会もまだまだ捨てたモンじゃねぇってか」

「はぁ、俺もまぁ同じ事思ったんですけど」

良かったなぁ、外で寝てたら幾らお前でも風邪くらいは引いてんぞきっと。実にトムさんの言う通りだ。つーか社会人にもなって自分の家の玄関先で寝てるとかちょっと、いや何つーか情けねぇし。そこまで行ったならせめて玄関のドア閉めてそこで寝ろよと俺が自分に言いたいくらいだ。しかしそれを隣人に保護されたというのも十分に笑い話なのだが、そのまま放置されて他の隣人に見世物にされていたらと思うと実にゾッとする話である。

眩しい朝の太陽に照らされたコンクリートの道をじっと見つめながら足を進める。さっき一度夜中に起きた時に比べれば大分マシになったが、まだ頭はずっしりと重い。今日一日は仕事になるのか些か疑問だ。

俺が次に目を覚ました時、あの隣人の男は部屋には居なかった。代わりに目覚しがけたたましい音で鳴り響き、机の上に書置きと鍵が残されていて。俺はその鍵で部屋に鍵を掛けて自分の部屋へ戻り、身支度を整えて、出勤する際にエントランスの自分の隣のポストにその鍵を落とし入れた。かちゃん。

あんまり頭ぼーっとしてて覚えてねぇけど、若いヤツだったな。俺と同じくらいか、いやもっと下か。記憶にある事といったら大体そのくらいだ。何せあの時の気分は最低最悪だったのだから、悪いとは思うが致し方ない。




「やっぱ、」

「あ?」

「礼とかした方が良いんスかね」

「ああ、お隣さんにか」

多分同じくらいの年のヤツみたいなんですけど、と俺が小さく頷くと、トムさんは顎に手を当て宙に視線を浮かべ考え込む。まぁ礼って言ってもそんな付き合い自体あるワケじゃねぇし、逆に迷惑かも知れねぇけど。でも俺を部屋に連れ込むのなんざ、そう簡単にできた事じゃないだろうし、普通なら親切心を裏切って途中で諦めてもおかしくないような状況だ。だからこそせめて一言礼を言うくらいは、それが礼儀ってモンだろう多分。



「あ、そうだ」

「はい?」

「飯に誘うとかどうよ?」

ぴっと人指し指を立ててされた提案に、俺は思わず首を傾げた。飯、飯ねぇ、いや別にトムさんの提案が気に入らねぇとかじゃねぇけど。男が男を、幾ら礼とはいえ飯に誘うのか。しかもこの俺が知らない奴を飯に。なんか、色々おかしくないのかそれは。


「…それ、べつに普通なんですかね」

「え、普通だろ?お互い一人暮らしなんだしよー、近所付き合いも兼ねて一石二鳥じゃねーか」

うんうん、力強くトムさんが頷く。そういうモンなのか?正直交友関係がそう多くない俺からしてみれば、何が普通なのかもおかしいのかもどれも言えた事では無いが。

「まぁ案のひとつとしては良いんじゃねぇのって話だ、あとは自分で考えてみろよ」

ニッと笑ったトムさんに、ポンと肩を軽く叩かれて一応まぁ考えてみます、そう頷きながら口にして足早に会社へと向かった。




(いやー、静雄もそろそろ彼女の一人や二人居てもおかしくねぇし、飯はちょっとあからさまかもしんねーけど…吉と出るか凶と出るか。ま、何にしろ免疫くらいはつけとかねーとなぁ)



隣人を自動的に女だと思い込んだそんな先輩の心情などは、勿論この時の俺は知る由もない。





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