世界をひっくり返すのはそればかりと信じていたのに | ナノ







世界をひっくり返すのはそればかりと信じていたのに






例えばきみを殺すために何が必要だろう。ダイナマイト?チェーンソー?空気の無い大気圏外?致死量のモルヒネ?それともまだ俺が知り得ていない何か別の方法だろうか。

シズちゃんは基本的に脳味噌が足りない。何かを何かで補うという思考回路は彼の中には成り立っておらず、基本的に空いた穴は武力で以てして自己解決という手法に導くきらいがあった。彼がいちいち俺を見付けるたびに自販機や標識なんかぶん投げる日常がなくなれば、案外池袋はあっさりと表向きの平和を手に入れることができるかも知れないというのに。
大声で自己紹介をしても恥ずかしくないほどに、どうにかそろそろ平和島らしく過ごしてくれればいいのだが。

そう思い始めて幾年月、つまり過ぎて行く時間が何より偉大かをシズちゃんと俺は痛いほど理解することになったわけだが、それでも今は今で有り得ないなぁとちゃんと心のどこかでは考えていたりするわけだ。少なくとも、俺はそう思っている。

彼の腕の中で目を覚ます、この夢でもそうそう見る事のできない現実は、それでも自らのものでない温度を与えられることによってほんの少しずつではあるがそのかたちを成して行く。夢っぽいけれどそうじゃない。シズちゃんらしくないけれどシズちゃんだ。矛盾と、言い訳と、それらの絶妙な融合。それが結果としてこんな有り得ない状況すら生み出してしまった。


「…水が飲みたいなぁ」


セックスの後というのはどうしてこうも気怠いものなのだろう。はっきり言って呼吸という必然以外は何もやる気が起こらない。許されるのならばこれが解消されるまで延々と眠り続けていたいくらいだった。

強請ったつもりの俺の言葉はどうやら彼の耳を綺麗にすり抜けて行ってしまったらしく、言葉はおろか小さなリアクションひとつ返ってきやしない。彼の辞書にコミニュケーションという単語は不在なのだろうか、はたまた最初から存在していたことがないのだろうか。どちらにしても中身など知れないことだったけれど。

シズちゃんの長い腕は互いに向き合って眠る、そんな俺の首を回ってそのまま大きな掌は後頭部に辿り着いている。何ともありえない路線図だ。巡り巡って行き場を失くすときがいつか来たとしても、こういった結末を迎えることはたぶん一生有り得ないことだとばかり思っていたし、今でもちょっとはそう思っている。そのくらいには信じられないことだと思って頂ければ有難い。


「ろくでもねぇこと考えてんだろ」

「…酷いなぁ。人がいつもろくなこと考えてないみたいな言い方しないでくれる?」

「ちったぁ自覚した方がいいんじゃねぇのか、手前は」

「世界の寛容さと偉大さにただただ感心してただけだよ」

「………ああ?」

「いや、感心すべきは神様の方にかもね」


まぁ俺は信じてないんだけど。必要のない言葉を口にしたくなるのは、つまらないことを言ってシズちゃんのことを怒らせたいだけなのかもしれないと、そう自覚したのはつい最近のことだった。どう考えたって好きになって欲しいだとかそういう馬鹿げた感情において、今更可愛い子ぶるわけでもなんでもない。なれるはずもない。考えただけで気色が悪い。

薄暗いベッドの上、目は慣れたとはいえ彼の表情全てがはっきり把握できるわけでもない。それでも見えないというわけでもない。だからこれで丁度良かった。
だいたい本音というやつはおれの中にあってないようなものであって、正直口を突く言葉たちのどれが本物かどうか、自分でもそれがわからなくなってしまうことがしばしばある。まるで脳とからだが別物になってしまったかのような気分に襲われるのだ。その結果として、俺とシズちゃんがこんな過ちを犯してしまったという類まれなる現実が確かにここにある。


「殺したい?」

「何を」

「言わせたいの?」

「それはこっちの台詞だ」


あからさまに苛立ったシズちゃんの声音だとか表情だとかが堪らない。おれの欲望はこうも簡単に満たされる。殺す方法を躊躇う時があるとするならばつまりはこういう瞬間だ。彼の死を憂い悲しむわけでもなく、ただおれに苛立つ存在がそこに存在しないというその事実、それはほんの少しばかり寂しいことなのかも知れないという懸念。いや、ただの勘違いかもしれないけれど。


「おい」

「なに?」

「殺さねぇのか」

「何それ、俺の真似?」


ボキャブラリーが貧困な男だということは重々承知している。けれどこの場合はデリカシーの有無に相当するであろう、そうこの男はどこまでも空気が読めない。俺が問い掛けたからといってならば自分もという辺りがシズちゃんは本当にだめだ。駄目で駄目でどうしようもない。


「そうだねぇ…」


それでも腕は俺の身体を抱き寄せたままそこを離れることもない。悪態をつくばかりの口はそのままの癖して、割合いその力加減は優しいばかりで本当にこの男はどうしようもないなと思う。

だけどこうして駄目な部分を見付ければ見付けるほど、俺とシズちゃんは妙な方向性を見出しいっそ情けないほど見事にそちらへと向かってひたすらに転がって行ってしまった気がする。

やわらかいシーツの感触も優しい。自ら選び抜いて購入したのだから当然だと言ってしまえばそれまでだったけれど、何かがいつもと違う気がする。きっと知りたいようで知りたくないものだ。最近はこうして言い訳を繰り返すことが多くなった、躊躇った結果に答えなんてどこにもありゃしない。

シズちゃんとこうして身を寄せ合って香る煙草の匂い、澄んだ空気に際立って鼻を突く独特のものだ。つんと鼻の奥を擽り、そうしてまた俺の中身を侵してゆく。ベッドの上や回される腕に感じるはずの違和感をどうとも感じなくなってしまったのはきっとこれの所為だろう。じんわり、じんわりと毒は体内を巡り、やがて俺の身体は朽ちてなくなってしまうのだ。


「明日、朝起きたときにさ」

「…あ?」

「ナイフを握りたいと思ったら、その時に殺すことにするよ」


おれ直感を大事にしたいタイプなんだよね。適当な言葉を濁してからそのまま胸元に身を寄せて、眠るつもりもないけれど騙すつもりで瞳を閉じた。
いま、互いの身体の間で燻っているおれのてのひらは、不思議と何も欲してはいない。無自覚に甘えたがるよりも質の悪いことだ。いっそ目の前の身体を押し返すくらいのことをしてくれたら良かったのに。


「神様は偉大だね」

「はぁ?信じてねぇって言ったところだろうが」

「まぁそうなんだけど。いるとしたら大罪を犯した罪に問えたりするのかなと思って」

「…神様を裁いて神様気取りか」

「はは、俺が神様だったらこんなばかなことは絶対に仕出かさないよ」

「バカの癖にバカ呼ばわりすんなバカ」

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ」



ナイフ、スタンガン、金属製のバット。ありとあらゆる武装を以てしても殺せない脳味噌すら筋肉製じゃないのかと疑うほどのきみの、足りない頭でも本当はよくわかっているはずだろうにと一人考える。

俺とシズちゃんはちゃんとそれをわかっている。だけど人ってやつは駄目だ、いけないことに興味を持つ。いけないことを働いてみたくなる。いけないことを侵すその背徳と高揚とそれを、手に入れたときの感情をつい想ってしまう。

例えば工事現場で使用する重機の類なんかはどうだろうか。人間なんて結局弱いものだれけど、これでも殺せないとなるといよいよ彼は更なる人間離れを辿ることとなる。
そのレッテルも間違ってはいない。神様はきちんと正解を守り続けていたというのに、肝心なところを間違えている気がしてならないのはおれの気のせいなのだろうか。

静かにしていたら彼も眠りに就く準備を始めたらしい。呼吸音は深く穏やかなものへとすり替わって行った。シズちゃんのやたらあたたかい肩に額を押し付け、それはいっそむかつくくらいに心地よいのだけれど、落ち着いて眠ることなどできやしない。
喉の奥、心臓の裏側、言葉にはし難いそれでもおれの体内のどこか内側から、言葉にならない何かがあふれ出て言葉を失うばかりだった。

神様がいるのかどうか知ったことではないが、おれとシズちゃんを作った何かがもしこの世に存在していて、例えばそれの名前が神様だったとしよう。
ならば神様は間違っている。憎しみ合うこの絶対的な平行線上において、彼と俺にこういうことができるようにするべきではなかった。

致死量の猛毒が食らい尽くす理性を、残りわずかとしてしまった俺の身体はもうほとんど役立たずに近い。だから、殺されるのはどうしても自分のほうな気がしてならなかった。



(だから殺られる前に殺る)





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