summer escape | ナノ



むわりと熱気の篭った玄関先、引っ掻けた革靴を履いてとんとんと軽く爪先を地面に叩き付ける。内鍵をかちゃりと回したところで、後ろからおいと声を掛けられたのでそのまま振り返れば、しとしと髪から零れ落ちるしずくをタオルでがしがしと拭う風呂上りのシズちゃんと視線が合った。

「どこ行くんだよ」

「コンビニ。アイス切れてたから。シズちゃん何かいる?」

予想はしていたが、その期待を裏切ることなく彼の表情はくしゃりと歪む。こうなることは行き先を告げる前から何となくわかりきっていたことだから、俺はもちろん一切ダメージを受けたりはしない。敢えて言うならばそこまで踏まえた上で、夕食を済ませてからわざわざ彼が風呂に入っている時間帯を狙い、徒歩一分の近場のコンビニにアイスを仕入れに行くつもりだったのだ。

しかし予想外に眺めていたテレビの内容が興味深く、時間を忘れて見入った結果が今のこれだ。ある意味絶妙過ぎるタイミングに鉢合わせてしまった。まぁ、同じ家に住んでいてこんな言い回しをするのも何だけれど。

「一日ぐらい我慢できねーのかよ」

「え、むりむり死んじゃう。おれ中毒だからさぁ、って言うかこんな蒸し暑い日にアイス食べないとかポリシーに反するね」

「ポリシーの無駄遣いすんな」

「ポリシーの意味わかって言ってる?」

「知らねぇよバーカ。いいからちょっとそこで待ってろ」

「へ?」

風呂上りさっぱり状態のシズちゃんはそのままどかどかと盛大な足音と共に自らの部屋に消えて行き、一分ほどしてから寝巻のジャージだけを履き変えてふたたび玄関先に舞い戻った。首元にだらりと下げられていたタオルは、途中風呂場に向かってばさりとした無残な音といっしょに投げ入れられる。

「…どしたの」

「俺も行く」

「へ?なんで?欲しいものあるなら買ってきてあげるって…」

「行くって言ってんだろ」

あ、そうですか。間抜けな返事をひとつ返して、二人で玄関を抜けエレベーターに乗り込み、そのままマンションの外へと出た。日が落ちたとはいえ夏は夜でも夏だ。むわっとした独特の空気は否めないが、それでも時折吹き抜ける夜風は人工的なものと違ってやたらと心地よい。

「髪濡れたままで風邪引いても知らないよ」

「引くかよ、乾かすのに丁度いいだろ」

「屁理屈。ちゃんと拭いた?」

「拭いた」

嘘吐け、心の中で呟いてそっと手を伸ばし、歩きながらそっと彼の耳の上辺りの髪をつまむ。金色はまだしっとりとした感触を孕んだままで、指先に水の感触がはっきりとわかるほどに湿っている。これで拭いたなんでよくも言えたものだ。それでもつまらない小競り合いを繰り返すつもりもない。すぐに手を離せば、ちょうどマンションを出たところから既にその独特のまぶしさを放っていたコンビニ辿り着いた。

一人ならば不要なカゴを入口で手に取ると、俺のお気に入りのアイスが陳列されている棚に向かうあいだにそれはシズちゃんに横から攫われてしまった。まぁ、やることは子どもだけれどこの男のこういうところは本当に何というか、上手く言えないが本当に何だかなぁと思う。

出会ったときから今に至るまで変わることのないものであるからして、だからと言っていい加減慣れたろうと聞かれればそうでもない。
様々なできごとや障害を経て、シズちゃん専用に造り上げたようなものである俺の内側の部分はいっそ面白いくらいにこの男の些細な挙動や言動、ひとつひとつにあっさりとときめいてしまったりするものだから困る。慣れってなにそれ美味しいのと聞き返したくなるくらいには、免疫みたいなものは未だにうまく構築されないままでいた。

やれやれとそう深刻でもない悩みは置いておくことにして、俺はアイスを手に取りシズちゃんがぶら下げているカゴの中にぽいぽいと投げ入れる。すると彼はまたわかりやすいしかめっ面をしてみせたけれど、俺からしてみればこれが予想していたが故に一人でこっそり買いに来ようと試みていた次第だ。まぁ何が言いたいかってつまり、着いてきた以上はわかってたよねという言い分である。

「何か文句でも?」

「…死ぬほどあるけど言わねぇ」

「よろしい」

王様気取りのそれはもう偉そうな口ぶりで答えると、調子乗るなとカゴを持つ手とは反対の方の手でぱしりと軽く後頭部を叩かれた。痛くはないけれど、シズちゃんは結構俺の扱いが繊細でもあり乱雑でもある。それでも痛みを感じない程度に加減されている時点で、どちらかと言えばそれは繊細にカテゴライズされてしまうのかも知れないけれど。

シズちゃんは飲料の並べられた棚から、何やら摩訶不思議な色をした炭酸飲料を籠に放り込むと、続けてプリンの並べられたコーナーへ移動して商品を吟味し始める。

こうなると長いことを俺は百も承知なので、これ新しいよと適当にひとつふたつプリンの容器を選びカゴに入れ、あとはそのまま半ば強引にではあるがレジへと身体を向かわせる。急かす理由はただひとつ、俺の大事なアイスが溶けてしまうからだ。

それでもシズちゃんは文句を言わない。俺に言わせればシズちゃんはプリンならばみな平等に愛せるんじゃないだろうかと思うほど、その銘柄にこだわりはない。

以前好きだと言っていたのはとにかく容器がでかくて生クリームがこれでもかというほどたっぷりと注がれたものだったから、質より量のタイプなのだろう。要は実にわかりやすく、俺とは真逆の価値観というわけである。





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「よし、一安心。これで寝る前にアイスが食べられる」

コンビニを後にしてふたたびマンションまでの短い帰路につきながら、満足げに手を空に突き上げて軽く首を回す。日々パソコンとにらめっこばかりしているから、必然的にやたらと肩が凝りやすい体質になってしまった気がする。首からは小気味いい音が鳴った。

「人が風呂入ってる間にこそこそ買いに出ようとしててよく言うぜ」

「こそこそなんかしてないよ。だってシズちゃん俺がアイスばっか食べてるといい顔しないじゃん。だから苛々させないように俺なりに配慮したつもりだったんだけどなー…」

「べつに食うのがどうってわけじゃねーよ。絶対夏バテすっから控えろって意味だ」

「夏ねぇ、夏と言えばアイスだよねぇ」

「…人の話聞いてんのかコラ」

「聞いてる聞いてる。さっきテレビでも花火大会の特集やっててつい見入っちゃった。いよいよ夏だなーと思って」

会話の端を折りはしたが、花火ねぇ、と意外にもシズちゃんは会話に食付きを見せた。並んで歩くシズちゃんの手元では、アイスやプリン、それぞれのごちそうが入った袋ががさがさと音を立てては揺れている。

「あ、じゃあ今度花火しよっか」

「はぁ?どこで」

「さぁ。ベランダとかじゃない?」

「………夏が来る前に消防車が来んぞ」

呆れ顔のシズちゃんにそれもそうだねとしれっと返事をして、マンションのエントランスを抜けた先のエレベーターのボタンを押す。階数を示すランプが徐々に下ってくる。不意に隣のシズちゃんを見上げると、しっとりと濡れていた髪が先程よりも乾いているように見えた。

「どっかあるのかよ」

「え、なにが?」

「行きたいところ」

そう問いかけられながらも、静かに開いた扉を潜り抜けてエレベータに二人で乗り込む。行きたいところ、行きたいところ、ねぇ。

確かに夏だからとか花火大会がどうとか言い出したのは紛れもなく自分のほうだったけれど、どこかに連れて行けだなんて、別にそんなつもりはこれっぽっちもなかっただけに俺の口から素早い返答は出て来ない。
ぐんとエレベーターが上昇する狭い密閉空間の中、わりと真面目に考え込んでしまったせいで沈黙だけがただ空気を占めてしまう。あっと言う間に部屋のある階へと辿り着いてしまった。

「うーん…、特にないかな」

「…ああ?花火はいいのかよ。手前が言い出したんだろ」

「夏は家でそうめん食べるくらいでいいよ。家ならどこ行ったってシズちゃんが居るし」

丁度そう口にした瞬間、部屋の前に辿り着いたのでポケットから鍵を取り出して扉を開いた。
そのまま部屋に入ることには入ったのだけれど、思ったより忙しない動作で帰宅する羽目となってしまったのは、後ろから俺に続いたシズちゃんが乱暴にその扉を閉じたからだ。

がちゃん、オートロックの施錠音が蒸し暑い空間に響いた。まだ電気も点けていないから、暗闇に慣れない瞳では上手くシズちゃんの姿を捉えることができない。とりあえず気配で間近に迫られていることだけはわかるが、何よりも突然のことで少しばかり驚いてしまった。

「………びっくりした。なに…」

「花火は、たぶん、無理だけど」

「…はい?」

「…………いや、やっぱり何でもねぇ」

どうやら自分でも何が言いたいのかよくわからないらしいシズちゃんは、それでも壁際に追い詰めた俺を逃がしてくれる気はなさそうだ。ので、若干居た堪れなくなったついでにさんざん夜風に煽られて乱れてしまった前髪を額から後ろへと掻き上げてやる。ほんの少し慣れてきた視界が、ぼんやりとその表情を映し出す。





「まだ、濡れてる」



乾かしてからプリン食べなよ、と。そう告げようとした唇の動きは呆気なくも彼のくちびるによって塞がれてしまい、俺の方こそ何が言いたいのかが伝わらない状況になってしまった気がした。
そう大したことでもないので構わないけれど、こんな場所でキスをされることもそうそうないので、意に反して俺の心臓はどくどくとその音を高鳴らせている。

シズちゃんがキスを仕掛けてくるタイミングは、はっきり言ってしまうと大抵意味がわからない言わば彼なりの要所ばかりだ。言い分としては「お前が悪い」とか何とかまたしてもわけのわからない理由の一点張りなのだけれど、まぁされることが嫌じゃない以上はどうしようもないことである。

闇に溶け込んだ暑さが夏特有のそれだけじゃないことには気が付いていた。因みに俺はアイスのことを大いにあいしているつもりだが、それでも今その愛すべき存在はシズちゃんの手元から足元にどさりと滑り落ちてしまって、じわりじわりと肝心の中身が溶けかかっていることだろう。

唇を押し付けているうちに、しっとりと肌は汗ばんで行く。頭の芯がくらくらと揺らいで、触れ合うくちびるの感触がそこから身体中を痺れさせてしまうみたいだった。

それでもいとしのアイスの食べ頃を選ぶのか、このわがままなくちびるの感触のどちらを選ぶのかなんてことは、俺にしてみれば比べるに値しないことだったけれど。




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