きらきらとまたたくのに | ナノ



※保育園歳の差パラレルのこれの続きです
※高校生静雄×三十路保育士臨也です





「結婚するって言ったじゃねぇか!」


それはもう大きな大きな、十年前の可愛らしい高めの音とはかけ離れて低くなってしまったその声で、まるで喧嘩でも売るかのような言葉を彼は俺に向かって吐き捨ててた。

いざやせんせいと書かれた、チューリップ型のワッペンが付けられたピンク色のエプロン。そのポケットに手を突っ込んだまま、俺はまるでその台詞が自分に向けられているものではないとでもいわんばかりに、実に悠々とした様子で穏やかに彼のことを見つめている。

そう、これは言わば既に日常茶飯事と化していた。だからこそ煩いことに関して煩いですよと叱ること自体がもう、何て言うか体力の無駄に相当する。だからしない。こんな事を言っては彼とっては失礼に当たるのかも知れないが、俺にとっては既に慣れっこだった。

ここのれっきとした卒園生である彼、今は高校に上がってしまっている平和島静雄くんときたら、週に三回はここを訪れて今のやりとりを毎回繰り返し続けている。飽きないのかなぁと思いつつも、一度それを口に出してみたところ真面目にキレられてしまったことがあったので、流石に学習して直接言う事はもう止めた。

あの頃のふわふわとした柔らかそうな茶色は、もうそんな面影すらなく綺麗な金色に染め上げられてしまっている。ここまで典型的に反抗しているとなると、親御さんはさぞかし苦労したろうなと思えば意外にそうでもないらしい。その生活ぶりは中々に真面目だそうだ。いや、自分が男の癖に男の俺に向かって「結婚しろ」だなんて叫ぶ時点で、もうマトモであるとは言えないのかも知れないけれど。


「はは!だからぁ、先生は男なのでシズちゃんとはどうしても結婚してあげられませーん。はい残念!」

「………じゃあ付き合え。それならいいだろ」

「あはっ、それもちょっと無理かなぁ」


俺これでも先生っていう名の付く職業だからさ。相変わらずポケットに手を突っ込んだまま、肩を竦め小首を傾げながら言えば、シズちゃんの表情はこれまたいつも通りくしゃりと歪んでしまった。だがしかし慣れているが故、それを見つめる俺の視線にこれといった変化はひとつもない。


「うんとでかくなったら結婚するって言ったのは手前だろ!」

「そうだねぇ、確かにおっきくなったよね。って言うかでかくなりすぎ。俺よりでかいとかどんな成長痛を乗り越えたのかねシズちゃんは」

「今でも痛ぇ」

「うげ。まだ伸びるつもり?」

「伸びるに決まってんだろ。じゃねぇと約束守れねーからな」


実に謙虚で誠実な台詞だったが、はっきり言って彼が言っていることはあくまで子どもの頃の口約束に過ぎない。よくあることだ、誰々が好きだからおっきくなったら結婚しよう。それでも大きくなって実際にそんな壮大過ぎる夢を叶えることができるような輩は、はっきり言ってそうそう居ない。

園児たちがお迎えと共に帰宅してしまった今、園内の職員用の室内には俺とシズちゃんのふたりだけだ。外は夕暮れも過ぎて、やがて暗闇に染まって行くだろう。高校に入学した彼がここに通い詰めるようになってから、何か月が経ったろうか。


「さてと、俺まだもうちょっとやることあるから、シズちゃんも暗くならない内に帰りなよ。親御さん心配するし」

「ガキ扱いすんな!そうやっていっつもはぐらかしてんじゃねぇよ!」

「ははっ、仕方ないよ。現にガキなんだからさぁ」

「ああ…?」

「ガキだって言ったの、実際未成年の子どもじゃん。君と俺が幾つ違うかくらい知ってるでしょ」


子どもたちの前では決して使う事のない声色で、俺は冷たく、それでも口元の笑顔は絶やさずにつらりとそう言い除けてみせた。無表情よりは穏やかに笑っているほうがいい。それが少しばかりの余裕に見せることができるし、相手にされていないとそうシズちゃんに思わせることができるから。

約束を守るのは結構だ。それでも、それとこれとは話が違う。確かにより純粋で真剣な子どもの想いを適当にはいはいと受け流してしまった自分にも非がないとは言わないが、ここまで来ると諦めの悪いシズちゃんがどうかしているという話でしかない。約束したことなんて忘れてしまえば幸せで居られたのに、ああ、そう思うと可哀想なことをしたのはやはり俺の方なんだろうか。


「背も高くなったし、見た目だって悪くないじゃない。学校でもモテてるんじゃない?早くかわいい彼女と放課後デートでも楽しみなよ。青春の醍醐味じゃない」

「………んなよ、」

「え?」

「ふざけんなって言ったんだよ!んなもん要らねぇし誰のためにでかくなったと思ってやがる!人のこと馬鹿にすんのもいい加減にしやがれ!」


ブレザー姿のシズちゃんはいつもより更に一際その声を荒げて、まるで吐き捨てるように俺に言葉をぶつけ、がしゃんと勢い良く引き戸を開けて園内を飛び出して行ってしまった。

ぽかんと、暫くは口を開けて固まってしまっていた俺だったが、直に状況の把握を済ませると、視線をやや細めてほったらかしにしていたデスクの上の仕事に視線を落とす。園内だよりの下書きを明日までに済ませなければならないのだ。そう、俺は忙しい。十年も前とっくに卒園を済ませてしまった子どもの相手などをしているほど、そこまで暇じゃない。例えかつては自らの教え子だったとしても、だ。

ぱきん、どこからか知れず力が篭ってしまったらしく、書き出したシャーペンの芯がいい音を立てて折れてしまった。些細なことに苛々していても仕方ない。かちかちと送り出したペンの先を紙に添えたところで、ふっとシズちゃんの吐き出した言葉の端が頭を過った。

俺に言わせて貰えば、どう考えてもおかしなことだ。彼は十五で、俺はもう三十路と呼べる年齢である。俺の歳が片手や両手で収まる程度の上具合なら、まだ彼のことをこんなに子ども扱いする必要はなかったのかも知れない。ここまで開きがあると、どう考えても歳が上の自らの分が悪いだろう。見た目は二十代前半だともてはやされてはいるが、正直実際に取って重ねて行く歳はごまかしが効かない。歳の差のぶん、心の開きは測り知れないものだと思うわけだよ、俺は。

ふざけやがってガキが。
第一そんなのは俺の台詞だ。いい歳になった大人を子どもの時に交わした約束ひとつでこんなに振り回すのは止めて貰いたい。馬鹿にしやがってはどちらかと言えばこちらの台詞だ。



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一通りの仕事を終えて園内を最後に出る頃には、案の状とっぷりと日が暮れてしまっていた。やれやれ、今日はやたらと疲れたなぁと門を出て横切ろうとした際に、その下に座り込んだ影がこちらを見上げていることに気付く。

普通に驚いたが、逆に驚き過ぎて声が出なかった。一昔前の不良じゃあるまいし、待ち伏せがてら地面に座り込んでいたシズちゃんは俺を見上げるなりすぐさまそこから立ち上がり、視線の高さはすぐに逆転してしまう。


「帰れって言ったのに」

「…反抗期なんだよ」

「なにそれ、やっぱり子どもじゃない」


不覚にも彼の返しに笑ってしまって、思わず自分にやれやれと溜息を吐きながら、街灯にぼんやりと照らし出される高い頭を見上げる。本当にむかつく位に成長したものだ。

しばらく沈黙が続いて、不意にシズちゃんは俺の手を取った。いや、取ったというよりは釣り上げたようなもので、彼は自らの小指を俺の小指に引っ掻けて、それをそのまま軽く引き上げたのだ。そうして互いの腹の辺りの高さまで持ち上げてみせる。

結んだ小指同士と、彼のうつむきがちな表情を交互に見つめる。いつもの荒立っている様子はそこになく、彼は酷く穏やかな、それでもどこか寂しさの漂う口調でぽつりと一言呟いた。繋いだ指を振り払うことは簡単そうに見えて、できない。


「…指切ったって言ったじゃねぇかよ」


そんなに歳離れてんのが駄目なことなのかよ、何で駄目なんだと。ぽつりぽつりとまるで独り言のように言葉が次々零れ落ちて行く。それは多分俺がきちんと受け止めてあげられないが故に、辺りにばらばらに散らばってしまってしまっているに違いない。

それを拾い上げることが優しさだとは思わない。俺は自分が傷つくのを何よりも恐れているからだ。

彼はその見た目に反して中身は酷く可愛らしく、俺の為にせっせと保育園に通い詰める辺りから伺えるように、何とも健気な性格をしていた。日々無自覚に惹かれて行く自分に気がついたのはつい最近のことで、だからあしらう要素を段々と日増しに強くして行って、彼はそれにならうようにして焦りを露わにして行った。

彼が本当に俺のことを好いていてくれて、だから結婚しようだとか付き合おうだとかそういうことを言われることは、別に嫌でも何でもない。そう、それが何よりも問題だった。彼はこれから俺がとっくに通過を果たしてしまった十五年を歩み、俺は更にまたその先を行くわけだ。その中で彼が俺を一途に思い続けていてくれる保証なんてものはどこにも存在しない。不確かを通り越してまぼろしも良い所だった。


「俺は君のためを思って色々言ってるつもりなんだけど、半分は自分のためなんだよ」

「あ?」

「君のことが嫌いなわけじゃない」

「…だったら何でだよ。そっちのが酷ぇだろ」

「じゃあ君だって酷いよ」


俺はどう頑張っても若返れないし、君だってどう足掻いても俺の歳に追いつくことはできないだろ?つまりそういうことなんだよ。

つらつらと言葉を並べるたび、小指を握り締めたシズちゃんの指先にぎゅっと力が篭る。その度に俺のどこか内側の得体の知れない部分もじわじわと鈍く痛みを伴った。


「歳取ると傷付きやすいし、負った傷も中々治らないし」

「…一体何の話してるんだよ手前は」


俺がお前を傷つけるわけねぇだろ、有り得ねぇ。実に心ときめく台詞を、五歳児の頃から彼は変わらずに口にしていた。これが永遠に俺だけのものならばそれはそれはしあわせなことだろうが、そんな風に夢は永く見られるものじゃあない。

なら試してやろうと言わんばかりに、俺はネクタイのない彼の襟元をぐいと鷲掴みにして自らの方に引き寄せ、傾きかけたその顔との距離を詰めて、唇に自らのくちびるをぐいと押し付けてやった。

やわらかい独特の感触と一緒に、内側の痛みはよりいっそう酷くなる。ああほらみたことか、やっぱり俺の言い分は間違ってなどいない。一方的に与えたキスを謝罪することもなく、俺はゆっくりと彼のくちびるから離れ、呆気にとられているその顔を見上げて笑う。

痛みを我慢することはできる、それでも一人で耐えて行くそんな状況はごめんだった。少なくとも今は好きでいられるだろう。じゃあ明日はどうだ?明後日は?一年後君が隣に俺よりずっと若くてかわいらしい女の子をはべらせていないと、一体どこの誰が保障してくれる?

色んなことを思って笑いはしたけれど、それがいつものようにありもしない余裕を取り繕えていたかはわからない。目の前の彼が何とも言い難い表情を浮かべていたから、上手く行かなかった確率のほうがきっと高かった。そう、だから、それくらいならば。





「………針千本飲んだほうがずっとマシだ」




(こわいものは誰が何と言おうとこわい)



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