拍手ログ3 | ナノ


※うつつか森設定の小ネタです





「…おかえり」

縁側の背中が振り向いて、俺の姿を見付けるなりそう呟く。いつもと大差のない小さな声だ。これは俺にとっても臨也にとっても、ほんの日常の一部に過ぎない。

「今日ちょっと暑かったからさぁ、夜は鍋作ろうと思ったけどやっぱりやめた。暑いし」

そう言葉を口にする間にも、臨也の手はさわさわと膝元で忙しなく動いて、何かを撫でているような動作を繰り返している。こちらからは背中と一度振り返っただけの顔くらいしか伺えなかったが、その膝上に「何か居る」ということを判断することは実に容易だった。そしてそれが、一体誰なのかと言うことも。

にゃう、誰が呼びかけたわけでもないのに、ぽちは臨也の膝上でひとつ鳴いた。変わらず俺からはその姿がよく見えない。

「なに?お前もシズちゃんにお帰りって?」

にゃあ、返事なのか気紛れなのかわからない絶妙のタイミングでぽちはまた鳴いたけれど、俺からしてみたらそれはどうにも腹が減って鳴いているだけにしか聞こえない。時刻も夕方、猫語なんて高等技術を会得していなくともそれくらいはわかる。と言うか俺に対しては基本、飯を強請る時にしかこのきまぐれな猫は、そう滅多に鳴き声を上げたりはしないからだ。

秋の夕暮れは夏に比べてうんと早い。先程まで沈みかかっていた夕日の姿はもうどこにもなく、今は薄暗さの中にややその名残が感じられる程度だった。

昨日はふもとの村へ出掛けついでに、お裾分けで貰ったさんまを引っ張り出して来た七輪に乗せて焼き、すりおろした大根を乗せて食べた。普段割と開いた魚や切り身を食べることが多いので、臨也は余り食べ慣れないだろうと思い骨を取ってやる準備をしていたら、意外にもその箸さばきは器用そのもので。
真剣な表情で皿の上のさんまと格闘していたことを思い出しつつ、時折笑ったりしながら今日一日は過ぎて行った。思い出し笑いの理由は昼の出掛けに「今日俺が夜ごはん作る」、そうぼそりと呟いたことも相まってだったけれど。

まぁ結局何が言いたいのかって、本日酷く俺は機嫌が良かったという事が言いたかった。この家に越して来てからそう苛立つようなこと自体がまず激減していたけれど、それでも明らかに気持ちが浮いているときとの差はそれなりに大きい。臨也が来てからはより感情の起伏が大きくなり、おかえりと言われる心地よさにすっかり慣れきってしまっていた。

そんな事はさて置き、居間の入り口で止まってしまっていた足を進めて縁側へと敷居を抜ける。臨也の横まで辿り着いたところで視線を落とせば、やはり想像通りの光景がそこに広がっていた。

細く何処かしら頼りない膝上には、真っ白な毛並の猫。名前と首輪は付けてはあるものの、どちらかと言えば放し飼いの野良に近い位置付けだ。

なのにどうしてかまるでその毛並は手入れを施したようにいつも美しい。余りやんちゃを仕出かすようなタイプには見えないから、その所為もあるのかも知れないが、それにしたって小さな汚れひとつ見当たらない。
正直言って柴犬のたまは落ち着きが無い方だったから、余計そんな風に感じられたのかも知れない。元より猫と犬で全くの別物だけれど。そんなぽちは俺に気付くと、金色の瞳をちらりとこちらに向けて、にゃう、またひとつ高い鳴き声を上げた。

「ふふ、おかえりだって」

いいこだねお前は。細い指先が鼻先を擽ると、ごろごろと喉を鳴らしながらぽちは臨也の指に擦り寄る。まるでもっと撫でろと、そうせびっているようにしか見えない。

じ、とそんな様子を見下ろしていると、臨也が不意に顔を上げ俺を見た。ぽかんとした表情は、ここに初めて訪れた時からは比べ物にならないくらい酷く穏やかでしかない。どうしたの?それでもどこか不思議そうな色を浮かべる眼差しに、心が穏やかになるのかと思えばそうでもなかった。

「…シズちゃん?」

返事をせずに俺は身を屈めて手を伸ばし、そのまま臨也の膝上で座り込んでいたぽちの首をひょいと掴んだ。みょんと伸びた首元に臨也は思わず目を丸くしていたが、それに反して俺の手のぽちはじっと固まったまま、微動だにしない。猫つかみの体制そのまま傍らに着地させると、綺麗に下ろされた状態でぽちは縁側の板上に座り込んだ。

白い身体が呑気に足で首を掻いている様子をみつめたまま、臨也は未だに固まっている。どうやら猫つかみを初めて目の当たりにして驚いているらしい。その表情自体はしてやったりで正直気分が良かったが、本来の目的はそんなことを見せしめたかったわけじゃない。

どかりと臨也の横に腰を下ろし、そのまま縁側に寝そべる格好を取る。頭は半ば強引とも言える力加減で、無理矢理臨也の膝上に乗せた。そう肉付きのよくない膝上は、やや硬い。

目を開いて庭先を眺めたまま、それでも臨也の表情を伺うのはどことなく躊躇われてそのまま目を閉じる。

苛立ちに身を任せてそうしてはみたが、実際やってみたらガキ臭くて居たたまれなくなりました、とは言えない。格好悪いことこの上なしだが、それでも面白くないものは面白くない。俺だってろくに膝枕なんか、いやつーか寧ろして貰った事ねぇぞ。

ぽちの場合は膝枕とは呼ばないだろうが、それでも不服だ。尚且つ何てつまらない嫉妬だろうと自らに呆れる。何だかこいつが来てから、やたらと自分の性格が子どもっぽくなってしまったのは気のせいだろうか。独占欲と言うか何というか、恥ずかしい限りだがそれらが一向に膨れ上がるばかりで、ただ行き場が無い。

たまとだって最近は、以前とは比較にならないくらいうんと仲が良い。俺だって似たようなものだと臨也はそんな事を言うけれど、どちらかと言えばたまが甘えるのは臨也の方だ。俺は遊び相手に近いものがある。

ふと、さわさわと髪を柔らかく撫でられる気配がする。直ぐに臨也の手だとわかって一瞬驚いたけれど、心地よかったのでそのままじっと大人しくしていた。撫でたり梳いたりを繰り返す細い指先は、俺にはない綺麗なものだったから、ほんの少し擽ったくなってしまう。

「…おかえり」

「……………おう」

「ふふ、」

「何だよ」

「何でもない、ふふっ」

「笑ってんじゃねーか」

「笑ってないよ」

夜ごはん、野菜の煮物だよ。俺のつまらない嫉妬に気付いたのかどうかは知らないが、笑っていないと言った声がもう笑っている。笑った顔が好きだからそれは大いに結構なのだが、どことなく格好悪いばかりの自分には酷く溜め息を吐きたい気分だった。

穏やかな夕暮れのオレンジの中、微睡む瞳をゆっくりと開いて照らし出される庭の景色を見つめた。山は直に赤く染まる、風は夕方になるともう随分冷たい。秋はその色を徐々に色濃くし始めていた。

あたたかな膝上から見つめる景色は、ひとりの頃のそれと大きく違っている。臨也のいる秋を覚えてしまったから、もうひとりの秋を思い出すことなんてできやしない。ささやかなぬくもりにはただ安心感を覚えるばかりだ。心の隅でぽちに謝罪をしながら、それでも今はただ、この手を独り占めしていたい気持ちで俺の頭はいっぱいだった。





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