14 | ナノ







キスを言葉でも態度でも拒まれなくなって、寄り掛かることがそこはかとなく自然になったころ、呆気なくタイムリミットはやってきた。

元々そういう約束だったし、わかりきっていた結末だ。流れに添って時間がなぞられて流れて、最初からこうだと決められていた終わりをそのまま綺麗に迎えただけの話だった。

ただひとつだけ言うなら、最初に約束した一週間のリミットは途中から五日に変わり、今日は既に六日目の夜に差し掛かっていた。恐らくもう自宅であるマンションに戻ろうと何ら問題はないし、予定では俺はもうこの時間には既に一度帰宅している予定だったのだ。
けれどシズちゃんがいつも通り帰宅してシャワーを浴びて、その間に俺は食事の支度をする。どうしてかこの流れは今までと同じで何ら変わりなかった。

昼間までは、食事の支度だけしてマンションに戻るかどうか散々悩んでいた。しかし今は結局こうしてまだ狭い部屋の中、ぼんやりシズちゃんと同じ時間を過ごしていたりする。

テレビを眺めながら時折交わす会話はいつしかごく自然なものになり、俺たち二人はまるでちょっとした同棲生活をお試しでもしているようだった。会話の中身としてそのやり取りは大概下らないものばかりで、CMを見てこれ美味そうだとか、このドラマ気になるだとか、天気予報やニュースを見て世間話のような会話を交したり。下らないけれど、それで良かったし、俺からしてみたら多分それが良かった。

近くも遠くもない距離感に、それでも顔を向ければ表情が判る程度の感覚に常に彼が存在している。態度こそぶっきらぼうだったが、声を掛ければ律儀に「何だよ」と返してくれるのも割かし好きだった。

最初こそ暇つぶしがてら、この生活においての大半の目的はシズちゃんをからかうことを主としていたから、これは正直予想外の結果だった。結果的に良かったのか悪かったのかは何だかよくわからないままだったが、退屈な期間限定ニートライフをそれなりに楽しめたことには間違いない。


「明日」

「あした?なに?」

「俺休みだから」

「あ、そうなの?」


何ともタイムリーだなと思ったが、それも結局俺に関係があるようでないものだ。そもそもシズちゃんは俺の滞在期間が一週間から二日、減ってしまったその事実をまだ知らない。彼にとってはそう大したことでもないのだから、俺が潔くあっさり口に出してしまえば良かったんだろうけれど、結局ずるずると日々を過ごすうちに言い損ねたままで今日を迎えてしまった。


「休みって何するの?」

「別に、特に何もしねぇよ」

「ふーん…いい若者が勿体ない話だねぇ」

「手前も大して変わんねぇだろ、毎日休みの癖してわけわかんねぇこと言うな」

「そういやそうでした」


手元のマグカップに注がれたコーヒーずっと啜りながら答えると、シズちゃんは俺を見て「よくそんなもん飲めんな」みたいな視線を注いでくる。もちろんと言っては何だがカップの中身はブラックコーヒーで、砂糖もミルクも一切混ぜ込んでいない。

それより何より、俺はこの家にインスタントのコーヒー豆すら常備されていないことに酷く驚いたのだ。当然あると思ってコーヒーはどこかと尋ねたら、ねーよそんなもんとこちらもさも当然と言わんばかりに返されてしまって思わず絶句した。今でもそう記憶に遠くない話だ。

逆に不思議に思って、毎日なに飲んで生きてんのと問い返したら、彼は至って真面目な表情でたった一言「牛乳」とそれはもうさらりとその単語を口にした。俺がもし同じ質問をされたら間違いなくそこは「コーヒー」と答えたい場面だったからこそ、はぁ、みたいな実につまらない返答を返すのが精いっぱいだった。

勝手に漁ったシズちゃんのぶかぶかの服を着こんで伊達眼鏡を嵌め、自分なりに変装して買い出しに行った際に仕入れたインスタントのコーヒーは、既にもう半分が消費されてしまっている。

安い豆ならせめてドリップしたいところだったが、部屋に合わせてそれなりのコーヒーを選んだと言えば仕方のないことだろう。部屋の主に聞かれたら怒鳴り付けられそうなので、それは心の奥にしまっておくことにする。

要はシズちゃんが俺に対することに関してもそう、言わば全ては慣れなのだ。最初はただ怒るだけのシズちゃんが余りその怒りを露わにしなくなったころ、俺はコーヒーメーカーではなくポットで沸かしたお湯を注ぐだけのコーヒーの味に慣れてきていた。互いに順応し対応して行くし、やがてそれが自然になる。そうやって何もかもがこの部屋にしっくりと馴染むようになっていた。




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ベッドに潜って、布団を被る。もちろん隣にはシズちゃんが居て、壁際に横たわる俺はシズちゃんの方を向いていても、いつも通り彼は天井を仰いだままの状態だ。朝俺が先に目を覚まそうと、傍らにあるのは常に眠った横顔か広い背中がそこにはある。

けれどそんなことはお構いなしにシズちゃんに身をすり寄せて、足をぴたりと添わせた状態で俺は毎日眠りに就く。最初は狭いだのなんだのと散々文句を言われたが、まぁ実際のところは狭いから仕方ないけれど、今ではもう彼は何も言って来たりはしない。

煙草の香りがふんわりと鼻を掠めて、暗闇の中でもシズちゃんがそこにいるとわかる。触れているから当たり前と言えばそうだけれど、いつも感じる安心感のその端っこには、どうにも言葉にし難いものがちらちらと見え隠れしているのが気になってしまってどうしようもない。


「…シズちゃん」

「あ?何だよ」

「おれ、明日自分のマンション戻るから」


一日早く帰れることになってさ。そう呟くと同時に、どうしてか俺とシズちゃんの間にはただ静かな空気のみがその隙間を支配する。しばらくそのまましんと冷えた空気の中で呼吸が止まってしまっていたが、やがてシズちゃんが「そうか」と呟いたのをきっかけに浅く息を吸い込むことができる。

じわりと胸の辺りが痺れた気がした。シズちゃんをからかえなくなってしまうことがそんなに寂しいのか、なんてことを真面目に考えてしまってほんのちょっと笑いそうにもなったけれど、痺れがもたらす感覚のない痛みの方が強くて、実際に笑う事はできなかった。

上手く言いたいこともなかったが、だからと言って沈黙でいる理由もなかった。目は冴えて直ぐには眠れない。このぬくもりが最後だと思うと、どことなくセンチメンタルな感傷にも似たそれが俺の内側の痺れをますます悪化させる。笑って色んなものを誤魔化してしまいたいのに、笑えない。どうしてかと考えれば考えるほど気分はみるみるうちに沈んで行くばかりだった。

すると、突然シズちゃんが上体をぐるりと回してこちらを向く。そのまま突然わしわしと髪を掻き混ぜるように撫でられて、思わず肩を竦めた。


「なに、ちょっと」

「ねろ」

「…っ、はぁ?」

「いいから寝ろ」


くしゃり、髪がやんわりと長い指先に握り込まれて、痛みはほんの少し曖昧になった。けれど無くなることもしなかったし、俺としては不意打ちでこちらを向かれたことがまた違う感覚を呼び覚まして、だんだん暗闇の中で頭の制御が効かなくなる。

約束をしてからは別に意図して触れなかったわけじゃない。それなりに触りたかったけれど、追い出されるのは困るからと頭の中で言い訳を繰り返し、結局一度破った約束はある程度自らの中で守り続けたつもりだった。まぁ、キスを除いてなんだけど。

彼のくちびるの感触が好きだった。それと、触れるときの一瞬の熱。
幾度となく交したキスは既に自分の中では挨拶代りに等しいものだったから、したい時にするというその流れに何の違和感も感じたりしない。元々仕事柄、感情がなくともそういうひとつの動作として俺の行動パターンの中にインプットされてしまっているからだ。

布団を引っ掴むと、そのまま勢いよく互いの頭ごとを覆い隠した。俺の唐突すぎる行動に「え」というシズちゃんの間抜けかつ戸惑った声が聞こえたが、そんなことはお構いなしだ。そのまま狭い空間の中で、俺は自らの頭に乗っかっていたシズちゃんの手を掻い潜るようにするりと抜け、目的の唇に勢いよく噛み付いてやった。

瞬間、シズちゃんが息を止めたのがわかる。ぺろりと舌先で一度唇のかたちを確かめてから、今度は啄むようなキスを何度か与えた。いつもならもっと、じっくり感触を確かめるようにねちっこく仕掛けるのが好みなのだけれど、今はそんな余裕がどうしてか少ない。


「っ、ん………ふ、っ………」

「………っ、」


ちゅ、と意図せぬリップ音が狭い閉鎖空間で響くたび、どうしようもなく興奮した。シズちゃんの息遣いが耳に響いて、頭の奥がじんと痺れて熱く歪んでゆく。互いの呼吸の音が混じり合って、些か苦しい。それでも離れる気は全くと言っていいほどせずに、貪るようなキスを止めることができなかった。




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