03 | ナノ



やめたいことはひとつだって無かった。

かと言えば溺れるようなこともしなかった。
できなかったし、できなくて良かったとすら思ったほどだ。

俺は人に埋もれて生きるのが好きで、ずっとそういう風にして生きてきた。言い方は生易しい限りだが、断じて馴れ合いたいだなんてことは微塵たりとて思ったことはない。
俺はいつだって俺のために生き、人の優しさを嘲笑い、あしらうように人の不安をなぞっては辿りそうやって時間を過ごしてきた。

それは変わらない。これからもその先もずっと永遠に、俺はここに居て俺でしかない。きっと彼だって似たようにそうなのだろう。そんな確信だけが日々漠然と強い。まるでちょっとした神様気取りだ。

見下ろした先の夜景に、生暖かい風が吹き抜ける。
俺の手元に残された煙草は着実に消費され、やがてもうあと一本を残すのみとなっていた。




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攫って来たライターは思いの外使い勝手が良かった。しっくりと手に馴染み、弾かれたようにキン、と音立て蓋が開く辺りも中々どうしてすっかり気に入ってしまっている。予想外過ぎて彼に内緒でそれをこっそり持ち出したことを、少しばかり後悔していた。

「…楽器みたい」

キン、親指で弾けばまた小気味いい音を響かせその蓋が開く。火を点し、それでも手元のソフトケースから残りの一本を取り出して火を点けることは躊躇われる。何から何まで無意味な行動でしかないとわかっていても、煙草と違ってこの火は無くならない気がしていた。油が切れてしまえば何ら同じ結末を迎えるというのに。

頭弱くなっちゃったかなぁ、困ったもんだ。

こういう時少なからず老いを感じたり、まぁ、しなくもない。現に一か月ほど前に俺はひとつ歳を取り、めでたくこのたび24歳となった。さして珍しくも何ともないよくあるところの24歳で、これと言って変わり映えしたことなどは現にひとつもなかった。

言い聞かせることでそれがあたかも真実であるかのように振る舞い、一か月は割合あっと言う間に流れてくれた。まるで感傷を振り払うように喫煙に手を出した自覚こそあったが、実際のところはもっとずっと女々しいばかりの話だった。現に今ですら認めたくないほどの。

マンションの屋上のベランダ、いつものコートは自宅なのでデスクの椅子に掛けて置いてきてしまった。強く吹き抜ける風は随分と温かかったので正解だったと思う。カットソー1枚で丁度いいくらいだ。

ライターの火は風に煽られて割とあっさりその熱を失ってしまう。そう、言わばこういう事だ。何だってこんなふうに簡単に実に呆気なく、その役目を失うことができる。

俺の場合はそれが24になることで、そして漸くそれを迎えてしまっただけの話だ。

彼と初めてセックスをしたとき、記憶としては何もかもが最悪だったことをよく覚えている。やたらと蒸し暑い体育倉庫の埃っぽさだったりとか、なにが楽しくてあんな蒸し暑い場所で更に暑くなるような真似を働いたのだろうかとか、要は色々だ。

それでも何より最悪と呼ぶにふさわしいことは、一度きりでそれが止められなかったことだ。結局暑くて埃まみれのあの倉庫で、何度そういう事に及んだかなんてことすら途中から数えられなくなってしまっていて。

あのころシズちゃんは俺にノミ蟲という非道極まりないあだ名を付けておきながら、それでも大嫌いな筈の俺とのセックスを拒んだりしたことは一度もなかった。疑問附すらその口から聞いたことがない。彼は頭が弱いように感じていたけれど、正直そこまで馬鹿だとは思いもしなかったのだ。若気の至りというものは実に恐ろしい。

「明日は、雨か」

歳を取った、独り言が増えた、支払う税金の量が増えた、友人は元より多くない、体力もどことなく減ったような気がする。

要は考えようだ。増えたか減ったか、消えたか生まれたか、そういう流れの中のひとつとして彼の存在を組み込むことにより、俺の中でそれはまるで無かったかのようになる。記憶の一部として細胞に刻まれながらも、それを忘れることができるような気がしていた。

けれど俺には矛盾が存在している。目下その言い訳を日々常々考えては、結局あのひとのことを未だに頭の近くに置いたままの状態だ。途中からはそれが忌々しいのか、もしかして自らそうしたくてしているのかがわからなくなってしまっていた。

かたちある矛盾のひとつは煙草と、セットにさせて貰うならシズちゃんの愛用していたライター。そして24になったにも関わらず、こうして彼のことばかりを考えてはいる自分の存在だった。

わけもなく彼を否定し、そしてそんなことばかりを考える自分を否定し、否定にまみれた今のこの状況に嘘を吐いて正しいと言い聞かせること。そうやって自分を騙すのが随分と上手くなった。

現にシズちゃんとはもう大分顔を合わせていない。それがちゃんと上手く行ったような気がする時点で、もうきっと大丈夫なのだと思い込むことができる。この言い方だと前はまるで駄目だったように聞こえてしまって、それ自体は些か癪だったけれど。

ジッとライターを擦って火を点し、最後の一本の煙草にそれを近づけてまた一瞬止まる。

こういう所は嫌いだ。躊躇うくらいなら止めてしまえと思う自分と、さっさと何もかも燃やしてしまえそうすれば無くなるだろうと思う自分、寧ろそのどれにも属さずにひとり考えることを放棄したがっている自分が、俺の中には多分共存している。

早くしなければ火がまた消えてしまう、それを言い訳に俺は煙草にそっと火を点し息を深く吸い込んだ。すうと身体の中を通り抜けて行っているであろう白い煙を想い、空を仰いでそれをふーっと細く吐き出す。

手元のそれをまた咥え直して、ただぼんやりと街並みに視線を落とす。見慣れてしまったネオンに今更何を思うわけでも無い、これが最後なのだとそう最初から決めていた。

いつからか何もかもが怖くなったような感覚に襲われて、どうにかしなければと心の中で常にそう考えていた。
だからそう、爆弾を仕掛けた。23になった瞬間に爆発するつもりで仕掛けたそれは、俺がスイッチを押し損ねてしまった所為で、24になるまで不発のまま互いの間で燻り続ける結果となってしまった。

言い訳がましいが、現に23になって彼はそのことを切り出して来たりはしなかったし、だらだらとした関係は全てを道連れにするようにひたすらに続いて行ったから。

歳を重ね、彼が煙草を覚え、いつしか与えられるキスがそれの味になって行き、俺のくちびるは彼の煙草の味を覚えてしまった。

しがらみは纏わりつく。俺とシズちゃんは言わばそれのみで構成されているような間柄だったといのに、どうして俺ばかりがこんな風になってしまったのだろう。

あの日俺の手の中で歪んだ煙草のパッケージは、今とてもう既に見るも無残なほどぐちゃぐちゃに皺が寄ってしまっている。それでも中身さえあればいいと、ゴミ箱の上に翳すだけで落とすことはできなかった。水色が俺の後ろ髪を引いて、煙は俺のことを縛り付ける。忘れたい、何もかも。

二重構造の時限爆弾は、24になった誕生日、そして今日この一本をコンクリートの地面に押し付けることにより完成される。それだけは絶対だと、何度も何度も何度も言い聞かせてきたことだ。




ゆらり、煙が揺れる。振り向かずとも気配がわかるのは匂いだけじゃない。だって今はもう、とっくにその匂いは俺にだって沁み付いてしまっているはずだったから。


「………ライター、取りに来たの?」


振りかえる先の影が、思った通りの人物だったことに口元は思わず笑んだ。嬉しかったわけじゃない、クイズに正解してほんのちょっと気分が上がるのと同じようなことだ。

彼は何も言わなかった。
サングラスを外し、長い前髪は風にゆらゆらと頼りなく揺れて、どこか虚ろな瞳が俺のことをまるで憐れむように見つめる。煙草を吸っている場面が意外だったのだろうか、ほんのちょっと驚きの色もそこには滲んでいるような気がした。


「…ノミ蟲」


久方振りのシズちゃんの声は、俺が記憶しているそれと何ら変わりはなかった。

だからこそだめで、正直余り聞きたくないんだけど、心の中でひとりごちる。

彼のことが嫌いだった。嫌いなところを挙げるならそれは色々あるけれど、例えるならどこまでも空気が読めずタイミングの悪いところ、だとか。




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