13 | ナノ




「あ、撮りたい」


キスの真っ最中そう呟いて何をし出すかと思えば、俺の下から器用にその身をずらし自らの鞄の紐を掴んでは手繰り寄せた。そして中から取り出したいつものカメラを寝転がったまま弄り出し、そのままいつもと同じように俺に向けてそれを構えた。

「…ふざけんなよ手前」

いまどういう状況だったと思ってやがる。
そう言って思い切りこれでもかと罵ってやっても構わなかったのだが、聞き返されたら何となく墓穴を掘るような気がして思いとどまる事にした。
正直視界はぼんやりと揺れたり曖昧だったりで上手く状況を飲み込めていないのは俺の方かもしれないが、それだって今は誰がどう見たってそういう場面じゃねぇだろ。馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、空気が読めないとなると(正直今に限った事ではないけれど)本格的な馬鹿としか言いようがない、いっぺん頭ぶつけて死ねよこの馬鹿。

想いっきり感情の赴くままに顔をしかめたら、「あ、怒った」とかふざけた事をほざいてその直ぐ後に聞き慣れたシャッター音が耳に響く。また始まった、と言わざるを得ない。

酔ってぼんやりした頭だったけれど、正直キスを繰り返しそのリアルな感覚を味わってはいる内に、徐々にマトモな思考回路を取り戻して来てはいた。微妙と言えば微妙だが、アルコールが齎す短絡的な考えにより割と自分からキスした事なんかはどうでも良くなってしまったいた。
けれどまぁ、多分今くらいの状態だったら自分からはしなかっただろう、そんな事。逆に酒の所為にしときゃ問題ねーのか、なんて馬鹿な事を考えてキスに没頭していた。そんな矢先の出来事だったのだ。

「ねぇ、さっきまでのふにゃふにゃしたシズちゃんは何処行っちゃったの」

「してねーよぶっ殺すぞ」

「…んー…別にまだふにゃふにゃしてるって言えばそうなんだけど」

まぁいっか、はい笑って笑って、急かす様な言葉混じりにやっぱりシャッター音は何度も響くが、当然ながら俺は笑うことはしない。実際今までだって、少なくともこいつの前じゃなくとも一度だってそんな真似はしたことがなかった。

すっかり入り浸るようになった臨也は、今日だって何の前触れも無く訪れた。
何処からか俺のスケジュールを把握してきては、まるで図ったように俺の仕事の無い時に訪れては来る。特別何をするわけでも無いが、徐々に俺の生活に馴染みつつあるそれに酷く苛々していた。
だから、タイミングが悪かったのだ。
今日は一人ぼんやりとしていたらその思考はますます強くなるばかりで、いつもの倍、いや三倍は苛立っていた。それなのにその苛々の元凶が自分の元を訪れて、人のことなどお構いなしにいつものように勝手に部屋に上がり込んで来る。だからそういう所がむかつくんだよと、言えないままに酒を飲んでこんな事になってしまったりしているので、結局は自分の否も認めざるを得ないのだけれど。


「…くそうぜぇって、言ってんだろーが」

三倍苛立っていた感覚をじわりと取り戻した脳に、臨也が切るシャッターの音はいつも以上に耳障りでしか無かった。カシャカシャと響き渡るその音は、いつもなら仕事で聞き慣れているもののどうしてか今日は雑踏の騒音のようにしか聞こえてならない。やめろ、うるさい、やめろ。

がっと掌でレンズを覆ってそれを顔から退けさせると、なにするの、臨也も珍しく不服そうな表情を見せたが、正直それを気にしていられるほど頭は冷静じゃ無かった。苛立つばかりだ、臨也が何か口にするたび、笑うたび、カメラを俺に向けるたび、シャッターを切るたび、わけも無く苛立つ。
だから我慢できなかったと言ってしまえばそれまでで、けれども随分と子供染みた言い訳だと思う。それも頭の何処かではわかっている筈なのにそれを止める事ができない、上手く行かない。きっと飲み過ぎたせいだとそう思った。


「撮るな」

「どうして?今更じゃん、普段何百枚って撮られてる癖に」

「うぜぇって言ってんだろうが」

うん、それも大概聞き飽きたけどね。しれっと何でも無いように臨也が答える。それにすら苛々した。どうなってやがる、何でこんなに苛々すんだ、何なんだ。けれどいくら考えて突き詰めようと、酔いも相まって当然ながら正しい答えなど導き出せやしない。素面の時にだって同じだ。臨也と俺がこうする理由などは何処にも存在しない。

のに、なんで、どうして。



「いっつもいっつもカメラカメラってうっせぇんだよ手前は」

「え、なんで。仕方ないじゃん、好きだし」

「…あっそ」

「そう。だからほら、ちゃんとこっち見て撮らせてよ。このアングル新鮮だからちゃんと撮りたいんだってば」

悪びれず再びカメラを構えた臨也がシャッターを切る。響く音は何度切ってもその音だ、変わらない。きっと正確に俺の姿をその中に捉え続けているんだろう。

ちゃんと見ろって、見てんだろ。見ろ見ろ言ってるだけで結局いつも見てるのは俺ばっかで、手前はその機械の向こうから俺の事覗き見てるだけじゃねぇか!

意味なんてないのだ、きっと。こうしてふたりで居る事に然程大した意味なんて存在しない。少なくともこいつにとってはそうで間違いない筈だ。面白がってキスを仕掛けられようと、知らない女から貰ったケーキを嫌がらせのように俺に押し付けることも、だからそうなのだと言ってしまえば全てが綺麗に解決できてしまうというのに。
それでも唇を重ねれば何もかもがどうでも良くなり、そんな風にしてやり過ごす事自体が間違っている。折原臨也が好きだった、そう過去と結論付けてしまえばいい。たったそれだけの事で全ては丸く綺麗に収まるというのに。

「…すっごい顔してるよ」

漸くカメラを退けた臨也は、やっぱり何処かその表情に笑みが浮かんでいた。不思議と今度は苛立たず、ぴんと張りつめたような痛みが喉の奥に走った。初めての感覚だった。
伸びてきた指先は俺の頬を擽り、額を撫で、そのまま唇に下りてきたけれどそこには触れなかった。もうしてくれないの、それがキスの事だと直ぐに判断できたけれど、こんなにも喉の奥が痛いのにそんな事できるわけもない。

「俺に触るな」

「キスしてきたの、シズちゃんの方じゃない」

「…したいからしろって言ったのは手前だろ」

「言ったよ、じゃあもうしたくないってこと?」

「したくねーよ」

俺ばっかだ、痛む喉を突く言葉を飲み込んで、やり過ごす。結果的にそこには何も残らない。だからきっと、こうしている事に意味なんてないとそんな事を思うんだろう。

「俺はしたいときするけど」

「触んなって言ったろーが」

「なんで、今日のシズちゃん理屈っぽいのに理屈っぽくないね」

「………おまえと喋ってると頭痛くなる」

「はは、それ、お酒の所為じゃない?」

「どう考えても手前の所為だろうが」

吐き捨てようと罵ろうと、臨也の口元から笑みは消えない。ふっと細められた瞳は見覚えがあった、大概悪だくみを目論んでいる時の顔だ。

「じゃあたまにはお願いしてみようかなぁ」

語尾を伸ばした口調と、弧を描く口元はよく知っている。奥の寝室のクローゼットの奥に仕舞いこんだ写真の中にもよくあるもので、生身の臨也もよく浮かべる笑みだった。だから知っている、あの頃は好きだったそれが、所詮は作り物に過ぎないということを。

「キスしてよ、シズちゃん」

あのころ、どうにもならない紙切れの上の存在に焦がれていた俺の理想などもうどこにも存在してはいない。無意味と空虚、それだけで構成される俺と臨也のふたりの世界に、これ以上何を望むと言うのだろうか。
無意味だと思い込む事でその行動は意味を成さなくなるかも知れないと、浅はかな期待を抱いて自らを騙し一度だけと口付てはみたが、やっぱり案の定喉の奥が痛むばかりだった。




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