12 | ナノ



苛々していた。

誰がって、それは勿論シズちゃんがだ。俺は苛立ちなんかを感じる事はあってもそれらを滅多に表に出すことはしない。比較的どちらかと言うと笑っている事が多かった。
シズちゃんに対しては最初こそ目一杯不機嫌さを露わにしていたものの、今ではそんな過去もどうでもよくなってしまえるほど、距離はぐっと近付いている。これは結果として俺の努力の賜物だと言えよう。都合がいいと言われてしまえばそれまでだ。

どうして苛立っているのかは知らないが、基本彼は俺の前に居る時は大概苛々しているように見える。これは断じて勘違いではない筈だ。俺への相槌は「くそうぜぇ」か「ぶっ飛ばすぞ」のふたつが大半だから、傍から見たらただ俺が嫌われていて、尚且つ嫌がらせの如く一方的に付き纏っているように思われたりしているんだろう。

まぁそんな事は今となってはどうでもいい。取り敢えず俺はやたら苛々している彼の部屋にいつも通り無理矢理なだれ込んで、持ってきた甘ったるい酒を強引に飲ませた。
とはいえこちらにも部屋の扉を開けるための鍵があるので、閉め出されようと幾らでも侵入は可能だったのだが。やはりどうぞ、と迎え入れられるのとはわけが違う。いや、シズちゃんはただの一度だって俺の事をそんな手厚く迎えてくれたことは無かったけれど。



「つーかおまえ、ほんとうぜぇ」

なんなんだよ、舌っ足らずな声弱々しい声でぶつぶつと呟きながら、触れようとこちらから伸ばした手から顔を背けるように彼はごろりと寝返りを打った。
シズちゃんはいま、俺がこの部屋に持ち込んだ際に散々文句を言いまくったそのソファの上に横になっている。黒い革張りのそれはそこそこ値段も張るし上等なものだ。何だよ、あれだけぼろくそに言っておいて結構気に入ってるんじゃないか、まぁ俺が選んだんだから当たり前だけど。

「そんなにごろごろ回ると余計に酔い回るよ?」

乱れた髪に触れようとして伸ばした指先は一旦引き戻し、顔を腕で覆い隠したままの様子に小さく息を吐いて呟く。瞬間ほんの少しその腕がずれて、セピア色にくすんだ瞳が若干潤んだ状態で俺をちらりと伺った。

「…酔ってねぇ」

「ふぅん?酔ってないの?」

「酔ってる」

「どっちだよ」

うるせぇなどっちでもいいだろ、やっぱりおまえうぜぇ。
お決まりの台詞と一緒に、その瞳はまた隠れてしまった。仰向けになったままの彼は、一人でそのでかいソファを占領してしまっているが故に、俺の今現在の位置は床上だ。ラグの上に座り込み、ソファに寄り掛かってテーブルの上にあったシズちゃんの飲みかけの酒の缶に手を伸ばした。

「俺のもん勝手に飲むな」

「あ、」

ずいと伸びてきた長い腕に缶を手元から奪われ、上半身を起こした彼がぐいとそれを一気に飲み干す。中身自体はアルコール度数が低めの缶チューハイだったけれど、彼は先程似たようなものを既に一缶消費してしまっている。いいのか、いや飲ませたの俺だし今更どうしようもないんだけど。
飲み干した缶を再び俺に突き付けて、それを受け取った瞬間またその身体はソファにぼすんと沈む。ほんのりと赤く染まった目元は何処か弱々しく、いつも寄せられている眉間の皺はすっかり解消されてしまっていた。酒の力は何とも偉大なものだ。

「…買って来たの俺なんですけど。ま、別にいーけどさぁ」

「っせぇ、さわんなって…言ってんだろ」

伸ばした指先で、くしゃりと前髪を掻き上げてやる。かん、空き缶をテーブルに戻すとテーブルが小さく音を立てた。彼が寝転がっているソファに空いた腕で頬杖をついてただじっと触れながら観察する。

すっと通った鼻筋に、切れ長の瞳。やや薄めの唇は、それでもキスすればちゃんと柔らかく触れる事をちゃんと俺は知っている。

そんなつもりも全く無くて、初めは本当にただここで寛ぐ際に座る所が無いのはあれかなぁとそんな事を思い買ってみたソファだったのに。どうしてかそこに彼が眠っているだけで、何となく自分の内側に閉じ込めてしまったうな、錯覚にも似たような妙な感覚が自らの中に沸々と湧きあがる。
けれどもそれらは生まれるばかりで、あとはどうにもならずただ写真に収めたいだとかそんな事を思うだけ。何よりも俺の中が一番見当違いでちぐはぐだ。
彼は俺のもので、しかしそんな事を言えばきっとまたその眉根を顰めて鋭い視線のおまけつきで「馬鹿じゃねぇの」とか言われる事は簡単に想像できた。ので、やっぱりそっと心の内に留めておくことにする。

顔から手が退けられて、ぼんやりと虚ろな瞳が俺を見る。臨也、名前を呼ぶ。俺は返事を返す代わりに前髪を持ち上げてそのまま撫で付けてやった。こうすると、随分と幼い表情になる。

臨也、いざや、馬鹿のひとつ覚えみたくそうして何度も繰り返すのに、いい加減黙っていた口からはうん、という相槌が自然と零れた。すると瞬間彼の口元は、僅かにではあるがふっと緩みまたその単語をひとつ繰り返す。臨也。

「なーに、シズちゃん」

酔っ払い、言いつつぐいと額を押せばその手首を掴まれた。何だか酔っ払いと言うよりは生まれて間もない赤子みたいだ。ろくに口も利けないし、一言を繰り返しては触れてやるとその表情が緩む。ああ、本当これも通常時とのギャップがあってこそなんだろうけど、やっぱり面白いなぁ。

ふと結構前に、彼に酔っぱらって人づてに呼び出された時の事を思い出した。酒が軽く入ってこの状態なら、確かにあの時は信じ難かったが納得せざるを得ない。こんな風だったのだろうか、いざやいざや、俺の事母親みたいに呼んじゃってさぁ、全く可愛いったらないね。

掴まれた手はこれといって何をどうされるでもなく、掴まれてそれきりだ。やたら熱いシズちゃんの掌の熱がじわじわと肌の表面から内側へと伝わって行く。
見つめ合って手を握ってシチュエーションとしては最高だなぁと思う。そんな事を考えていたのがばれたのかどうかは知らないが、いやシズちゃんに限ってそんな事は無いと思うが、むくりと再びその長い身体を起こした。

ソファに頬杖をついたままの状態でそんな様子を見つめながら問い掛ける、なに?それでもシズちゃんはじっと俺を見つめるだけで何も言わず、ひたすら瞳を覗き込んで来るだけだ。
やがてあれなんか近くない?そう思わず口にしたくなるほどシズちゃんが距離を詰めて来て、けれどもそれを口に出すより先にごく自然に唇が塞がれてほんのちょっと驚いた。

不覚だ。そんな事を思いつつも嫌だとかそんな事は思わないのでそれを受け入れ、そっと瞳を閉じた。この方が感覚が研ぎ澄まされるというか何というか、より触れる唇の感覚をじっくりと感じる事ができる。キスの最中のシズちゃんの表情を盗み見るのも悪くはないと思ったけれど、雰囲気は大事だ。特にシズちゃんは結構呑まれやすいタイプだと思うから、少しでもそういう要素は多い方がいい。

「……ん、」

くちびるはまるでそこを愛撫するかのように触れてはきた。いつも俺がするみたいに唇を擦りつけてきたり、軽く歯を立てたりとシズちゃんにしては随分と積極的だ。普段はどちらかと言うと一方的で、主導権は大概俺の方にある。
もしかして俺の真似してるの、って言うか俺がこういうの好きだと思ってやってるんだったらどうしよう。やばい、それってもしかしなくても可愛くないか。不覚にもそんな一人問答でほんのちょっときゅんとしたりたなくも無かったが、俺だってれっきとした人間だ。やがて触れるその感覚に思考回路は浮ついて、キスに没頭せざるを得なくなる。

ふ、と息を吐こうとしたら、思ってもみない甘い声が自ら口からは勝手に紡がれる。べつにそこまで雰囲気を出そうと努力しているわけじゃない、普通にそのくらいには気持ちがいいのだ。だけど正直ちょっと、息が苦しい。

「しず、ちゃん、………ちょ、いき」

させて、俺死んじゃう、言いつつ目の前の肩に手を添えぐっと押す。けれどやっぱりシズちゃんからのキスは止むこと無く振り続ける、息は苦しいままだ。深い深呼吸が三回は必要とみた。まぁそんな事はどうでもいいけれど、やっぱり苦しいことには変わりないので再びその肩を更に強い力で押し戻した。

けれど反対に更にずいとその身を乗り出したシズちゃんは、断るとでも言うように更に口付けは深くなった。馬鹿か、殺す気なのかそうなのか。肩を掴む手にどれだけ力を込めようと、それに比例するようにシズちゃんは床上に座り込んだ俺に乗りかかるようにしてくるばかりだ。


「う、わ…」


どさりと、案の定嫌な予感は的中する。有り得ない勢いで体重を預けてきたシズちゃんは見事にソファの上から落下して、そのまま床上に倒れ込んで来た。勿論俺の身体はその下敷きである。
その身体だって細いとは言えど体格差は余りにも歴然としている、よって、まぁ当たり前だがすごく重たい。しかも乗りかかられている所為で自らは身体を起こす事が叶わない。余りにも散々な状況だ。

「……重い…」

溜息混じりに漸く解放された唇でそう呟くと、彼は相も変わらず蕩け切ったその瞳でうん、とやたら素直な返事をくれた。そうじゃねーよ馬鹿と思ったが、結局またそのまま覆い被さってきたシズちゃんに唇を塞がれる。
もしかしてキス魔だったりするんだろうか、それはそれで実に面白い話だし別に嫌じゃないからいいんだけれど、ああなんか、このままくちびるが溶けてしまったらどうしてくれるんだろうか。





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