11 | ナノ







「どーぞ、適当に座って」


言いつつ通された立派なマンションは、部屋の中もその外装に負けず劣らず立派だった。
俺の所も弟が選んでくれただけあってそこそこに立派と言えば立派だったが、それとはまた少し違う、何とも言えない高級感を醸し出した建物とその中身だった。

厳重なセキュリティは当たり前、部屋は最上階から数えて三つ下、扉を開ければ一面ガラス張りのばかみたいに広いリビングが広がっていた。夜はきっと夜景が綺麗に違いない。
そこに溶け込むインテリアも実にシンプルながらに何処か上品で、最もそういうのに疎い俺がそんな事にどうこう言うのも何だが、一言で言うならテレビのお宅紹介とかで見るような、そういった典型的な金持ちの贅沢部屋だ。
まぁ、一時は間違いなくトップモデルと称されるに相応しかった折原臨也の家なのだから、何となくそれで納得はできてしまう辺りが遣る瀬無い。ああ、けれどそれにしたってばかみたいに広い。家賃幾らだよとも思ったが、正直確かめるのも怖かったので聞くのは止めておいた。


「あとこれ、はい」

「……何だよ」


手渡されたのはやや小さめの紙袋で、取り敢えずはいと差し出されたものだからそれを大人しく受け取る。かさ、音を立てて手を突っ込んで中に入っていた小さな箱を取り出した。過剰包装だなと思わなくも無かったが、それをリビングの端にあるカウンターテーブルの上に乗せて開ける。
ちょこん、効果音を付けるならそんな音が相応しいであろう大きさのホール型のケーキが箱の中から姿を見せる。チョコレートの匂いがふんわりと鼻先を掠めた。


「帰り際に現場のスタッフの子に貰った。折原さんのファンです、ってさ」


可愛らしいよね、女子って感じでさ、それ手作りっぽいじゃない。そんな事を何処か他人ごとのように口にしながら、財布や鍵なんかをリビングのテーブルの上に投げ出して臨也は笑う。


「俺食べないけどシズちゃん確か甘いもの好きでしょ?途中で捨てようかとも思ったんだけど、何かそれも勿体無いかなーって」

そう言ってキッチンの引き出しを引いて、明らかにパスタなんかを食べるためであろう、ケーキを食べるにしてはやや大きめのフォークをケーキの傍らにことりと置いた。
15センチ程にも満たない大きさのケーキは、酷く甘ったるい匂いを放っている。白い粉砂糖が控えめに降り掛けられたガトーショコラは、まるで売り物の如く綺麗な円形をしていた。ほんの少し、そこにフォークやナイフを突き立てその形を崩すことが躊躇われるくらいに。

「あれ?食べないの?」

「……食う」

「なら良かった、じゃあ俺飲み物用意したげるよ。何がいい?」

「牛乳」

「出た牛乳」

「何だよ、文句あんのか」

「文句は無いけどついでに言うならうちには牛乳も無いよ、コーヒー飲める?駄目なら水しかないけど」

「…そんな二択なら最初から聞くんじゃねぇよ、黙って水よこせ」


そのままカウンターの高めの椅子に腰を下ろして、目の前のガトーショコラを端からぶすりとフォークで切り分けて食べる。口に放り込めば、目一杯チョコレートの香りと味が広がった。疲れていたから、単純に美味しいと感じる事ができる。店で買ったりするものと然程変わりない出来具合だ。だから、つまり、あのカメラ馬鹿に食べて欲しいというその一心で作り上げたに違いない。

哀れなものだ。幾ら臨也の事を想いこれを食べて少しでも自らに興味を持ってくれたらと、そんな健気な想いの丈が詰まっているに違いないのに。
まさか何処ぞの知らない誰かに「捨てるよりはマシ」という言葉を添えて食わせているとは思いもしないだろう。あいつが最低なのは今に始まった事じゃあないが、それにしたって酷い話だ。

それなのにあの馬鹿は「ケーキには普通コーヒーでしょ」とか何とかほざきつつ、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを呑気な素振りでグラスになみなみと注いで行く。
手前にケーキに合うとか合わねぇとかそんな事を言う権利があると思ってんのか、そう吐き捨てるよりも取り敢えずは食べる事に専念することにした。甘過ぎずだからと言って苦い訳でもない、食べやすいそれをぱくぱくと次々口に運び、やがて丸かったホールはあと一口かあって二口を残すだけとなってしまった。

臨也はケーキを食べる傍らに水の入ったコップを置いて、それからずっと気色悪い笑みを浮かべながら俺のことをたたじっと見つめていた。
一度ケーキを食べるフォークの手を止めて、臨也を見返す。視線が合うと首を僅かに傾け、それでも口元の笑みはやっぱりそのままで。


「…何だよ」

「いや、本当に好きなんだなぁと思って。甘いの」

「普通」

「太っても知らないよ」

「好きなモン食わねぇとストレス溜まんだろ、俺は食いたい時は食う」

「ま、それで太らないんだからモデルなんて仕事できるんだろうけど。」

「それは手前もだろーが」

「まぁね、昔の話だけど。…ね、俺にもそれ一口ちょうだい」

それ、ひとくち残ってるやつ。そう告げてあーんとこちらに小さく口を開けて見せるものだから、再度食べ掛けの残り少ないケーキに視線を落とす。じっと見つめて、やがてそれはフォークで突き刺しそのまま自らの口の中へと運んだ。


「え、ひっどい。本当に丸々一個全部食べた」

「うるせぇよ、お前要らねぇって言ったろーが。食いたきゃ手前で買って来い」

「同じ味売ってないじゃない。あんまりシズちゃんが美味しそうに食べるから一口欲しくなっただけなのにさぁ…ほんっとそういう所子供だよね、けち」


そんなに美味そうに食べたつもりは何処にもないが、美味いか不味いかで言うなら美味いの方に該当するだろう。手作りの味は独特だ、例え見かけが多少悪かろうが色んな意味でより美味しく感じられるし、温かみがあって好きだ。
けれどこれは本来臨也が食べるものであって、俺が食べていいものじゃない。それでも俺はこれを自らの胃に収める事で、これを作った健気な誰かに心の何処かで同情しつつも、尚且つほんの少し庇ってやったような妙な押し付けがましい気分に満ちていた。捨てられなかっただけマシだろ、とか。思う所はそんな事だ。

哀れなものだ。それは俺も含めてに違いない。結局あれから度々部屋に訪れてはいる臨也に文句を吐きつつも、それを容認してしまっていることも。建前だとは言わないが、嫌悪を含んだ言葉を吐き捨てる事で自らの逃げ場を自ら無くして、わざわざ深みに嵌って行っている自覚はあった。

やがて徐々にそういうものに対する警戒心と言うか、壁みたいなものは剥がれ崩れ臨也が傍らに居る事をすっかり許してしまっている。だからこうして今日、初めて臨也の部屋に大人しく訪れたりしてしまっていたりする訳だが。


(…何やってんだ、俺)


わからない、それがわかっていたら、こんな風になし崩しな真似をしてのこのこ部屋に訪れるだなんて馬鹿なことはしない。

折原臨也は、あくまで俺の中では空想の中の存在に近い。今では近かった、という過去形の言葉を選ばざるを得ないが、それでも特別だった事は否定はできない。だから言ってしまえば今の俺は夢見心地なのだ。
何が現実で、何が夢か、どちらにしても報われるだなんて期待は抱いたりしちゃいないが、何となくここ最近は近くに居ると苦しいことの方が多かった。不思議なものだ、実際に目の前に現れて第一印象が何より一番憎たらしくて、ずっとそのままだろうと思い込んでいたのに。今の感情はたぶん、どちらかと言えばかなしいだとかそういうものに近い。

どうして臨也相手にそういう事を思うのかは知らない。言ったようにわかっていたら苦労などしないのだ。


ふと、隣に座っていた臨也がずいと詰め寄って来たので、何だよ、とそつのない口調で返す。近い、と思った瞬間に口の端にそっと唇が触れた。また距離は直ぐに開いて、臨也は相変わらず笑っている。

したいならしろとか、少なくともそういう問題じゃねぇんだよ、俺には。
からかわれている自覚も遊ばれている自覚もあった。他のことはわからなくともその辺りだけは綺麗に理解してしまっているだけに、どうしてこんな事をしているのだろうと、そればかり考える。無意味だ、何もかも。何がって言うなら、俺がモデルの仕事を続けている辺りがもうそうでしかない。

ケーキをこいつに寄越した誰かも、ここで今こうしている俺も言ってしまうなら同じ馬鹿だ。自らこいつの思うがままになり、そう、その誰かもきっと食べる気も更々無いケーキを受け取ったこいつの礼ひとつで今頃は、それこそ浮かれきっているに違いないというのに。

やがて臨也はまた何事も無かったかのようにくそでかいソファに歩み寄りそこにその身を沈める。未だ離れたカウンターに残されたままの俺は、ぼろぼろと箱の上に散らばるガトーショコラの破片を見つめて小さく溜息を吐いた。思うことはひとつだけ、何、やってんだ俺。

こっちおいでよ、そんな気を知らずか知ってか、いつもの調子で声を掛けられるが、俺はフォークでかりかりと箱の底を引っ掻いてケーキの破片を集めようとして返事は返さなかった。
勿論、手にしているのはフォークだから、その隙間よりも小さなそれらは綺麗にひとつに集まりはしない。時折フォークに触れて位置を変えて、それでもばらばらとそこに散らばるだけだ。

脈絡の無いキスに、毒を吐くことにも既に疲れてしまったのだ。これは断じて言い訳じゃあない。いつかされなくなった時に清々したとかそういう毒を吐くくらいの心構えでいなければ、同じ空間に居てもつらいばかりでしかない。どうして俺がこんな片思いみたいな真似をしなくちゃならない。ああ、くそむかつく。うぜぇ。やっぱり嫌いだ。







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