サテライト・シャンデリア(♀) | ナノ


※静雄×甘楽ちゃんです
※一人称は俺のまま
※年齢軸は23歳×18歳くらいです
※島に住む幼馴染なふたりのパラレル






サテライト・シャンデリア





星空はきらめく。

シズちゃんと俺の、秘密の場所と二人の間で称されたこの防波堤の先端は、夜に訪れそこに立てばまるで自らが夜空に浮かんでいるような錯覚を覚えることができた。
俺たちふたりが生まれたこの島には何にも無い。高いビルもお洒落な店も、全国チェーンのファミレスも地下鉄も。なにもないけれど、けれど此処にしかないこの満天の星空と真っ青な海は、そんなものと全て引き換えにしたっていいくらいの価値のあるものだった。

ちかちかと瞬く白い光は無数で、その数なんて到底把握することはできやしない。ちらりと隣のシズちゃんを見遣れば、その横顔も空に圧倒されたようにただ茫然と上を見上げるばかりで。まるで俺とシズちゃんでふたり、宙に浮かんでいるみたいだった。


「…お前が店来るのも今日で最後か」


ぽそり、彼の呟いた言葉が波の音に直ぐに掻き消されてしまう。事実に過ぎないことだったから、もしかして知れず波の音に紛れて聞こえなかった事にしてしまいたかったのかも知れない。この耳は大概都合の良い真似ばかりを、これまでだってずっとそうやって繰り返してきた。

シズちゃんが父親の後を継いで続けている喫茶店に、学校が終わってから通い詰めるのが俺の日課だった。夜は雰囲気をがらりと変えてバーとしても営業している、シズちゃんが立つちょっと長めの木で出来たカウンターテーブルの端。立てかけられたコルクボードに張り付けられた海の写真はシズちゃんが撮ったものだ。そこが俺の指定席だった。


「シズちゃんのコーヒー飲めなくなっちゃうね」

「お前いっつもカルピスしか飲んでねぇだろ」

「あ、いつも思ってたんだけどシズちゃんの作るカルピスめちゃくちゃ濃いんだよね。何か喉痛くなるって言うか、あれもうちょっと薄めた方がいいよ、身体に悪い」

「コーヒーの味もわかんねぇガキが人の作るもんに口出すな」

「知ってる?都会はスタバっていうのがあるの、俺もいよいよそこでカフェとコーヒーデビューしちゃおうかなぁ」


ざあん、波が防波堤に打ち付けられる。風は時折強く吹いて、腰近くまで伸びた俺の長い髪を散り散りに靡かせた。

最後というのも事実で、俺は明日生まれ育ったこの島を出る事になっている。高校を卒業して、東京の大学に通うのだ。勿論アパートを借りての一人住まいで、きっとめくるめくきらびやかな新生活が待ち受けているに違いない。大体みんなそんな事を言うけれど、俺としては割とそうでも無かった。
ただこの島においては高校までしか進学という道筋と施設は存在せず、大学以降は必然的に島から出なければならない。かと言って家業を継ぐ以外には就職するにしても必然的に島を後にしなければならず、シズちゃんみたく守るべき店も何も無い俺には最初から選択権などは無かった。その後何をするにしろ、島を出ること、それだけは最初からできていた綺麗な道筋だった。


「お前の、」

「…なに?」

「セーラーの夏服から出てる腕が好きだった」

「………………」

「なんだよ」

「…シズちゃん変態臭い」

って言うかもうそれおっさんのセリフだよ、おっさん。棘のある口調で言い放ってはみたが、それでも俺の見つめる先もシズちゃんの見つめる先も同じ星空だ。


「うるせーな、好きだったんだよ。文句あんのか」


それでも彼は悪びれずそんな事を言う。昔からそれは何ら変わりない事だった。文句なんて大ありに決まっている。
基本的にシズちゃんは真っ直ぐで思った事は全部口にするから、わかりやすいと言えばそうだった。幼馴染だった俺とシズちゃんは昔から此処に頻繁に来ては、夜遅くまで星を眺めては帰りが遅くなり両親に怒られていた。それでもここは昔からずっと俺とシズちゃん二人だけの秘密の場所だ。今も変わらず大切なままだった。

シズちゃんが見つけて、ここを俺に教えてくれた。誰にも言うなよ、差し出された小指に自らの小指を絡めて、ぎゅっと握りしめた力加減はいつまで経っても忘れられそうにない。


夏が好きだった。

春も秋も冬も別に嫌いじゃなかったけれど、それでも夏が一番好きだった。彼の作るやたらとその味が濃いめのカルピスを飲まないといつしか落ち着かなくなり、言っては何だがあの店でのカルピス常連者の俺は最早ボトルキープの状態でひとり、その原液を消費し続けていた。
別にコーラだってサイダーだってオレンジジュースだって何だってメニューにはあったけれど、炭酸はお腹がいっぱいになるから余り好きじゃない。オレンジジュースは好きだけれど、ただ注がれるそれよりも何よりも俺はシズちゃんがひと手間掛けて作ってくれるカルピスが好きだった。

マドラーでからからとグラスを混ぜて氷が鳴る音、昼間は常連客しか居ない喫茶店のカウンターの特等席に居座り、時間も忘れておしゃべりを繰り返してはいた。汗をかいたグラス、天井でくるくる回る空調、俺が座る前に置かれたコルクボードの前に並べた貝ときらきらした石は、俺が学校帰りに浜辺で拾っては勝手に置いたものだった。それをいつしかシズちゃんが布製のコースターの上にそっと丁寧に飾ってくれた。正直言い様によってはただのゴミだから、別に邪魔だって捨ててくれても構わなかったのに。

俺は夏とシズちゃんのカルピスが何だかんだ言って好きで、でもそれよりもずっとシズちゃんの事が好きだったのにどうしてもそれが一度だって口に出して言う事が出来なかった。
傍に居るのがずっと当たり前な気がしていたから、どうしてか離れる事なんて思いつきもしなかった。いつまでも俺は学校帰りに店に寄って、今日あった事をシズちゃんに一通り話して、夜のためにグラスを磨くシズちゃんが適当な相槌を打ってくれる日常がずっと続いて行くとそう、思っていたのに。

なのにどうしてか俺は明日海を渡って行きたくもない都会に行かなければならなくて、そこにはこの真っ青な海もシズちゃんのお店も存在しない。そんな所で生きて行く自分が思い浮かばなくて、それでも星空はいつもと変わらず綺麗なままで、何だかそれらが全部夢みたいだとすら思うのに。

さよならが近い。いつもは癒されるだけだった波の音が悲しい。春先の夜の風は、年中気温が高めのこの島でも流石に冷たくて、ああなんか、悲しいな。なんだろ、これ。


「………行きたくないな」


自然と口を突いて出た言葉に、シズちゃんからの返事や相槌は無かった。ざん、と打ち寄せる波の音だけが何度も何度も頭の中でリピートしては消えて行く。ちゃんと明日からもこの音を思い出せるようにしないと、ああ携帯で動画とか撮ればいいのかな、ついでにシズちゃんも撮って、そう、ちゃんと少しでも、この島から俺が離れて行ってしまわないように。


「明日も、あさっても、シズちゃんのお店行けない」

「スタなんとかがあるんだろ。だったら別にいいじゃねーか」

「…スタバにはシズちゃんの作るカルピス置いてないじゃん」


声が震えて、次第に星達がじんわりと滲んで見えなくなってくる。輝きが一度だけ増して、その後はただぼやけるばかりでよくわからない。けれど瞳からぽろりと水が頬を伝ったら、またクリアになった視界に星がきらびやかに輝いてその姿を見せた。


「カルピスくらいあっちには腐るほど売ってるじゃねぇか」

「っ、作り物と味、違うじゃん…」

「その内慣れんだろ。あっちは天下の既成品だぞ」


慣れる、という言葉が耳に飛び込んで来た瞬間、更にまた言葉は喉に痞えてしまって上手く口にすることができなくなってしまった。
慣れたら、もし俺がそれに慣れたら、きっとシズちゃんだって俺の居ない生活に慣れてしまうんだろう。俺が居ないこの景色に慣れて、俺が居ないことが当たり前になって、そうやって、ひとつひとつ忘れてしまうんだろうか。そしてやがてそれが当たり前になってしまうんだろうか。

好きだと言う事はできなかった。当たり前がこんなにも簡単に揺らぐものとは知らず、少しでも怖いことを試す勇気が無かったとしか言いようがない。傍に居過ぎて、何かひとつでも口にしたそれで、だめになってしまうのが怖かった。
さみしいだとか、悲しいだとかそういう事がどうしても言えないのは、所詮出て行ってしまうのは自分の方だからだ。置いて行くだなんて大層な事は言わないが、それにしたって余りにも一方的な言葉を口にする事はとてもじゃないができやしない。


「…一年に一回くらいは帰って来いよ」


じゃねぇと星が寂しがるだろ、相変わらずのわけのわからない事を呟いて、泣きやまない俺を撫でるでもなくそっと伸びて来た手が俺の小指に触れて、そのままそっとシズちゃんの小指と絡められる。きゅっと握り込まれた指先がほんの少し暖かくて、俺からも軽く力を込めて繋ぎ返す。

幼い頃に交わした約束を、やぶらないでなんて子供染みた事は言えないし、だからと言ってこの指を振り解いて全てを忘れることは俺には到底できやしない。
五つ年上の彼は何処か子ども染みていて、甘いものが好きで、ちょっと頭が弱くて、身長ばっかり高くなって、そのくせいつも俺のことを子ども扱いする。これもその一環だと思うと何だかなぁと思わないでも無かったけれど、それでも、いつか自分じゃない誰かがこうやってこの場所でシズちゃんと星空を眺めるんじゃないかって、ねぇ、有り得ないって、聞けもしないのにそう言って欲しくてどうしようもなくて。

繋がる小指と小指は余りに頼りない。それでもこれを離して、俺は彼から離れて行かなければいけない。それは人生においてひとつの通過点と言ってしまえばそれまでだったけれど、どうしてか俺は今日この星空を見納めてそのまま世界が終ってしまうような気分だった。

きらきら、きらきら、星がかがやく。寂しいとか好きだったよとかそんな事を言えない代わりに、星を見つめてただ願った。彼がどうかわたし以外とここに来ませんように。

誰か好きな人ができてしまっても、ここが守られていれば何とかなるような気がしていた。それはただの我儘で独占欲であとは本当に何も無くて、だから俺は結局彼の前で子どもでしかいられなかったんだろう。






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ワンルームのアパートは学生一人が暮らすにはやや広めで、家具は全て白と赤で統一した。夢の一人暮らしだ、今までは全くしなかった料理にもチャレンジしようと、どこかお洒落な雰囲気を醸し出した大して読みもしない料理本を本屋で何冊か買った。それでも未だにキッチンを使ったのはほんの一、二回で、ここに住み始めてから一週間と数日が経っていた。

ソファの前の床に座り込んで、グラスにマドラーを突っ込んでからからと混ぜる。いつも彼が俺にそうしてくれたようにカルピスの原液と水と氷を入れて、それらを融合して行く。からから、からん。やがて完成したそれからマドラーを抜いて、傍らに置く。島を出る時にシズちゃんが「これで自分で作れ」と言って渡してくれたものだ。

一口飲んでみたけれど、やっぱりそれはシズちゃんが作ってくれたものとは全く違う味がした。薄いのかな、そう思って傍らに置いた紙パックでできた原液を手に取ってグラスの中に注ぎ込む。とくとくと音を立てたそれをもう一度マドラーで掻き混ぜる。


「………美味しくない」


誰も聞いてはいない言葉を一人呟いて、とくとく、また原液を注いではみたけれど、やっぱりどうやっても彼の作ったカルピスの味には近付くようで近付かない。どうしてだろう、確かシズちゃんもこの液使ってたはずなのにな。

とくとく、とくとく、注ぎ過ぎてしまったカルピスは当然の如くどんどん濃くなるばかりで、シズちゃんの作ってくれたものとは到底かけ離れた濃さになってしまった。もう飲めない、今度は水を足さないと。

からんとグラスの中で氷が揺れる。わかっていた、本当は彼が作るから特別で、あの席で飲むからあの味だったのだ。幾ら同じマドラーを使ったからって同じものになる筈ないなんて事は、多分ずっと心の何処かで誰よりも一番俺が理解していた。
味が濃いカルピスだって、席に着いていつも一口飲んだあとおしゃべりだと言われる俺が延々話を繰り返し、すっかり氷が溶け切った頃にそれを時間を掛けて飲み干すから、その為にわざとちょうどよくなるようにシズちゃんが原液との配分を考えて作ってくれていたってこと。勘違いじゃなければ、だけど。

開いた窓から風が差し込んでカーテンが揺れる。頬を掠める風からも、潮の香りはしない。何もかもが違っていた。変われないのは唯一、俺だけだと言い聞かせるように風が吹き込んでは長い髪を揺らす。

涙を流しては悲しむばかりだ。彼が居ない、ただそれだけの事で結果何をしてもかなしいのに、どうして笑って過ごせるというのだろう。ねぇ、これから俺どうやってシズちゃんの居ない世界で生きてけばいいのかな。


都会には海も無い、シズちゃんのお店も無い、島と同じようにあるのは俺とこのマドラーとカルピスの原液だけで、それを照らしてくれるサテライト・シャンデリアは、もうどこにもいない。







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