08 | ナノ




がちゃり、深夜に響いたインターフォンに首を傾げつつも向かった先の玄関のドアを開く。

弟からの定期的な宅配便かと、そんな可能性もちらりと頭の端を過るが、時間が時間だけにそれは考え難い。どう考えても配達に適した時間帯では無かったからだ。じゃあ何だと思ったが、そう滅多に鳴る事が無いインターフォンの音を無視する事もできず、ひとまず俺は玄関に向かいドアを開けた。そして直ぐにそんな自分の軽率な行動を後悔する羽目となるのだった。


「はーい、シズちゃん元気―?」


何故か開いたドアの向こう側には、やたらと上機嫌そうに笑みを浮かべた折原臨也が立っていた。思わずそのまま勢いよくドアを閉めてやりたい衝動に駆られたが、その細い体はそれより先にするりとドアの隙間をすり抜けて勝手に玄関へと入り込んで来る。

「…何やってんだ、つーかどうやってマンション入った」

「ふふ、知りたい?」

「別に知りたくねーよ。不法侵入で訴えんぞ」

「じゃーん!さぁてこれは何でしょう?」

一言で言うならくそうざいの一言に尽きる、いっそひと思いに叩いてやりたくなるような言動を以てして折原臨也が俺の目の前に差し出したものは、当の本人が見間違えるわけもない俺の部屋の鍵だった。確かにこれなら、エントランスのセキュリティを解除してここまで辿り着く事は可能である。

「…っ、手前が何でそんなもん持ってんだよ!」

「ええ、覚えてないの?こないだシズちゃん送ってきてあげたじゃん。その時そのままポケットに突っ込んで忘れて持って帰っちゃった」

ごめーん、間延びした声はとてもじゃないが、微塵たりとも謝罪の意味が込められているようには見えない。取り敢えず鍵を奪い返そうと手を伸ばした瞬間、ひょいとそれはいつかのように背後に回され隠される。にい、とその口は弧を描き、そのまま笑いながら俺を見上げて来た。

「泊めて。終電終わっちゃった」

「……………はぁ?」

「いやあ、この近くで飲んでたんだけどさぁ。ふらふら歩いてたらちょうどシズちゃんのマンションあるし俺鍵持ってるし帰るのめんどくさいしなんかついでにもう泊めて貰おうかなーって」

「…今面倒臭ぇっつったろ、ああ?帰れ、今すぐ出てけ」

「気のせい気のせい、ほらコンビニでお酒も買って来たから飲み直そう。よしそうしよう、という訳でおじゃましまーす」

飲み直すのは手前だけだろっつーかコンビニ行く前に帰れよ、どう考えてもそっちのが余計に面倒臭ぇだろ、しかしそんな事を突っ込む前に、折原臨也は図々しくも勝手に靴を脱いでずかずかと部屋の中に上がり込んで行ってしまった。俺はと言うと、そんな様子をただしかめっ面で睨み付けていただけだ。いつもと何ら変わりないそのマシンガントークは、俺の言葉の入る余地など一切与えはしない。普段は俺が一方的に黙っているからまだ問題は無いが、ここまで来るといっそ呆れるばかりだった。
ちっと軽く舌打ちをして酔っ払いの靴を軽く揃え、後を追い掛けてリビングに佇む影の襟首をぐいと掴む。

「おい、電車ねぇならタクシーで帰れ。誰も泊めるだなんて一言も言ってねーだろうが」

リビングの真ん中に敷かれたラグの端っこで突っ立っていた首はこちらを振り返り、ふにゃりと笑って見せた。何がそんなに楽しいんだふざけんな酔っ払いめ。そんな言いたい事は大概言葉にならずその顔を睨み付けていたら、するりとまたしても腕からあっさりと逃れられてしまう。猫かこいつ、何とも器用なことだ。その様子を見つめ何処となく痛む頭に溜息を零しながら、勝手にキッチンカウンターへと向かう後姿をまた追った。

「おい、鍵出せ」

「シズちゃんが泊めてくれたら明日の朝返したげるよ」

「…信用できねぇ、今すぐ出せ」

「お互い様でしょ?鍵渡した瞬間俺の事そこの窓辺りから放り投げそうじゃん」

肩を竦めそんな事を言いながら、折原臨也はまるで自らの家でそうするように手際よくグラスや氷なんかを準備し出した。手前何様だ、頭痛は酷くなるばかりだ。正直怒鳴る気もどこかに消え失せ掛けている、何なんだこいつ。

「ふふ、でもシズちゃんは俺相手にそんな事できないかなぁ」

「ああ?何がだコラ」

「だって俺の事大好きだもんねぇ?」

くすくすといつも通りからかうように笑って、折原臨也は再度リビングの中央へと戻って行った。その呼び方止めろ、やっぱり言おうとした言葉は飲み込む所か逆に突きつけられた言葉にその存在自体が消えて無くなってしまう。
ぎゅうと握り締めた拳で、苛立ちにも似たいつもの曖昧な感情を持て余してはいる。あいつと顔を合わせれば大体はこうだ、その度に堪えて、何度も何度も唱えては言い聞かせる。抑えろ、抑えろ。


「……くそうぜぇ」






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「でさぁ、この横顔のラインが最高に芸術だと思わない?これはもう我ながらよく撮れたって言うか」

ぺらぺらぺらぺら、面白いようにその口は回る。一体何処で息継ぎをしているのかだとかそういった純粋な疑問が頭を過らないでもなかったが、そんな普通の会話のネタを自ら提供するような真似は自殺行為だ。間違いなくこの馬鹿は調子に乗って更に喋り出すに違いない。

勝手に一人リビングで買ってきた酒を並べて酒盛りを始め、追い出す気力もすっかり失せたのでいっそ何もかもを見なかった事にして寝室に引き籠ろうとした所で、案の定捕まった。無理矢理隣に座らされ、持たされたグラスをこれまた勝手にかちんと合わせ「かんぱーい」と馬鹿は一人陽気な声を上げた。
酒にはそう強くない。受け取ったグラスには口を付けず、横で一人延々と喋り続ける酔っ払いの相手をし出して早小一時間、今に至る。

やがて馬鹿は何処から取り出したのか俺の写真を大量にその床上に並べてはそこに寝そべり、あろう事か事細かに一枚一枚についてわけのわからない事を語り出した。勿論その片手にちゃっかりアルコールを携えて。

「ねぇねぇ、シズちゃんはこの中だったらどれが一番好き?」

「…自分しか映ってねぇのに好きもクソもねぇだろ」

「人の作品に対してその感想?まぁ、俺も自分の写真にはとことん興味無かったけどさぁ」

「だったら聞くんじゃねーよ」

今日もつれないねぇ、言いつつぺらり、またその手に一枚の写真を取っては眺める。はっきり言ってしまえばそれは酷くおかしな、尚且つ有り得ない光景だった。
いつもは一人で過ごす部屋に居るのは俺と、あの折原臨也だ。有り得ないと思いつつ、むかつく事に目の前の存在を気付けば視線が勝手に追ってしまう。それに気づいて自己嫌悪、正直先程からそんな事ばかり繰り返していた。頭では止めろと何度も言い聞かせてはいるのに、身体は上手く言う事を聞いてくれない。

いつもカメラを挟んで、それが俺と折原臨也の距離を縮めては離す。距離はあってないようなものだ。間近でこうして見入る事は早々無い。片方の前髪が長めのアシンメトリーのヘアスタイルは、俺があの頃雑誌の中に見ていた時と何ら変わらないままだった。

「…なに?」

ふと視線が重なり、何処か含みのある静かな声で折原臨也が俺に問い掛ける。慌てて視線を逸らすと、相変わらずその口元に笑みを浮かべたままそっと寝そべっていた身体を起こす。

「お酒飲まないの?」

「…あんま好きじゃねぇんだよ」

「ははっ、だよねぇ。牛乳好きって言うくらいだからもしかしてそうなんじゃないかとは思ったけどさぁ」

傍らにあったビニール袋を伸ばした手で引き寄せ、その中をがさがさと漁る様子をぼんやりと見つめる。こいつ酔ってると倍増しでうぜぇな、そんな事を考えていたらくるり、背中が突然振り返りまたぎょっとするが、「はい」差し出されたそれを受け取る事により、それは何とか上手く誤魔化すことに成功した。

「………何だこれ」

「酒の席は付き合いってもんがあんの、これ甘いやつだからシズちゃんでも飲めるよ」

きらびやかな文字が彩る缶は、何処となく女性向けの匂いを漂わせていて少し複雑な気分にさせた。それでもこれだって酒は酒だ。以前こいつに借りみたいなものを作ってしまった事や、数々の過去の事例からして酒はそういう意味合いでも余り好きにはなれない。

「いらねぇ」

第一手前に付き合う義理はねぇ、言いつつ缶を返すと、それを受け取った折原臨也は暫くじっと手元に視線を落とす。後にプルタブに細長い指を掛け、その封を切った。両手の人差し指に嵌めれられたシルバーのリングも、前髪と同じで何も変わらないままだ。その事実が余計に今ここに居る折原臨也という存在をじわじわと確実なものにして行く。そんな要素が複雑さとして絡み合って、俺の中でまた更に複雑なものになるばかりだった。

ぐいと缶を煽り、その中身を飲む様子を横目で見つめつつ、こいつどんだけ飲む気だ。思いつつも口に出すこと無くまた溜息をついた所で、ずい、身を乗り出してきた折原臨也とまた視線がぶつかる。今度は結構な至近距離だった。相も変わらず笑いながら、それでも俺の顔を覗き込むなり、にいとその笑みが更に強くなる。


(あ、今の顔)


それはたぶん、俺がずっと写真の中で見て来た折原臨也の特徴のひとつでもある「笑顔」に今までで一番近かったような気がした。しかしそんな感動みたいなものに浸る暇も無く、着ていたシャツの襟もとを鷲掴みにされたかと思うとそのままぐいと強引に引き寄せられる。次に気付いた瞬間にはぐっと深く口付けられ、膝立ちになった折原臨也の咥内からとくりと口伝いに甘い液体が注がれるのがわかった。

こくりとそれを飲み干した所で、唇が離れる。ぺろりと自らの唇を舐め取った折原臨也が、茫然としている俺の様子に満足したようにくすりと笑んだ。ああ、うん、この顔も近い。


「どう?美味しい?」


カシスオレンジ。僅かに首を傾げ問い掛けられた言葉が余りにも見当違いで、俺はと言うとやはり言葉を失ったままだった。なのにこいつときたら「ねぇ美味しいのどうなの」と更にその質問を問い詰めては来るものだから、わからなかったと正直に答えたら(これは驚きの意味合いも含めて事実でしかない)「そう」短く答えてまたその缶の中身を口に含んで再度それを口づけることにより、俺の咥内へと流し込む。

触れる唇の感触すらも、アルコールでふわつく思考の中ではいまいちリアルにならない。ちゅ、と唇を吸われていつの間にか俺の髪に伸びた指先がそこをそっと撫でる。何なんだ、なんなんだよ、これ。

だから酒はろくな事がねぇから嫌いなんだ、心の中で吐き捨てた言葉は塞がれた唇で紡ぐ事は到底叶わず、そこは解放されるまでずっとくっついたままだった。





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