06 | ナノ






折原臨也は、そこに立つだけで全てだった。



あいつを言葉で表現するためには、俺の脳内で覚えた数々の単語ばかりでは遠く及ばない。敢えて言うなら、一目見たら視線が、まさしく奪われてしまったかのように釘付けになる。開かれた雑誌のただのカラーページがまるでひとつの世界だとでもあるかのように、思考を呆気なくそちら側へと引っ張って行ってしまう。大袈裟だとかそういう事を思うかも知れないが、言わばそれ位に人を惹き付けるオーラみたいなものが折原臨也にはあった。

元々弟が芸能界で働いていて、時折雑誌に載ったりするものだから、たまたま立ち寄った本屋で言われたタイトルのものを手に取り記事を探した。ぱらぱらと目的のページを探す中で、ふとモノトーン一色のページで目が留まる。そこに折原臨也は居た。

それからは無我夢中で、手当たり次第に折原臨也が載っている雑誌をチェックしては買い集めた。後々今人気で話題だとかいう事を知って、ばかみたいな量の雑誌のタワーが部屋の片隅にそびえ立つ事となる。直にそれらは鋏で切りぬいては、別にスクラップするでも何でも無く、ただ俺の手元に次々と増え行くばかりだった。

しゃくしゃくと音を立てその存在をそこから切り抜く度、何がどうなるわけでもないのに何処か俺は満足感を感じていた。
やっている事自体は傍から見れば一ファンのそれではあったが、だからと言ってファンなのかと問われれば素直にそれに頷けるかどうかは怪しい所だ。たぶん、そういうわかりやすい感情とは何処かが違っている自覚はあった。

勿論弟のものも丁寧に集めてはいたが、あいつは家族だ。だから色んな意味で向ける感情は全く違う。
丁度その頃にその弟にモデルの仕事を勧められて、当然の如く愛想が皆無の俺はそれを断った。けれど頑なに弟が諦める事をしないものだから、どうしてか問い掛けると会えるかも知れないよ、そうぼそりと呟かれてしまう。
そしてそんなばかみたいな話を信じ込んだ俺は、会いたいのかどうなのかも気持ちとして曖昧なままその世界に飛び込んでしまった。たぶん、今思えば俺も色々馬鹿だったのだ。



けれど、そこに折原臨也はどこにも居なかった。

耐え忍びつつ続けてきた、向いていないと自負すべきこの仕事を投げ出したくなるというよりは、「辞めたよ」の言葉を聞いた俺の心境はどちらかと言えば無気力に近かった。
それでも仕事は続くし、一人でカメラの前に立つのはいつだって孤独で、見渡せば俺を一方的に見つめる人間ばかりがそこに並ぶ。だけどそいつはやっぱりどこにも居なかった。

そのまま日々はただ流れて、そこそこ仕事や立ち位置が安定してきた頃、折原臨也は突然そちらの方からその姿を見せた。あろうことか俺の方へと出向いて来たのだ。


「今日撮影担当する折原です、よろしく」


シニカルに笑い名刺を手渡してきたのは、確かに俺が以前雑誌からその姿を切り抜いてはいた人物と同じ顔だった。間違いなくそれは折原臨也で、俺が今ここにこうして存在する羽目なった張本人に間違いない。散々薄っぺらい紙の上でしか見つめることができなかった存在が、その瞳に俺を映してそこに居る。

本来なら感動的なワンシーンであっただろうが、どうしてもおかしな所がひとつだけあってそれが引っ掛かり、俺の口からは上手く言葉が出て来ない。いま、何つった?こいつ。


「あ、もしかして若くて驚いてる?大丈夫、これでも一応仕事はそれなりにできるからさ」


そこに書いてあるでしょ、無駄な程明るい口調で名刺を指されてそれに視線を落とす。折原臨也、間違いない。間違いなく今俺の目の前に居るのは、俺が探していた折原臨也だ。

撮影?お前が?俺を?そんな事が頭の端を過るが、上手くそれらの情報を処理することが出来ない。じっと見つめる白い紙に印刷された折原臨也の文字が、濃く浮かんでは頭の奥で溶ける。
感動みたいなものもあったかも知れない。けれど、実際に会えた所でどうしたいだとかそういう類の事を一切考えていなかった俺の脳内は、ただどうして、という単語ばかりで埋め尽くされてしまった。情報が、ああほら、容量オーバーだ。



「…気に入らねぇ」


幻滅でも落胆でも絶望でも、表現するための言葉は似たような意味では色々とあった。けれどどうしてもしっくりと当て嵌るものは見付からない。びり、とふたつに裂いた名刺をポケットに突っ込んで、取り敢えず俺はその場から逃げる事を選んだ。







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モデルになった理由の全てであった目的の人物に会えた事で、俺は激しくこの仕事を選んだことを、結果的に後悔する羽目になったと言わざるを得ない。向いてないのだ、元から他人の言いなりになったりだとか楽しくもないのに笑ったりだとか、自己を主張したいだとかそういった意識が強い訳でも何でも無い。
だけど確かに一度は間違いなくそいつだけを見据えて、たとえどんな嫌な事やムカつく事があろうとぐっと堪えて続けて来ていたというのに。どうして。


「いーねぇ、今日の視線も実に挑戦的だ」




なんでおまえ、そんなとこに居やがんだよ。




うるせぇ、言いたい事を端折って取り敢えずそれだけを口にする。出会ってからは馬鹿みたいに一緒にいる時間は増えた。なのにそれをポジティブに解釈して前向きに捉えることだけがどうしてもできない、それがどうしてなのかすらも判らないままだ。自分で自分がよくわからない、だから結局何もできず嫌いでいるフリを続けるだけしかできない。

「ねぇ、一番好きな飲み物なに?」

カメラを覗き込んだ細い影が突拍子も無い質問を投げ掛けるのに、きっとまた表情は自然と歪んだに違いない。そこから顔を上げた折原臨也が俺の顔を見るなり、その口元をふっと緩めて笑んだからだ。

「今撮ってる事と何の関係があるんだよ」

「んー?そうだね、興味湧いたからかな」

「…くそうぜぇ」

静かに呟くと、更に口元の笑みは色濃くなった。どう考えても俺の反応をただ面白がっているだけの様子に、やっぱり俺の中のもやもやしたものは燻るばかりで。

「いいじゃん、別に教えてくれたって。コーヒー?それとも水?あ、コーラとか?」

「…………牛乳」

「ははっ!牛乳!」

その発想は無かったなぁ、ああでもカルシウムを積極的に接種しようっていうその姿勢は素晴らしいよ。上機嫌に笑うばかりの様子に俺の苛立ちは強くなるばかりだった。堪えろ、抑えろ。

「ああそうだ、ね、俺の名前呼んでみてよ」

「…はぁ?何でだよ。断る」

「なんで?あの日は何度も呼んでたらしいじゃん」

あの日、というのは俺には記憶が曖昧だった。けれど折原臨也が言いたいのはたぶん、俺が酒を口にして酔っぱらって部屋まで送り届けてくれたらしいというその日の事らしい。これは後々スタッフの誰だったかに聞いた話だが。

最初その事実を聞いた時はにわかに信じ難かったが、現に次に顔を合わせた時に、折原臨也は何よりの証拠をその手に俺の控室を訪れた。
部屋の収納の奥深くに仕舞ってあったはずのものを、そこに映る張本人が俺に向かって突き付ける。余りに驚いた結果、結局そこでも喚き散らすしかできなかったが故に、俺はこいつを嫌いでいるようにしている他無くなってしまった。

俺こと好きなの?その問い掛けばかりがあの日以来頭を過る。好き?俺が?誰を。そこで一通り俺がしてきた数々の行動を思い起こしては、考える。好きだったから知りたくてありったけのものを掻き集めて、好きだったのにそこには居なくてどうしようもなくなって、その張本人が俺に向かって「好きなの?」とかふざけた事聞いてくる訳か?



「………笑わせんな」

ぼそりと呟いた言葉はきっと折原臨也には届いていない。それで良かった、半分は自分に向けたものだったからだ。笑えるならまだ良かった、だからこうなる前に、とっととモデルなんか辞めちまえば良かった。

「なに?何か言った?」

「嫌だ、っつってんだよ」

「んー…じゃあ仕事だから呼んで。今更俺の名前知らないとかそんなボケ要らないからね」

臨也だよ臨也、いざや、わかる?業とらしく馬鹿にしたような言い方はやっぱり一々俺の苛立ちを煽る。けれどそれが故意だと判っている以上、反抗するばかりではこいつの思う壺だ。深く溜息を吐き出して真っ黒なカメラをじっと見据え、今度は小さく息を吸った。


「…いざや、」

「うん、もう一回」

「臨也」

「もう一回」

無機質なシャッター音の合間に響く投げやり気味な自分の声は、自らのそれにしては何処か遠いものに聞こえてならなかった。折原臨也、口に出した事が無かったわけじゃあない。けれどその存在は未だに俺の中で不確かでしかない。

「臨也」

「…ふふ、なぁに?シズちゃん」



だから、なんなんだよ、おまえ




がしゃん!セットから外れた数メートル先にあった脚立が勢いよく倒れる。正確に言うなら蹴ったのは俺で、だから倒したのも他でもない俺だった。
周りにいたスタッフは全員しんと静まり返りこちらを見る。そこで折原臨也も弾かれたようにカメラから顔を上げて俺を見た。


「…手前が呼べっつったんだろーが」

わけわかんねぇ事言ってんじゃねーよ、ふざけんな。怒鳴るまではいかないものの、口調はそれを含んだものである事に変わりはなかった。苛々する、何だこれ、何なんだよお前。


「あとくそうぜぇからそのシズちゃんっての、やめろ」

そのままばかみたいに静かなスタジオの扉に向かい、これまた派手な音を立てて閉めてそこを後にした。撮影はまだ途中だったが、それもこれもあの馬鹿の所為だ。責任は自ら取って何とかしろ、俺の知った事か。

ちっと舌打ちをすれば、またしんとした廊下にその音はやたらとでかく響き渡る。何からかは知れないが、逃げてばかりの自分にも多分、多少なりとも苛立っていた。




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