02 | ナノ





彼の意志と感情は明確だ。

彼は俺が嫌いで、それは何とも実に判り易かった。まぁ実際初対面の際に口でも面と向かって言われたワケだし?別に知らない人間に嫌われようと俺にとってはそう大した問題にはならない。だからと言って俺が彼を嫌いなのかと問われればそれは違っていた。
好きでもないし嫌いでもない、要するに今はまだそういう対象として捉えられるほど俺は彼のことを知らないし、その位置付けはきっぱりと言ってしまえばどうでも良かった。





「髪、こっちのがいい」

くしゃり。彼に歩み寄りその金髪に伸ばした手で分け目を変えるようにして、少し強引に指で梳いてやれば、予想通りの歪んだ表情が俺を睨み付けた。

「っせぇ、触んな」

首を左右に振り抵抗する彼の頭から手を離し、ふうとひとつ溜息を吐く。そう簡単に手懐けられるとは思っていないが、言う事を聞かせられる日が来るとは到底思えないほどの嫌われっぷりだ。いや、別にいいんだけど。
心でそんな事を呟いて、ヘアメイクの担当を呼び付けて指示を出す。小柄な若い女性がぱたぱたと長身の彼に歩み寄り、椅子に座らせ髪型を俺の与えた指示通りに変えて行く。俺が触れた時とは違って酷く大人しいその様子に感じるものは、最早苛立ちとかいうよりも呆れた気持ちの方が勝っていた。

小学生じゃあるまいし、幾ら嫌いだからって極端すぎやしないか。
優しくされたいなんて気持ちはこれっぽっちもないが、こうもあからさまだと逆に嫌われている理由が気になって来る。人間ってそういうものだろう、突き放されたら突き放されたで興味みたいなものは逆に増す。最もそれは彼自身がどうこうと言うよりは、彼の俺に対する嫌悪感に対してのみだったけれど。

いいや、別に俺写真撮れればあとは何でもいいし、寧ろどうでもいい。

カメラを指先でちょいちょいと弄ってはいたら、ヘアメイクから大丈夫です、合図が出る。顔を上げて視線の先に一人佇む彼は、俺好みの髪型に仕立て上げられていた。その満足感から思わず口元が緩み、小さく笑いながら口を開く。


「今日も俺のこと、だいっきらいな感じで宜しくね?」


得意でしょ、業とらしく皮肉めいた口調で言いつつファインダーを覗き込む。
不思議だ、俺の瞳なんて見えてもいない癖にその瞳はばかみたいに正確に俺の視線を捉える。カシャ、綺麗にシャッター音が響く。不思議だ、周りに人なんて山ほど居るというのに、一度カメラを覗き込んでしまえばここは俺と彼の二人だけの世界になってしまったようにすら感じてしまう。
そのくらい俺を見つめる彼の視線は鋭く色々な意味で真摯で、それでも何処か純粋だった。








たまには飲みたい夜だってある、しかしながらそんな言い訳を言う相手も特には居ないけれど。冷蔵庫にある程度の量が常にストックされている缶ビールを一本取り出してベランダで夜風に当たり、一人のんびりと何処かノスタルジーな夜を過ごしていた時だった。

不意に突然、リビングに置いてある携帯がけたたましい音を立てて鳴り始めその音は一向に止まない。折角の気分が台無しだ、そんな事を思いつつベランダから部屋に戻り、キッチンのカウンターの端に置いておいたちかちかと光る携帯を手にして電話を取った。

「もしもーし」

「臨也か?悪い、いますぐ来てくれ。つーか来い」

「名前も名乗れない人の言う事聞く筋合いはないよ、新手の詐欺ならお断りしまーす」

「名前画面に出てんだろーが、何が詐欺だよ」

「…ジョークが通じなくなったね。で、どうしたのドタチン」

「いいから今すぐ来てくれ、お前じゃねぇと駄目なんだとよ」

電話越しに告げられた台詞自体は情熱的そのものだったが、文法としては些か可笑しな部分があったように思えてならなかった。
要は「お前じゃないと駄目なんだ」ならば俺もそれなりにやだ急にどうしたの臨也こまっちゃう、くらいのノリの良さを発揮することは出来ただろう。

けれど問題はドタチンの吐いた何処か他人行儀な言い回しにあった。「駄目なんだとよ」と言う事は明らかに第三者がその話題の中に存在している事となる。

自慢じゃないが俺には友達と呼べる友達みたいな存在はそうそう何人も居ない。この言い方だと若干の誤解を招きかねないが、言わせて貰うならば作らない。余り慣れ合うような関係は好まなかったし、一人の時間を何より欲していた。
だからこそ今ドタチンの言った「なんだとよ」に当てはまる対象が俺の中には存在しない。彼が「なんだよ」と言うならまだしも、いやそれはそれでまた違った問題が生じるのかも知れないが。

仕事柄常に自分の周りにはどうしても人が付き纏う。カメラを介するものの、扱う物も人ばかりだ。それが一番の原因だと言ってもいいくらいで、その位には一人の時間を自分なりに大事にしていた。なので断じて友達が居ないだとか少ないだとか聞こえの悪い言い方は避けて貰いたい所である。

ドタチンは仕事仲間だから、友人と言うにはまた少し意味合いが違う。彼は撮影現場での照明なんかを担当していて、撮影で仕事が重なる度に少しずつ会話を交わすようになった。

その仕事振りは酷く有能で、多分俺のやりたい事をある程度と言うか大分把握しては行動してくれる所が好きだった。正直な所彼以外だと上手く行かず苛立つ事もしばしば、いや結構あったりする。それなりに気には入っていて、だからまぁこうして携帯の番号なんかも交換しちゃってるわけなんだけれど。
敢えて言うなら、友達が居ない俺からしてみたらどういうものが友達なのか自体が理解し難いものな訳で、ああもしかしたらこういうの友達って言うのか。けれどやはりそこら辺はよくはわからないままだ。

「何が駄目なの、って言うか俺忙しいんだよね。折角のビールがぬるくなっちゃう」

「どうせ一人で飲んでんだろうが。良いから来い、じゃねぇと静雄が帰らねぇって…」

「……………はぁ?」

俺が挑発的な相槌を打ったのは一人で飲んでいる事をどうせ、と指された事にではなく、後にドタチンが告げた名前の方に原因があった。
静雄?だって?今俺の耳が大変な聞き間違いを犯していない限り、間違いなく薄っぺらい携帯の向こうからはそんな名前が告げられた。
けれどその単語自体を俺がすんなり名前と把握できてしまう辺りも少なからず問題で、はっきり言ってもう駄目だった。いやでも出来る事なら聞き間違いであってほしいと、多分心の端ではそんな事を考えた筈で。

「…平和島静雄がどうかしたの」

出来るだけ無駄なく要点のみに絞って聞き返すと、ドタチンは何も答えなかった。と言うより後ろからわあわあと多人数の声が聞こえてそれを制しているような彼の声も向こうから響いてくる。だから答えられなかったと言う方が正しいの、兎に角まぁ、多分なんかものすごく面倒臭い雰囲気しか漂って来ないのは俺の気の所為では無い筈だ。

「今日撮影の後の打ち上げ、お前来なかっだろ」

「ああ、うん。元々そういうのあんまり好きじゃないっていうの知ってるでしょ。って言うか嫌い」

「…あー…まぁいいわ、それを責めてんじゃねぇよ。つーか責めてんのは俺じゃねぇっつーか…」

「……はぁ。ごめんさっきからドタチンが何言ってんのか全く意味わかんない」

与えられる情報は断片的なものばかりで、それらを頭の中で並べてみても今電話の向こうがどのような状況になっていて、そして尚且つ俺がわざわざ呼び出されなければならない状況に当て嵌まるのかは一向に不明確なままだった。
正直わかりやすく面倒事としか感じないだけに、本質を知りたくないという思考の方が大きかっただけかも知れない。が、それにしたって意味がわからない。しかし会話というのはこんなにも難しいものだっただろうか。

「静雄がお前を呼べって延々言ってんだよ。来ないと帰らねーとか駄々捏ねやがってどうしようもねぇから、とにかく来い。いいな?」

プツン、呆気なくその言葉に返事をする間も無く通話は余りに一方的に遮断されてしまった。これはもしかして酷いとか、そんな言葉で俺が怒ったっていい場面だろうか。正直そんなことを冷静に考えてしまえる程に、全ての状況は把握できず呼び出された事自体が最早どこか他人行儀だった。

撮影の打ち上げをキャンセルしたのは事実だ。けれどそれだってはっきり言ってしまえばいつもの日常と言っていい程俺にとってはお決まりのパターンに過ぎない。
行きたくないな、でも行かなかったらドタチン怒るんだろうなぁ、いやきっと本気で怒りはしないんだろうけれど。
他人の撮影補助が気に入らない時に散々呼びつけて彼と取り替えてはいた貸しを、そろそろ返せと何処かの誰かが諭しているのだろうか。ああだからと言ってあんな一歩的に自らを嫌い嫌い罵るだけの相手が絡んでいる面倒事に自ら飛び込んで行くのか。うわ、考えただけで面倒臭い。

「……最悪」

つーか来いって言われても、俺打ち上げ断ったから場所もよく知らないんだけど。
取り敢えずその旨を返って来るかは知らないがメールに打ち込み手早く送信する。そのままぱちんと電話を閉じて、上着を羽織りポケットに鍵や財布や携帯を乱雑に突っ込む。機嫌はいつになく悪かった。折角の一人の時間を邪魔しやがって。それでもその怒りのぶつけ所も見当たらず、憂鬱さも億劫さも拭えないまま俺はマンションの自分の部屋を後にした。




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -