やまのて | ナノ






かたん、かたんかたん


不規則に鳴り続ける単調な音が右から左へと流れる。最終が近い電車はこれでもかと言うほどに人で満ち溢れ、混んでいた。

ぎゅうぎゅうに押し込まれた車内では身動きひとつ取れず、熱気に満ちて息が苦しい。横にも人、後ろにも人、更に言うなら前にも人で身体は隙間無く他人と密着していて正直何とも言い難い不快な状況だった。

それでもまぁ自分もそこそこに身長はあるので、呼吸はまだ随分とマシな方だ。
ふと、目の前の自分よりも更に一際高い長身の黒い背中を見つめ、とすんと体重を預け寄り掛かる。おお、これいいかも。余りいい位置に掴むものが無い俺の立ち位置からしたら、人と密着こそしているものの、車内のど真ん中で流石にバランスは取りにくい。揺れれば身体は重力に倣って身体は揺れる。だからと言って無茶をして吊皮を掴むような真似をするのも何だかなぁという所なのだ。

「おいひっつくな、暑苦しい」

そして人が必死にバランスを取ろうと至難している所にこれだ。本当にこの男はどこまでも空気が読めなくて困る。そりゃ自分は馬鹿みたくでかいから吊皮はおろかその上のバーを掴むことだって実に容易いだろうけれど、それと平均やや上の俺とを一緒にして貰っては困るのだ。

「無茶言わないでよ、俺のとこ掴まるとこ何もないんだから」

「じゃあそのまま倒れていっそ踏まれろ」

「やだよ。俺そんな趣味ない」

妙な体制のまま淡々と交わす会話に、寄りかかったシズちゃんからちっと舌打ちが聞こえた。ついでに腰の辺りの服を握り締めて、そのままこてんと肩に頭を乗せると不安定だった身体は大分安定する。やはり人に密着している不快感はどうしても否めないが。

「あー…最悪、やっぱりタクシーで帰れば良かった」

「なら今直ぐここで降りろ。そのまま轢かれて死ね」

「我儘だなぁ、せめてどっちかにしなよ」

欲張るのは良くないよ、適当に返事を返して何となく目を閉じた。あ、だめだだめだこれ、ちょっと気持ちよくて寝そうになる。ふわりと香る煙草の香りとやたらに暖かいシズちゃんの背中の枕は、これでもかと言うほど俺の頭の奥のどこかの神経を刺激してはやわやわとそこを擽ってくる。

落ち着くとかそういう風には認めたくないので、あくまでシズちゃんのお子様的な体温が悪い所為にしようと結論付けておくことにした。かたんかたん、電車は揺れる、かたんかたん。
何となく割と細いその腰にそっと腕を回してみたら、シズちゃんは分かりやすくそれはもうとてつもなく嫌そうな声で「何しやがる」と吐き捨てた。それでも俺は動じずに、腰に回した腕でぎゅうと腰を抱き締めるようにそこをがっちりと掴まえる。
そこそこ背のある同性同士が密着していようと、それは満員ということもありそんな様子を気にするような輩は今は多分居ない。寧ろ離れることが困難な状況なのだから致し方ないと言った方が正しいのかも知れないが。

「だって狭いんだから仕方ないじゃん」

「んな事する必要は何処にもねぇだろ、離せ、そして倒れろ。そしたら思う存分俺が踏んでやる」

「残念ながら俺にそういう趣味はないかなぁ」

「俺にもねぇよ、手前にだけだ」

「わぁ!なになに愛の告白?やだなぁこんな公衆の面前でシズちゃんってばだいたーん」

「死ねよ」

手前なんざ踏む価値もねぇ、低く小さくそう呟いてシズちゃんは分かりやすく苛々したような表情を浮かべた。それでも狭い車内が幸いしていつもの暴力を振るう気は今のところ無いらしい。好きになる要素が皆無な筈の満員電車にも、ほんの少しだけ利用価値はあったようだ。

相変わらずかたんかたんと音を立て揺れる電車は、池袋を出てからもうどのくらい経ったろうか。一駅、二駅は通り過ぎただろうか、もうよく覚えていない。人が降りてもまた人が乗り込んで来て、車内の人口密度は然程変わりなかった。
不意に次は新宿、新宿と繰り返しアナウンスが響き渡る。ああ、やがて数分もすれば俺の街だ。

別に感傷的になっているつもりはない、電車で帰ったのだってただの気紛れだ。乗る前にシズちゃんを無理矢理連れ込んだことも何もかも、今日はそういう気分だったとしか言いようがない。シズちゃんがいつもより大分大人しく抵抗も反抗もしなかったことも含めて、だ。先程の駅で降りて行った混雑具合に紛れてべたべたといちゃついていたカップルに当てられただとかそんな、そんなまさか。

電車は走り、新宿が近付く。距離が縮まれば縮まるほど、不思議と先程まで適当な言葉をつらつらと並べていた俺の口は途端に大人しくなってしまった。何か言おうと薄くその口を開いても、言葉を発しようと吸い込んだ息はただの二酸化炭素になって消える。どうしたものかと必死に頭の中で何かの話題を探してはみても、結局は何も見つからず俺は一度だけシズちゃんの腰に回した腕に力を込め直すだけしかできなかった。

やがて停車した車内から、どっと人が溢れ出して行く。此処は新宿だ、本来なら俺はここで降りなければならない、それは分かっている、けれど俺の状態は先程から何も変わらずがっちりとシズちゃんの身体をホールドしたまんまだ。すると僅かに腕の中のシズちゃんが身じろいで、おい、声を掛けてきた。

「降りろよ、新宿だぞ」

その声がやたらと凛と響くのは気のせいだろうか、よくわからない。ざわざわとした喧騒が開いた扉の向こうのホームから聞こえたけれど、それすら何処か他人事のように聞こえてならない。そこが行くべき場所だと思う反面、それに逆らう自分も何処かに居たからだ。

「おい、聞いてんのかノミ蟲」

「…だ、」

「ああ?」

「やだ」

きっぱりと言い放った瞬間、無情にもドアはしゅうと閉じられてしまった。けれどもちっとも悔しくも悲しくも無くて、人が減った筈の車内も結局はまたぎゅうぎゅう詰めの状態に戻っている。

「…何やってんだ手前、アホか、まじで死ねよ」

おいだから聞いてんのか、そんな事を言う割にシズちゃんは俺を言葉以外では邪険に扱ったりはしない。幾ら狭い車内とはいえ、腕を離させるくらいのことはできる筈なのにそれをしないから、だから、結局俺からしたらシズちゃんも悪い。そんな事を言いながら一緒に電車に乗って来たりするのが悪い、タクシーで帰れって無理矢理押し込まなかったのが悪い、俺に好き勝手、させるのがわるい。

電車は走り出してしまった。最終が何処へ行って何処で止まるのかも知らない。元々シズちゃんが乗り込んできた時点で、俺は新宿で降りる気などは毛頭無かったのだ。

だって言ってしまえばシズちゃんは俺がもし新宿で降りたらそのままぐるりと一回りして池袋へ帰るつもりだったのだろうから、だから、それがおかしいということにシズちゃんは気付いているのかはたまた気付いていないのか、まぁそんな事は俺はシズちゃんではないので到底知る由も無いのだけれど。

肩に横向きに乗せた頭を浮かせ、そっと顔を上げてシズちゃんを伺い見ればそのまま視線がぶつかる。

思っていたよりずっと、シズちゃんは微妙な顔をしていたけれど、それが怒りを含んでいない分俺からしてみたら随分と上出来だ。いつもみたいに死ねとか殺すとか言いつつも、未だ俺の手はシズちゃんの身体に回されたまま享受されている。困ったような表情を浮かべたシズちゃんは、ほんの少しその目を細めて俺を見下ろす。かたんかたん、かたん、最終列車の音だけが空しく鼓膜を震わせて、それが多分どこかセンチメンタルな気分にさせるのだろうかなどと馬鹿みたいなことを考えた。



「帰りたくない」



言えばシズちゃんはそれよりまた更に困った顔をしたけれど、それでもやっぱり叩かれも解かれもしなかった俺の腕は、安心したように無意識にその服を握り締めていた。帰りたくない、もう一度小さく呟いた音はやっぱりかたんかたん、電車の音に呑まれて夜の闇に溶けて、消えたどうかは知れず俺はもう一度その肩にぽすんと頭を乗せた。ああ、今夜はできればこうして眠りたいものだ。



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サイト休止(PC死亡)の危機を救ってくれたメシア・もぼ氏に一方的に捧げさせて頂きました。



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