しずかん | ナノ




※美容師設定ですいません




ついてない日っていうのはとことんついていない。

手始めに朝の星占いは最下位だった。その時点で気分自体が上がらない上に、傘を持たずに家を飛び出したらいきなり雨に降られたり。乗っていた電車は人身事故で二時間近くぴくりとも動かなかったし、やっと降りた時点で既にとっくに待ち合わせに遅れていた。

慌てて携帯を取り出して連絡を取るため電話を掛けようと試みれば、携帯を開いた瞬間「電池がありません」という無情な一言が画面にばっちりと表示されてしまったのだ。ああ、ピーピーうるさいなぁもう!

ぱちんと電話を閉じて慌てて待ち合わせ場所の広場へと走る。電車を降りたら冷たい雨は真っ白な雪へと変わってしまっていて、ある意味余り濡れないという点ではついているような気がしたが、その無駄なポジティブさが今はいっそ虚しい。傘があればどちらにしろ濡れることなどないというのに。

家を出てどれだけの時間が経過しただろうか。それに携帯が役立たずで連絡も取れない、流石にもう帰っただろうと半ば諦め半分の気持ちで広場に辿り着く頃には、すっかり呼吸も切れ切れになってしまっていた。

ぐるりと人の溢れるそこを見渡す。冬場の夕方は、もう夜と言ってもいいほど辺りが真っ暗闇に染まっている。はあはあと息を乱す俺をあざ笑うようにふわふわと雪が宙を舞っていた。ああ、道理で寒い筈だ。

ふと、巨大なツリーが佇むその真下に、何組かの人の群れに紛れてぼんやり立ちすくむ金髪が目に留まった。



あ、いた。



吸い寄せられるように小走りで近寄ると、ぼんやり何処かを見つめていたシズちゃんは漸くこちらに視線を向けた。真っ黒のダウンに包まれているとはいえ、まさかこんな寒空の下延々外で待ち続けたのだろうか。ええと、それでも不本意とはいえ俺は遅刻した身で、取り敢えず、ええと何から言おうか、どうしよう。

「…おせーよ」

聞き慣れた低い声が耳を掠めて、はっと我に返る。らしくもなく動揺してしまっているのだろうか、走って乱れた呼吸と一緒に、心臓はばくばくと先程からいっそ煩いほど鳴り響いている。

「シズちゃん」

「何だ」

「雪、積もってる」

あたまのうえ、そう言いつつ手を伸ばしてぱらぱらとその金髪からほんの少し乗った雪を払い落としてやった。

「…ねぇ、まさかずっと外で待ってたとか言わないよね」

「待ってた」

「馬鹿なの?何で帰んなかったの」

「はぁ?此処で待ってろっつったの手前じゃねーか」

「言ったけど、近くにカフェもコンビニもあるじゃん。せめて屋根のあるとこに居るとか」

「煙草」

不意に言葉を遮られて手を髪から離せば、シズちゃんはポケットからいつも吸っている水色のパッケージを取り出す。くしゃりと丸められているそれは、きっともう中身は一本も残っていないのだろう。

「切れて買いに行こうかと思ったけど、お前来ねぇし、もしかして行ってる間に来てそのまま帰ったら余計ややこしいだろうが」

いや確かにそうだけど、間違ってもないけどいやでもやっぱり何か違う。そんなことを言いたかったけれど、本当にこの寒い中外で3時間も待ち続けていた事実を目の当たりにした瞬間、俺の口からは言葉らしい言葉は出なかった。
そりゃ悪いのは俺なんだけど、何も律儀にこんな悪条件の下で大人しく待っているとはまさか思わなかったのだ。元々お店で落ち合うことや部屋に押し掛けることが多いから、そう待ち合わせなんてしたことも無い故に、短気なシズちゃんは絶対に一時間も待たず帰ってしまっていると、そう思っていたのに。なのに。

ふと、すっと伸びてきたシズちゃんの手が俺の髪を上からそっと撫でた。そのままくしゃりと指先に髪が絡められて、わしゃわしゃと少し乱雑にそれでも痛みを感じない程度に撫でられる。


「…電話通じねぇし、何かあったのかと思った」


無事ならいい、無表情でそんな事を呟いて、その掌はやっぱりくしゃりと俺の髪を撫でた。

「…シズちゃん」

「何だよ」

「手、つめたい」

「お前の髪もな」

そのまま指先でするりと長い髪を梳かれて、でも結局びゅうと吹きつけた木枯らしに面白いくらい俺の黒髪は散っては揺れた。頬を掠めて、視界の端にも舞って、そしたらまたシズちゃんがそれを整えるようにして撫でた。意味ないのに、何なの。
それでもそれが口にできない、いっぱいいっぱいの感情を押し殺すので今はやや精一杯だ。ほんのちょっと胸の辺りがつかえて、くるしい。

折角外で待ち合わせするからって、整えた髪も何もかも走ってきた時点でぐちゃぐちゃだ。寧ろ会う瞬間が何よりぐちゃぐちゃだったんじゃなかろうか。ああ、やっぱり今日は何から何までついていない。

「…今度から、待ってなくていいよ」

シズちゃんが幾ら馬鹿でも風邪くらい引くんじゃないの、延々髪に触れてくるものだから、ちょっと恥ずかしくなって視線を外して小さく呟いた。でも止めろとは言えず、いや止めて欲しくはないんだけど、ああ、いつも通りやっぱり俺はシズちゃんの事となると矛盾だらけだ。ああなんか、むかつくけど、やっぱりむかつくのには変わりないんだけど、どうしようもない。結局俺の言葉に、シズちゃんは何も言わなかった。








ごうごうと音を立てていたドライヤーの音が止んで、かちりとスイッチを切る音がした。直ぐさまシズちゃんが手櫛で俺の髪をすいすいと整えて行く。
取り敢えず身体が冷えていたのはお互い様だったらしく、結局あの後の予定は全部リセットしてシズちゃんの家に着くなり交互にシャワーを浴びた。エアコンの効いた部屋の中でほわほわとしたドライヤーの熱気にほんの少しばかりとろりと眠気を感じて、小さく欠伸を零した。

ソファの前のラグの上に座り込んで、シズちゃんの膝の中でいつもみたく髪を乾かされてこれまたいつも通りに夜は更けて行った。
そのまま背をシズちゃんに預けてぽすんと寄りかかったら、ドライヤーを置いた長い腕がぐるりと俺の身体に巻きついてぎゅうと身体を更に引き寄せられた。
抱きすくめられたかと思えば、シズちゃんが俺の髪に鼻先を埋めて軽く擦りよるみたいにしてきたものだから、思わず擽ったくて僅かに身を捩る。どこまで髪が好きなんだと突っ込みたくもなったが、それでもこの場合身体ごと抱き締められているのでまぁいいかと目を瞑ることにした。

ああ、あったかいなぁ外とは大違いだ。って言うかシズちゃんはいっそ疑問すら抱くほどにあったかい。この時期は本当に重宝したくなるあたたかさだ。気持ちよくて欲望に忠実にそのまま瞳を閉じれば、シズちゃんがおい、と声を掛けてきた。

「なに?」

俺ねむい、気の抜けたふにゃりとした声で返せば、手を出せと返される。俺眠いから好きにして、そう思いつつ片手をついと後ろに差し出しそのままシズちゃんがそれを掴む。掴まれた手の指を摘まんだり撫でられたりして、お前指までほっせぇな、折れんぞ、そんな事を言われた。
失礼な直ぐ折れるだとかがりがりだとかそんな事ばかり言いやがって。口には出さず心の中で吐き捨ててそれでも瞳は閉じたままでいたら、ふとシズちゃんに預けた手の違和感に気付き、ぱちりと目を開けた。

引き寄せた手の、薬指にきらりとした銀色のそれが落ち着いていて、思わずぱちくりと瞬きを繰り返し何度も見つめ直した。

「…なに?」

口を切った思いの他拙い言葉に、自分でも何だそれはと思ったけれど、仕方がない。だって、なにこれ、なにこれって言うか、これ、ええと。

やや鈍い銀色をした細過ぎず太過ぎずなそれは、ほんのちょっと重みがあってそれがまた何となく心地よい。まぁ、何と言うか誰がどう見ても何の変哲もないただの指輪だ。うん、指輪。

「やる」

さらりとそれだけ言い切って、シズちゃんはやっぱり俺の頭にてのひらを乗せて呑気にまた髪を撫で始めた。いや、やるって、意味はわかるけれど、いやそれよりも、ちょっと。

「…何かぶかぶかしてるんですけど」

うん、これは嘘じゃない。事実それはほんの少し指輪と指の間に隙間が生じていて、緩い。するとシズちゃんの手が後ろからすっと伸びてきて、顔の前に翳していた俺の手を再度掴みその薬指から指輪を抜き取る。
じゃあこっち、言いながら指輪はあっさりと薬指から人差し指へと移動する。すっぽりと填まったようにはみえるものの、確かに薬指よりは幾分マシだがやっぱりまだ、ちょっと、ぴったり填まると言い切るには頼りない。ゆるい、小さくもう一度だけ事実をそのまま呟いた。

「うるせぇな、文句あるなら返せ」

「…やだ」

それには何とか即答して、取られてなるものかとシズちゃんの手を逃れるように自分の胸元にその手をさっと隠した。

「って言うか何でくれるの、こんなの」

「クリスマスなんだろ」

来週、ぶっきらぼうにそう呟いて。シズちゃんの手はまた俺の髪にへと落ち着く。本当好きだな、別にいいけど、そんな事を思いながら手に填められた指輪ごとぎゅうと胸元で拳を握り締めた。

「…シズちゃんにシャンプー以外のもの貰うの初めて」

「馬鹿にしてんのか。いつも勝手に人のモン食っといてよくそんな事が言えるな手前はよ」

「プリンは俺もたまに買って来てるじゃん、お互い様でしょ」

相も変わらず色気の無い会話の中で、それでも俺は内心どきどきしていた。サイズが合っていないだとかその辺はどこまでもシズちゃんらしいのだが、それでもあのシズちゃんがだ。髪にしか興味がなくて、髪以外どこまでも鈍感なシズちゃんが、指輪。
しかしクリスマスなんだろという言い方からして多分、いや絶対にこれは間違いない。ドタチンの差し金だ。大方俺が言ったとか死んでも言うなよとか言われて、そのまま言われたことを実行しているだけなのだろう。俺の勘はきっと当たる。

それでも、まだ未確定ではあるがドタチンのおせっかいにはしてやられたと言わざるを得ないし、嬉しくないと言ったら嘘になる。例えぶかぶかだろうとなんだろうとこれは指輪には間違いないのだ、しかも、シズちゃんが俺にくれた。

「…でっかいからチェーン買って首から下げといてあげる」

「はあ?それじゃ指輪の意味ねぇだろ」

だって、ゆるいから無くしそうでこわい。いやそんな事を素直に言えたら苦労はしないのだけれど、いいの、チェーン買う、そう言ったらシズちゃんはあっそと口にして案外大人しく引き下がったので助かった。


こわいよ、好きだから怖くなるものが色々ある。こんなものひとつ無くしたらどうしようだとか、そんなつまらない事だったり本当にそれは色々だ。

シズちゃんと出会ってから本当に自分はどうしてしまったものだろうかかと、自分で思うことが多々ある。こうやって指輪を貰って大事にするだなんて女々しいこと絶対にごめんだと、以前の俺なら確実に鼻で笑っているだろう。
それでも出会ってしまったから、それから俺の心臓は割と、何て言うかときめきとかそういうわけのわからないもので構成されてしまっているような気さえする。吐きそうになるくらい甘ったるい空気もしあわせだと感じてしまうくらいにはだ。何とも単純な話である。

「来週なのに何で今なの」

「当日は仕事だろ」

「…まぁ、そうだけど。俺何も用意してないよ、当たり前だけど」

「別に何も期待してねぇ」

「んじゃ何が欲しいか言ってみて、参考がてら」

「あー…じゃあ明日プリン三つ買え。それでいい」

コンビニの高いやつ上から順番に三つな、そんな事を髪を撫でながら、しれっと答える。プリン、プリンってどうなんだおい。別にそれが欲しいなら大いに構わないけれど、何かもっとこう。

「…プリン食べたら無くなっちゃうけど」

「んじゃ食った後カップに日付書いてとっとく」

「それ、なんの意味があるの?」

「さぁ、べつに」

この男、本当に頭の方は大丈夫なのだろうか。いやしかし冷静に考えてカップに日付とか書かれても結局後々恥ずかしいのはお互い様なのだ。シズちゃんはそれを承知した上でもっと物事を考えて口に出すべきである。まぁ、単細胞の彼には中々難しいのかも知れないが。



例えば、そういうことに余り興味を示さないシズちゃんが唯一それいいなと言ってくれた黒いコートは俺のお気に入りとして定着している。

けれど俺は彼が居なかったらきっと黒じゃなくて白を好んで着るだろうし、やたらと煩く言われるスカートの丈だって好きなだけ短くして、髪だって切ったり染めたりやり放題だ。

けれど、そんなもしもが想像できないほど俺の近くの未来の殆どは、シズちゃんという得体の知れないウィルスにすっかり侵されてしまっている。きっと俺はこれからも黒のコートを好んで着るだろうし、スカートは言われた通り膝上10センチを守って、毎日欠かさず髪の手入れを行うのだ。

「本当に好きだよね」

「あ?なにが」

「髪」

「…ああ、」

まーな、そう言いながらもやっぱりその手は延々と俺の髪にやさしくやさしく触れ続ける。指先でくしゃりと撫でられるのも、本当のところは好きだ。シズちゃんの指先が暖かくて、うん、やっぱり手だけは本当にたまらなくやさしい。

「伸びたよな、そういや」

「やっぱりシズちゃんは長いほうがいいんだ?」

「まぁ、短いのもいいけど長いに越したことはねぇな」

そっちのが好みだ、そんな一言で、それは髪に向けられている言葉だとしても結果として俺が今後髪を切る可能性は皆無になる。それこそ、俺からしてみたら少しでも好かれるに越したことはないのだ。

好きなんて素直に言ったことは今の今までたった一度だってないけれど、呪文みたく心の中で唱えては繰り返す。すき、すき。だいすき。

無茶だとわかってはいても、できれば聞こえてなくてもわかってほしい。

そんな残念なことばかり考えてしまう脳内に嫌気がしないわけでもなかったが、このすっかり侵されてしまった脳に、適した抗体はきっと見つからないし存在しない。何物を以てしても、俺はたぶんシズちゃんといる限りはきっとずっとこんな感じなのだ。そう、要するに残念な感じ。

それは今自分のてのひらの中のちいさな固体として、かたちあるものになってしまった。








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