わたしなりのできるだけ | ナノ




わたしなりのできるだけ





臨也に会わないまま1ヵ月が過ぎた。
元はと言えばこれが平穏かつ俺の望んでいた日常だ。間違いない、ただ過ぎ行く日々は平凡で大嫌いなアイツの顔を見て苛々したり無駄に公共物を破壊したりすることもない。寧ろ誰にとっても良い事でしかないような、俺にしてみれば何てことの無い日常が流れていた。



臨也が俺の隣で眠っていた朝、次に何時間かして目を開ければ、予想した通りの光景が目の前にはあった。勿論俺のベッドに臨也が居るという不愉快な出来事は再びは起こらず、そこには誰も居なかった。居なくてほっとしたような、そうでもないような複雑な感覚に陥ったのは気の所為だということにしておいて、俺は何事も無く普通に起きて仕事へと出掛けた。そこから俺の、まぁ何というか清々しく尚且つ平和な日常生活が始まったと言うわけである。実に素晴らしいことだった。

「もうやめよっか」
時折臨也の問い掛けのような提案のような曖昧な言葉を思い出してはみたが、それこそ思い出す意味が分からないので出来るだけ忘れようと努めている。俺から言わせりゃお前こそ俺に何を言わせたかったんだという話だ。あの時そう聞き返してやれなかったことだけが俺の心残りになっている。そうすればあの憎たらしいノミ蟲を困らせることができたかも知れないのに。

まぁ今となっては二度と会うこともないような、敢えて言うなら他人という所で落ち着く相手である。そして俺は臨也が大嫌いだ。これに揺ぎ無い自信を持っている。

だからこそ、だからこそだ。
何故か臨也が居なくなったその日から、急激に煙草が不味くなったことだけが不思議で堪らなかった。こんなにも清々しく苛々もせずに毎日を過ごしているというのに、ただひとつ煙草の味だけが変わってしまった。俺は勿論何も変わらない。最初は口に合わなくなったと思い違う銘柄を吸ったりしてはみたが、どれも同じような味がして、どれも同じように不味かった。それでも既に日常に溶け込んでしまっている喫煙を止められるわけもなく、俺はこの1ヵ月間不味い煙草を吸い続けた。不味い、と頭で思いながらも吸う事が止められなかったのは、煙草の味以外は俺が何も変わりはしなかったからだった。


そして今、1ヵ月前に見たような余りにも有り得ない光景がまた俺の目の前に広がっている。勿論状況は全く違っている。だけどこれもまた十分に有り得ないもので、俺を一瞬でも驚かせるには上等なものだった。たぶん俺は目の前に映っている光景が現実だと理解できず、いやしたくなかったと言ってもいい、兎に角脳が拒否していた。当たり前だ、俺はこいつが大嫌いなのだから。
深夜に呼び鈴が鳴ったかと思うと、扉を開ければ頭のてっぺんから爪先までびっしょりと雨に濡れた臨也がそこに立っていた。髪がぺったりと頬に張り付き、その毛先からはしとしと雫が零れては落ちて行く。更に色濃い黒に変色したコート姿の臨也の様子を見て、そのフードは飾りなのかと心の隅っこで思ったが、そんな下らない事は口にはしないでおいた。

「何してんだ手前」

それはもうとてつもなく棘を含んだ声がすんなりと出た。当然だ、こいつを目の前にしたらこういう声が出るように俺の身体はできている。1ヵ月ぶりとはいえやはりその対応が変わるわけでも無く俺の身体は実に優秀だった。まぁできることなら1ヵ月と言わず未来永劫顔を合わせたくは無いのだが。

「面白いでしょ、シズちゃん家の呼び鈴鳴らしたの初めて」

「別に面白くねぇな」

「そう?」

「そうだよ」

「それは残念」

「いや、つーか何で手前が居るんだよ」

そう言ったららしくもなく臨也は困ったようなそうでもないような曖昧な笑みを浮かべて目を伏せた。春先とはいえ夜の気温は低い、全身雨に濡れた身体はすっかり冷え切っているのだろう、その唇は見たことがないくらいに色を失っていて、白かった。

「勝手に鍵開けて入っても、窓から入っても良かったんだけどね」

「俺はよくねぇ」

「だろうね、でも」

「何だよ」

「シズちゃんが帰ってるの知ってるからそんな面倒なことしないよ」

「…はぁ?」

全くを持ってノミ蟲の言っていることが俺には理解できなかった。その面倒を働いてまで今まで勝手に人の部屋に散々上がりこんでおいてよくそんな口が利けるものだ。こいつ脳味噌詰まってんのか。

「居ないからこそできること、だから」

そして俺の目の前にいる臨也は、紛れも無く俺の嫌いなノミ蟲である筈なのにその様子はいつものように横柄で嫌味ったらしくなくほんの少しどこか別人のようだった。雨に濡れてちょっとは浄化されたか?なんてバカみたいなことを考えながら、相変わらずワケの分からないことばかりを口走る臨也を見下ろして、眉間に皺を寄せた。



「それに、前と同じことしたって意味ないし。こないだもう止めようって言って、そのまま止めたから、だから」








「普通に尋ねてみた、面白くない?」




だから別に面白くも何ともねぇよ、と心の中で突っ込みを入れながらも、本当にらしくないことばかりをつらつら口走る臨也に何となく俺からわざわざ言い返すような言葉も無くそのまま黙り込んでしまった。俺が答えないから、臨也も何も喋らない。沈黙が流れて、それに何処か気まずさを感じて気付けば俺もらしくもない下らないことを口走っていた。


「そんなびしょ濡れの服で来たら入れたくねーよ、濡れんだろ」

「だってコンビニで傘買うとか俺に似合わないじゃん」

「そういう問題かよ」

「そういう問題だよ」

ああ、本当こいつ面倒臭ぇな、そんな溜息を零しくしゃくしゃと自らの髪をかき混ぜた。何なんだこいつ、本当ワケわかんねぇ、終ってるなら何で家にわざわざ雨の日にすぶ濡れになってまで来る必要があるんだ。喧嘩がしたかった、とかそんな馬鹿みたいな理由でもこいつなら有り得るし、寧ろいっそそんな理由なら有難かったのにと思ってしまう自分が情けない。

「シズちゃん、今俺のこと面倒臭いって思ってた」

「煩ぇな、思ってねーよ、つーかそう思うなら余計な事言うんじゃねぇっての」

「あ、やっぱり思ってるんだ、ひっど」

まぁわからなくもないけどね、と喧嘩を吹っかけるような闘争心もほぼ皆無に等しい臨也が、雨に濡れた瞳でこちらをも見上げて来る。なんだよ、と聞き返せば臨也はにやりと笑い強引に扉の内側に潜り込んで来る。玄関に足を踏み入れたかと思うと、そのままドアを後手に閉めてご丁寧に鍵まで掛けられた。何だ自分の家なのにこの逃がさないとでも言いたげな状況は。ああもうワケがわからない。

「あのさぁ」

「なんだよ、つーか入るなって言ったろうが殺すぞ」

「面倒臭いついでに、俺今からもっと面倒なこと言うから」

「…はぁ?」

「おれ、シズちゃんのこと大嫌いなんだよね、嫌いで嫌いで仕方なくてでもシズちゃんも俺のこと嫌いだからそれでよくて、でもやっぱり嫌いで、嫌いなんだけどね、いや本当心の底から大嫌いなんだけど」

アナウンサーばりの早口で捲し立てる様子を俺はただ見下ろしながら、ちらりと自分を見上げてくる臨也の瞳の赤が今までに見たことの無い色をしている気がして、ほんの少し息を飲む。のと、殆ど同時だった。











「すきみたい、シズちゃんのこと」






ね、面倒臭いでしょ。そう言った臨也がまたらしくなく小さくひどく頼りなさ気に笑う。臨也の言葉の意味がとてもじゃないがすんなりと納得できるわけもない俺の脳内は軽くショート状態で、ぽたぽた滴り落ちる雫の音が唯一時を刻んでいることを知らせてくれていて、ああこれが現実なんだと納得せざるを得なかった。





(どこから、どこまで)







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