リトル・バイ・リトル | ナノ
「うぅ…届かない…」
工具箱に必死に手を伸ばすも、届かない。
久しぶりに立体機動を使った訓練を行い、気持ちのいい汗をかいた後のことだ。愛用の装置を常に万全の状態で使うためいつものように手入れをしようと思い、工具が揃っている倉庫までやってきた。けれど目当ての工具箱を発見したのはいいが、なぜか棚の一番上、とても私の身長じゃ届かない所に置かれていたのだ。
「誰だあんなところに置いたのは…」
わざわざ私が届かないところに置かなくてもいいのに。あんなところに置いた奴恨む。
必死に手を伸ばし格闘すること早数分。もう手入れはまた今度にして戻ろうかな、なんて諦め掛けたその時、開けっ放しの扉から誰かが私に声を掛けた。
「あの、取りましょうか…?」
背伸びをやめて声の主を見る。初めて聞く声に、初めて見る顔だ。第一印象を挙げるならば、物凄く背が高い。遠慮がちにゆっくりと近付いて来るその男の子はどこかまだあどけなさを残す顔つきだった。おそらく新兵の子だ。
ここであがいていても仕方がないので、おとなしく彼のお言葉に甘えるとしよう。
「お願いしてもいいかな?」
「はい」
私が頼むと優しく微笑み、いくら背伸びをしても届かなかった工具箱をいとも簡単に手にとった。
「わ、ありがとう!助かった!」
「いいえ、」
ようやく手にできた工具箱を一旦机の上に置き、男の子に向き直る。おそらく190センチ以上はあるだろう長身の男の子。目を見て話すのは結構大変だ。ミケとどっちが背高いんだろう、なんて思いながら疑問を口にする。
「あなた、新兵の子?」
「え?は、はい、そうです!ベルトルト・フーバーといいます。えぇと、あなたは…」
「ナマエ・ミョウジ。これでも一応分隊長なの」
「えっ?分隊長…っ、し、失礼致しました…!」
「あー!敬礼いらないから!」
これだけの長身でびしりと敬礼を決められるとなかなか迫力があるな、なんて冷静に思う。そして彼の名前を上位者名簿の中の更に上位の方で見たなぁ、なんてぼんやりと思い出した。
「そんなに緊張しないで?」そう笑いかけると彼は私の立場を知り急に緊張してしまったのか、先程よりもさらに遠慮がちに微笑んだ。
「よかったよ、君が来てくれて。もう全然届かなくってさ」
「ちょうど通りかかっただけなので…」
「でも、助かった。ありがとうね」
「いえ…」
物凄く緊張しているのか、あるいは人と喋ることが苦手なのか。数回言葉を交わしただけでわかる。この子は自分と他人の間に分厚い壁を作る子だ。その笑顔もきっと、心からの笑顔ではないのだろう。特に根拠はないけれど、なぜだかそう思わずにはいられなかった。
そんな彼の顔をちらりと見るとその頬に、細く走った傷を見つけた。血は出ていないが、顔を洗う時やお風呂の時に痛みそうである。
「ここ、傷になってるよ」
「…え?」
私よりもかなり高い位置にある頬にそっと手を伸ばした。その瞬間びくりと肩が跳ね、僅かに距離を取られる。
「あ、ごめんね驚かせて!えぇと、絆創膏貼ってもいいかな…?」
「いえ、大丈夫です。放っておけば治るので…」
「でもそれお風呂入る時染みそう」
「……じゃあ、お願いします…」
半ば強引に了解を得たのでポーチから絆創膏を取り出し、困ったように笑う彼の頬に手を伸ばす。けれどどうにも貼りづらい。それに気付いたのか、彼は腰を落として私と目線を揃えてくれた。先程よりもぐっと目線が近くなり、ようやくその目をじっくりと見ることができる。
深い、何か強い意思を感じさせる瞳である。少々見つめすぎたのか、視線がぶつかって数秒後には慌てて逸らされてしまった。
「ねぇ、」
「はい…?」
「…君は…」
「…は、い」
「…何でもない。ね、ベルトルトって呼んでもいい?」
「え…?は、はい、勿論です」
「ありがとう、ベルトルト。はい、できた」
――君は、何を考えているの?
喉元まで出かけたその言葉を飲み込み、貼り終えた絆創膏を一撫でする。どうも踏み込ませてはくれないようだ。
「あの、ありがとうございました」
「いえいえ。私怪我が多いからさ、こういうの持ち歩いてるの。また怪我したら私のとこおいで」
彼のことをもっと知りたい。この背の高くておどおどした、それでいて秘めたる何かを持つような彼のことを純粋に知りたいと思った。単に分隊長としての勘か、私個人の感情かは分からないが、この子のことをちゃんと見ていなければならない。ただ漠然とそう思ったのだ。
「…はい、ありがとうございます」
再び合間見えた笑顔に、心が温かくなるとの同時に妙に切なくなったのはなぜだろうか。
微笑みと雑音
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