9

***







朝目が覚めて、隣にある温もりに気が付いて、寝返りを打って目を向ければそこに赤色の髪。
ぼんやりと昨夜のことを思い出す。
俺が身体を起こせばううっと唸って更に布団に潜り込んだ烈火。
まるで昔一緒に寝ていた頃に戻ったようで懐かしさに笑みが漏れた。



「風呂にも入らなかったのか…」



昨日任務から戻ったままの恰好をしている自分に呆れて、温かい布団をからそっと抜け出し風呂場に直行する。
全てを洗い流すように水を頭から被った。
昨日はナルトとの死闘に加え、いろんな厄介が一気に押し寄せた。
寧…いや、菊璃と栢のこと。そしてダンゾウのあの台詞―――

鱗粉を落とした蝶のようだ。

これは夷坐浪を揶揄する表現…。
鱗粉を落としても美しい羽はそこについたまま、だけど鱗粉が無ければ飛ぶことはできない。
「蝶」というのは夷坐浪の役職名でもある。つまり「蝶」は俺。
神苑の中に閉じ込められ、人々の崇拝物として飾られる夷坐浪を比喩したもの。

それを分かってて敢えてそんな文句を寄越してきたダンゾウには、なんというか…最早感心する。俺を貶めるために全力投球らしい。ご苦労様である。
今更夷坐浪という運命を皮肉られたところで俺は構わないのだ。そんな運命は霞尢をこの身から解放したときに受け入れている。
なのに昨日は不意打ちで…あいつの揶揄に身体が勝手に強張ってしまった。これが所謂トラウマってやつなのか知らないけど。



「蝶なんて…そんな綺麗なモンじゃねぇっての」



むしろ障害物に醜くぶつかりながら進む蛾の方が似合ってる。
―――「私が触れるには、あなたは美しすぎる」と、そう栢は言ってくれたけど、それは嘘だ。
女なんて誰だって着飾れば綺麗になる。
「綺麗」だとか「美しい」だとか…そんな薄っぺらい言葉は何の足しにもならない。

その奥に隠された汚い部分を愛してくれる存在が欲しかった。

俺はこの“蛾のように汚く醜い俺”を見て欲しかった。愛して欲しかった。
そして…―――そんな俺の望みを叶えてくれた男がいた。

それは栢じゃなくて、



「登与…」



人生って面白いもんだ。
目の前に手を伸ばして求めてたものが横からひょいっと突然現れたんだから。
でもあいつは恐らく今後敵として対峙するだろう任務の標的で、当然忍としてそこに手を伸ばすなんてことは許されない。
どうしてこう上手くいかないことばかりなのか。
盛大な溜息と共にシャワーを止める。風呂から上がったら綱手に課せられた暗号読解の罰が待っている。せっかく昨日ぎ取った休日も雑務で終わるだろう。
…ああ現実逃避したい。






「!」

「おはよ」


風呂から上がれば縁側でくつろいでいた紫鏡と鉢会った。
自分の茶を淹れるついでに紫鏡の分も用意して傍らに置いてやる。



「よく寝てたね」

「え?…ああ、気付いたら烈火の部屋で寝てたらしい」

「ふーん」



返事が素っ気ない気がしたが、まあいつものことだ。
俺が用意した茶に手を伸ばし、品のある所作で口元にそれを運びズズズ…と啜った。
紫鏡の一族は貴族ではないが、優れた呪術使いとして高い地位を誇り、その暮らしは貴族ばりに優雅なもの。
そこの次期当主として育った紫鏡の一挙一動が、彼の育った優雅な環境を物語る。お茶を飲む動作にもその気品が滲み出る。
それが俺は昔から好きだった。よく見惚れたもんだ。
そんな紫鏡の仕草をぼんやり見ていると苛々していた心が落ち着いた。俺も湯呑を携えて縁側に腰掛ける。
朝の澄んだ空気と淹れたての茶と、紫鏡の隣はとても和やかに俺の心を癒した。

ワガママを言うとすれば、あともう一つ…欲しいものがある。



「なあ、紫鏡」

「なに?」

「お前の三味が聴きたい」

「!」



一瞬湯呑を持つ紫鏡の長い指がぴくりと震えたのがわかった。
驚いた様子で俺へと目を向ける。



「どうしたのさ、突然」

「たまに無性に聴きたくなるんだよ」



俺も紫鏡もまだ小さいときは、よく三味を奏でてくれた。
紫鏡の育ての親…音季久(ネキヒサ)が三味線の名手だったから、紫鏡も幼い頃から懸命に稽古をしていた。
大名たちの集いでも紫鏡の三味線は評価されていたらしく、音季久がよく自慢げに紫鏡に人前で弾かせていたと、その時分に母様が言っていたのを憶えている。
俺も…幼いながらに紫鏡の弦を抑える指の器用さと、奏でる音の響きに魅了されたもんだ。



「…もう二度と弾かないって決めたんだ」

「―――…。」



理由を察した俺はしばし口を閉ざした。
過去にいろいろな不幸を抱える俺たちは、無鉄砲に相手の傷を突きあうような真似はしない。
ただ、紫鏡の三味がもう二度と聞けないのは残念だと思う。



「俺は…紫鏡の三味、好きだったけどな」



紫鏡の三味が好きだったというか、三味を弾いてる紫鏡が好きだったというか…
正直な気持ちを述べれば、紫鏡はスッと目を細めた。
まるで忌々しい過去を思い返す様に瞳は冷たく、庭を眺める。



「僕は吐き気がするね」

「…」

「あの男に教わった楽器なんて誰が弾くもんか。それに…お前を傷つけてばかりだったあの頃を思い出す…」



音季久
―――鷹ノ召一族当主。
俺の両親を殺し、母の一族を抹殺し、俺に霞尢を封じ、…言いだすとキリが無い愚行を犯してきた男。
そして、紫鏡の育ての親でもある。

三味線は音季久に教わったもの。
だから…二度と弾きたくないのも、納得がいく。

(…でも残念だなァ)



「もし、“もし”だぞ?音季久も阿礼次も死んで、水の国も白銀も鷹ノ召も罪を認めて償って、俺たちが柵から解放された日が来たら…―――弾いてくれるか?」

「もしそんな夢物語が実現したならね」



例え紫鏡の三味が聴ける日が来なくとも、そう言ってくれたことに安心し満足した。





*****






綱手に押し付けられた書類の雑務に集中しようと小一時間は筆を走らせていたのだが、どうも調子が出ずに俺は途中で手を止めた。
別に貴重な休暇を削ってまで生真面目に綱手の命令を聞くことねぇか、と一度思ってしまったら集中力なんか吹っ飛んで消えてしまったのだ。
ナルトも俺より多い雑務を押し付けられたらしいが、どうせサボってだらだらと提出が遅れるに違いない。うん、そんな気がする。



「やーめたー」



俺はずっと気になっていた因の見舞いに行くことにした。
どうせだ。病室で暇してるだろう因に少し手伝ってもらおうと広げ散らかっている書類の山から一総を掴んだ。
暗部服を着て面をつけて因の病室に顔を出すと、上体を起こして本を読んでいた因が俺を見るや否やぎょっと驚愕に目を見開いた。



「な、なにをしにいらっしゃったんですか」

「……失礼な奴だな」



面の下で思いっきり苦笑しながら、怪我はどうだ?と聞いてみる。
因は茶色の短髪で優しい性格の割に顔は厳つい。目付きも結構悪い。
だが彼の枕元に置かれた果物やら花やらを見るからには、周囲から慕われ好かれる人物なんだろうと分かる。



「もう痛みもありませんし、日常生活に支障はありません。五代目は五日間は入院しているように仰るのですが…」

「なら火影様の命令通り、五日は此処で大人しくしてろよ」

「屯所で書類整理くらいならもう出来ます。隊長の方から五代目に…」



不服そうに眉間を寄せて主張する因を知らんぷりして、俺は彼の枕元に置かれた果物の横に甘栗甘で買ってきたばかりの葛菓子を置いた。



「…これは…?」

「甘いものは好きか?」

「す、好きですが…」

「ここの葛菓子は美味いんだ。解熱作用もあるしな」



目付きの悪い因の目が、きょとんと枕元の葛菓子を見つめている。
あまりに不審気に見ているので「毒は盛ってないぞ」と言ってやると、「オレにですか?食っていいんですか?」と聞かれた。
その瞳がものすごく嬉しそうに輝いていたので俺は面の下で思わず吹いた。



「…お前は俺を、鬼か何かだと思ってんのか…?」

「い、いえ!そういう意味ではなく!」



遠慮なくいただきます!と威勢よく言われ、俺はどうぞと一言残して因に背を向ける。
そして「あ、そうだ」と思い出したように振り返り、因に分厚い冊子を差し出す。



「五日間休暇をやる代わりにコレ」

「これは…」

「暇潰しに持って来いだろ?俺からの手土産」



あ、ハイ。とイマイチ状況を理解できないまま銀弥の手から資料の山を受け取った因。
そうしてそそくさと去って行った銀弥の後ろ姿を見送って、押し付けられた手元の雑務を見下ろして…ポツリと呟く



「鬼か何かと思ってんのかって……実際鬼じゃないですか」



見舞いに来たのはオレにこの雑用を押し付ける為だったのだ。まったく…油断も隙もない人だ。
溜息を吐いたとき、コンコンと扉を叩く音があって、臣と勝馬が現れた。
今は衛班は一時活動停止とされているため、上忍ベストを着た臣と勝馬は両手一杯に手土産を携えて騒がしく挨拶を投げてくる。



「あー!甘栗甘の葛菓子じゃないですか。すっげー美味いんですよコレ!」

「ああ、そうなのか。今さっき銀弥隊長が見舞いにそれを持ってきてくださってな」



もう一つとんでもない物を押し付けられたが…と心の中で呟き、苦笑いする。
何だかんだ言ってもやはり嬉しいのだ。
隊長がオレのためにわざわざ甘栗甘に行ってきてくれたことを思うと、こんな雑用くらい喜んでやる。



「隊長が…?葛菓子買ってきてくれたんすか?」

「ああ。廊下で会わなかったか」

「銀弥隊長でも甘栗甘に行ったりするんですねぇ」

「たたた、隊長がァ!?」

「だからそうだと言ってるだろう」



羨ましがる臣と、意外だと驚く勝馬、そして枕元の葛菓子

…いい仲間をもったもんだと、因は心底思うのだった。






[ 229/379 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -