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「巫女だったんですね、あの子」
「…っゴホッゴホッ!」
勢い良くむせた火影様に布巾を差し上げる。
幸い書類は片付けてあって被害は少なかった。
「自分から言ったのか!?」
「ええ、舞があまりにも達者で…、経験の有無を聞いたら素直に教えてくれました」
「なんと…、信じられんわい…!」
いよいよ明日から名前と共に任務を開始するにあたって、火影様と少しお話しする機会を頂いた。
火影様もずっと名前の様子が気になってらした様で、快く時間を割いてくださった。
茶を啜りながら、軽く修行の経緯を説明し、冒頭に至る。
あの子が巫女であったことはやはり三代目は既にご存知で、でも私にその事実を伝えたことが予想外だったらしい。
巫女と言われても忍の私にはあまりピンと来ないし、だからどうなのだというのが本音だ。
「…巫女なのだと、…それ以外に、何か言うておったか?」
「いいえ。私がそれ以上触れなかったものですから、その話はそれきりで」
「そうか…」
「ただ…、巫女について、余り良い思い出は無いようですね」
巫女であると明かされたと話したときは嬉しそうになさった三代目が、一瞬難しい表情をした。
「思った以上に、お主に心を開いておるようじゃな」
「!…そ、そうでしょうか」
「必死に大人になろうと背伸びをするあの子が、お主の前では年相応の顔を見せる。安心したわい」
琴音は少し照れ臭くなって視線をさまよわせた。
始めは黒海の育て子だという理由で、一種の同情心から名前の世話をやいていたが、今では名前の純粋さや根性強さに魅せられて心から応援していたし、愛していた。
名前の笑顔は元気をくれたし、その努力熱心なところには尊敬もしていた。
彼女の後ろ姿に黒海の面影が見えることもあった。やはり黒海の意志が名前の中にもあるのかと思うと、どうしても構わずにはいられなかった。
「一つ…お主と話がしたいのじゃが」
「何でしょう」
急に改まってそんなことを言う三代目に琴音は首を傾げる。
三代目火影は難しい顔で煙管を一服すると決意を固めたように力強い眼差しを琴音に向けた。
「お主はダンゾウの部下…じゃが、これは木ノ葉の一忍として、そして名前を思う一人間として聞いて欲しい」
「はい」
「名前の生い立ちを、お主に話す」
「!」
生い立ち…、琴音は心の中で復唱する。
黒海に拾われ育てられたという名前の生い立ちが世間一般の子供のそれとは違うというのは既に想像に容易いが、何か秘められた巨大な事実がそこにあるような予感がしてならない。
三代目の決意の眼差しの奥に小さな“恐れ”を察して琴音は足先から頭の先までが凍り付くような緊張に襲われた。
「夷坐浪、というのを知っておるか」
「いざなみ……。ええ、聞いたことがあります。確かどこかの国に伝わる巫女の名ではなかったかと…」
「その通り。水の国におる蝶の巫女、夷坐浪―――それがあの子の、水の国にいた頃の名じゃ」
ゆっくりと語り出す三代目の言葉を一つ一つ聞き漏らさぬよう咀嚼していく。
「夷坐浪」という聞き覚えのある、しかし曖昧な絵しか浮かんでこない単語について説明を求めた。
「夷坐浪とは、巫女の頂点に君臨する巫女に代々受け継がれる名じゃよ」
「巫女の頂点、とは…?そもそも、巫女とは宗教的な役職名ではないのですか」
「その通り。巫女とは宗教的な神事にかかわる役職を指すが…それは低い階級の巫女のこと。巫女とは本来、妖魔の操り人のことを言うんじゃよ」
「…妖魔の操り人?」
「精神エネルギーの根源である“魂織”と呼ばれる力を使って、妖魔を操るといわれておる」
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。
琴音はまるで異世界のお伽話でも聞いているような心地がしていた。
「妖魔って…実在するのですか」
「普通の人間には見えんものらしい。何せ魂織で成り立つ霊魂のような存在じゃからのォ。だが中には人間の血を得て実態を持つ妖魔もおる」
お主の知る銀鳥がそれじゃ。という三代目の衝撃的な言葉が投下された。
銀色に輝く親バカで過保護な鳥が瞬時に脳裏に浮かぶ。ただの忍鳥だとばかり思っていた琴音には信じがたいことだった。
「この世で最も多くの妖魔が存在するといわれる水の国には、夷坐浪を神として崇める風習が太古から根付いておるという」
「神として…あの子を?」
「そうじゃ。―――それが名前の場合、少し違ったようでのォ」
三代目がまた煙管を一つ吹かした。
一言一言を口にするたびに心が痛むような重苦しい調子で口を開く。
「名前の母親はこの世で最も美しいとも言われた女じゃったそうでのォ、黄梅(オウバイ)というある小国の姫じゃった」
「…」
「その美しい姫をめぐってありとあらゆる権力者が争ったという。じゃが奇しくも黄梅の姫が選んだのは、白銀という一族の分家にあたる男」
「分家の男に…?」
「そこで何が起こったと思う」
「…妬みや嫉妬が絶えないはずです。貴族の世界は権力と地位で動いているようなものでしょう?」
「その通り。同じ白銀の宗家にあたる一族の長が、大層悔しがったという。つまりは、恨まれたのじゃよ」
三代目がまた煙管をひと吹き。
黄梅の姫が選んだのは、宗家の男ではなく分家の男だった。当然宗家の男は分家の男を恨む。そして…、とその先を予想して琴音は眉を顰める。
「結局その黄梅の姫も分家の男も殺されたのじゃよ。その、宗家の男の差し金でのォ。黄梅一族は一人残らず抹殺されたとも言われておる」
「!」
「二人の娘である名前は夷坐浪に選ばれたため命だけは助けられた。じゃが酷い仕打ちを受けたじゃろう…」
あの子と初めて会ったときの、総てを拒絶したような、そしてまるで怯えるかのような目を思い出す。
幼くして絶望の底に叩きつけられた経験がいまだあの子の心を縛り付けているのだろう。
絶望の底から這い上がる為に、死にもの狂いで強くなろうと鍛錬に明け暮れたのだと思うとやりきれない。
「儂がお主に言いたいのは、ここからでのォ」
「…?」
「上層部の者達はあの子を木ノ葉においておくことに断固拒否しつづけておる」
「…!…水の国、出身者だからでしょうか」
「それもあろうが…、あの子は夷坐浪じゃ。水の国があの子を取り返さんと躍起になっておる」
「つまり、戦争も引き起こしかねないと?」
三代目は深くゆっくりと頷いた。
「確かに、あ奴等が正論なのじゃ。名前をこの里におくことは水の国との諍い覚悟で臨んだ大博打じゃ。それでも儂があの子をこの里へ置くのは、黒海への償いもあるが…そんな非人道的な国へ名前を返すのがどうしたってできぬからよ」
「…」
「じゃから、名前には酷だが暗部として任務を消化させることで利用価値を奴等に示す必要があった。木ノ葉に転がり込んできた当初は中忍程度の実力しか持ち合わせておらんかった名前に、無理やり暗部の立場を与えたのもその為じゃ。黒海から忍術を叩きこまれたといっても、たかが三年そこら修行しただけの娘が、命の競り合う戦場に身を置くことでみるみるうちに力をつけていきおった。儂が与えた道しるべを…死にもの狂いで這い上がってきてくれたのじゃよ」
名前の壮絶な執念と根性の背景には、耳を塞ぎたくなる悲惨な過去があった。
実力を培い、木ノ葉の任務遂行率トップの座を勝ち取り、幻の暗部と称されるまでとなった名前は、いまだに上層部からの非難を受けているという。
上層部―――それはつまり、私の師…ダンゾウ様も含むのだろう。
「ダンゾウ様からの制圧を抑えるために、ダンゾウ様の部下である私に…あの子の世話をさせたのですね」
「黒海を知る者でもあるしのォ」
侮れない人だ。今の私では彼の話を無碍にできるわけがない。
名前を…心から愛でてしまっている今の私には。
「時間はかかりますが、ダンゾウ様の理解を得られるよう善処いたします。火影様」
跪くと、三代目は満足そうに笑った。
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