01
頬がくすぐったくて、私はゆっくりと目を開いた。一番最初に視界に入ったのは、艶のある長い黒髪。女の人かと思ったが、その髪の毛の持ち主はまさかの男の人だった。
「目が覚めたか?」
『……』
「倒れていたから、家まで運んだんだ。俺は別に怪しい者ではないから安心してくれ」
言葉を発しなかったので、警戒していると思ったらしい。彼はまるで安心させるかのように頭を撫でて、優しく微笑んでくれた。
黒髪。ニット帽。深緑色の瞳。目の下には隈があって――、この人どこかで見たことがある。
私はこめかみに人差し指を当てて、眉間に皺を寄せた。頭の中の記憶の引き出しを片っ端から開いては閉じて、やっと思い出した。
赤井 秀一。FBI捜査官。偽名は諸星 大。
二年前まで組織に潜入捜査していた。
そう、殺人ラブコメ漫画こと、大人気国民的アニメ【名探偵コナン】の登場人物だ。
気付いた途端、さぁっ……と血の気がひいた。今の私は顔面蒼白だろう。もしかしなくてもこれ――、夢小説とかでお馴染みの所謂トリップってやつですか!?
ばっ、と顔を下に向けた。
まさかトリップなんて。非現実的すぎる。
「具合でも悪いのか?」
顔を覗かれた。俯いていたので心配してくれたらしい。『ありがとうございます、大丈夫です!』と一応子供らしくお礼を述べて、改めて彼の顔を見た。
髪の毛が長いってことは、まだ組織に潜入してる最中の筈。コードネームはライだろう。名探偵コナンは好きだったのでよく読んでいたが、何故か話の内容が頭から吹っ飛んでるみたいだ。
記憶の引き出しには最低限の登場人物の情報しか入っていなかった。
「もう夜中だ、親が心配してるだろう。家の電話番号は分かるか?」
あ、やばい。家族はこっちの世界にはいないのに。正直に親はいませんって言っちゃう?いや、でも理由を聞かれたらどうしようかな。
考えあぐねた結果、両親は事故で他界したという設定でいくことにした。そして私は親戚の家をたらい回しにされ、挙げ句の果てに追い出され、道で倒れてしまった……と。
我ながら完璧のストーリーだ。
わざと拙い言葉で、時間をかけて説明した。ペラペラしゃべってしまうとそれこそ疑われかねない。この世界のキャラクターは、皆勘が鋭すぎるし恐い。
一度疑問に思ったら、とことん納得するまで質問してくるだろう。
何とか説明が終わったたところで、赤井さんは難しい表情をしていた。嘘だとバレたかと不安になったが、何も問うことなく見過ごしてくれた。
思うことはあるが口に出さないでくれたんだ。
私は最後に『ここに、住まわせてください』と頼み込んだ。寝室とご飯!を確保する為だ。別に、ここに居たいからとか、そういう訳ではない。……多分。
少しの沈黙の後、赤井さんは意外にも二つ返事で了承してくれた。
「……俺は、諸星 大だ。君の名前は?」
『星川 唯』
「では、唯、と呼んでもいいかな?」
『勿論です!私は、大さんって呼びますね』
「……さん付けじゃなくてもいいぞ?」
『じゃあ、大君で』
年上に君付けは違和感ありまくりだ。まあでも致し方ない。子供って大人相手でも平気で呼び捨てするもんね。
すっと右手を差し出すと、赤井さん改め、大君は左手を出してくれた。そのまま握手を交わして、二人で顔を見合わせて、笑った。
行き先不安なトリップ生活が、スタートした。