「おーい日吉ぃーっ!」 「………向日さんと忍足さんですか」
今日一日の講義を終えた俺が家に帰ろうと出口に向かって歩いていると、後ろから聞き慣れた先輩達の声が聞こえてきた。
「おいおい折角声かけたのに反応薄すぎるだろ!」 「学部が違うとはいえ同じ大学なんですから久しぶりって訳でもないでしょう」 「確かにそうやな」 「まぁとにかくこれやるよ!有り難く受け取れよなっ!」 「は?何ですかこれ」
向日さんに手渡されたビニール袋の中身を見ると、中には小さなレアチーズケーキが2つ入っていた。
「たまたま思い出して、近くのコンビニで買ったんや。誕生日おめでとう、日吉」 「これ、俺達からの奢りだから!彼女と食べろよ」 「…ありがとうございます。俺に彼女なんていませんけどね」 「え、侑士この前見たんだよな…?」 「俺は確かにこの前、日吉を迎えに車で此処に来た女性を見たで。しかも年上やった」 「…ああ……あの人は幼馴染です。此処から家が近いんで、俺が大学生の間だけルームシェアをしてもらっているんですよ」
一体いつの間に見られていたんだ?この前台風が来たせいで会社が早く終わって大学に迎えに来てくれた時か?全く…いつ誰に見られているか分からないな。
今日帰ったらもう迎えに来るなと言っておくか。とにかくあの人は無防備だから、大学のやつには見られたくないし会わせたくもない。
「ルームシェア!?何それ、超楽しそうじゃん!」 「なんや…彼女じゃないんや。じゃあ今度俺達に紹介してくれへん?結構好みの顔やったし」 「お断りします」 「即答!」
名前を目の前にいる胡散臭い先輩に紹介するわけにはいかない。幼馴染とは言っているが、俺の中ではとっくの昔から幼馴染というカテゴリから外れているからだ。
「まぁでも、これは有り難く受け取っときますよ。あの人、レアチーズケーキ好きなんで」 「「………」」 「何2人揃ってニヤニヤしているんですか。気持ち悪いですよ」
2人の考えている事が顔から読めた俺は、わざとらしく顔をしかめた。
「何だよ気持ち悪いって!仮にも先輩に対して!」 「知り合ってから何年経ってると思っているんですか…今更でしょう。…俺これからバイトあるんで失礼します」 「誕生日くらいシフト代わってもらえばええのに…ま、頑張ってな」
俺は2人の先輩と別れて、学校の最寄り駅から3駅先にあるバイト先へ向かった。
・ ・ ・ ☆
「日吉くん、今日はもう上がっていいよ」
閉店を1時間後に控えた夜8時過ぎ、客が使ったカップやソーサーを洗っていると、後ろから店長に話かけられた。
「…まだ1時間残っていますが」 「今日、日吉くん誕生日でしょ?いつも遅くまで残ってもらってるし、今日くらいは早く帰ったって誰も怒らないよ」 「そうだよ!あの彼女さんだって待ってるかもしれないよ?」 「だからあの人は彼女じゃないと何度言えば…」
駅前の大通りをまがり、細い道を歩き進んでいったところにある、店長が1人で経営している静かなカフェ。店の雰囲気に合う客が訪れ、常連も多い。
俺は大学3年生になってから此処でバイトをしている。カフェ店員になってから半年以上の時間が過ぎたが…コーヒーの淹れ方は店長の次に上手いと思う。
今店長の隣に立っている、俺よりも長く此処でバイトをしている女の先輩が彼女彼女と煩く言っているのは、幼馴染の名前の事だ。大分前に名前が俺に黙って勝手にこの店に来たせいで、俺が名前とルームシェアをしている事がこの店の一部の人間に知られてしまった。
あの時は普通に装っていたつもりだったが、店長に「あの女の人日吉くんの彼女?それとも日吉くんの好きな人?」と聞かれてしまったのだ。俺や幼馴染よりも長く生きて人生経験を積んでいる店長にとって、俺の気持ちはお見通しだったらしい。「彼女、コーヒー好きなんだね。見ていればすぐに分かるよ。だから、日吉くんは此処で働いているのかな?」俺がカフェ店員になろうと思った理由まで言い当てられてしまった時は、店のカップを割ってしまった時よりも焦った事を覚えている。
「これ、私から日吉くんと彼女さんにプレゼント!特製ショートケーキだよ!」 「…すごいイチゴの量ですね」 「そりゃそうだよ、今日使わなかったイチゴを全部乗せたんだから!あ、店長にはちゃんと許可もらってるから!」 「…どうも」 「そして私からはこれを。お誕生日おめでとう」 「!…コーヒーですか」 「うん。明日から正式にメニューに入れる新しいフレーバーだよ。一足先に日吉くんと名前さんに味わってもらおうかと思ってね」 「ありがとうございます…きっと喜ぶと思います」
ケーキもコーヒーも名前が好きなものだ…きっと子供みたいに喜ぶだろう。店長の言葉に甘えて先に上がった俺は、今日誕生日を迎えた俺よりも喜びそうな名前の顔を思い浮かべながら、電車に乗り込んだ。
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